ドラマって何だろう?

dramaには、
戯曲、脚本、演劇、という意味の他に、
劇的、という意味があるよね。
ドラマチック。

今「ドラマ」と言うと、日本では、「テレビドラマ」を思い浮かべる人が多いと思う。
テレビ放送が始まって以来、それはすっかり定着したのだと思う。
ねこなので、専門的詳細には分からないし、偉そうにも言えない。

「ドラマチック」という表現には、いささかロマンチックな色合いもあろうか。

「ドラマみたい」と叫ぶとき、そこには、いささか奇跡のような出来事が伴っているだろう。
そして、「ドラマチック」にも「ドラマみたい」にも、「現実には有り得ない」が含まれているはずだ。
ゆえに、ドラマのなかでの「共時性」は「ドラマだからね普通にあることだよ」と日々の生活ではシラケていたりする。もしかすると、その感覚が近頃の「ドラマ離れ」とやらにつながっているのかもしれない。

一方で「ドラマはそういうもの」と割り切って見ている人もいるだろう。
そういう人たちは、シラケてはいない。単純にドラマを楽しんでいるだろうし、視聴率とやらに貢献してくれている。


視聴率と言えば、贔屓にしている俳優や歌手、タレントが出演しているという理由だけで、そのドラマを見る人たちもいる。彼ら彼女らも、視聴率を上げてくれる。
ところが最近は、ファンだから、というだけでドラマを見るという訳ではないという人も増えているようだ。その人たちは、ドラマの内容そのものに興味関心があるのだろう。健全だ。
また、ファンだから見ていたが、面白くないので途中で視聴をやめた、という人もいるかもしれない。逆に、この俳優好きじゃないから見たくなかったけど、ちょっと見たら面白くてはまった、ということもある。
筆者のよりみちねこは、上記どれにも当てはまる。

ドラマというのは、たいてい始まりは退屈だ。退屈と言わないまでも、登場人物の紹介やら、環境設定やら、背景を伝えなければならない。
往々にして、後半になって物語の展開に拍車がかかり、面白くなっていくものだ。
だが、初回の描き方が下手くそだと、視聴者は視聴をやめるかもしれない。
ゆえに強いインパクトを与えてグイグイと引き込む手腕が、脚本家や演出家に求められる。
後半に面白くなるかも、と思ってじっと耐えて見てくれる人はそう多くないかな。
お目当ての俳優や女優が出演していれば、忍耐力も続く。
それゆえ、キャスティングが物を言ってくる。
アイドルドラマなどと言われるものがあるのも致し方ない。
が、ドラマの本来性を無視したところで制作されていけば、それはいつしかレベルの低下を招き、視聴者やスポンサーに迎合することが、制作者たちの首を絞めることとなる。


「ドラマみたい」な人生は、波瀾万丈な人生のことが多い。
上がったり下がったりが激しかったり、とても不幸な生い立ちだったり、苦労が絶えなかった、難病だった、ものすごい差別やいじめを受けたとか・・・。
もちろん、それでは終わらない。最後には「成功」する。でないと「ドラマ」にはならない。
もちろん、悲劇もある。答えが出ない物語もある。
基本、「ドラマ」には「成功」「成長」「成果」がなければ「ドラマ」ではない。

その過程で起こる奇跡のような「奇跡の連続」を「ご都合主義」と感じる人もいる。
その「ご都合主義」をドラマを成り立たせるための手法としては当たり前とシラケて捉えるのか、
もしくは、それこそが「ファンタジー」だと認識するのか。

その割合が、世界の創造に影響しているのかもしれない。