ファンタジーって何だろう?

「よりみちねこのドラマdeファンタジー」ってタイトルにしてるので、 
とりあえず、よりみちねこの思うファンタジーを語らないのは、
よりみちねこに興味を持ったり、よりみちねこのお喋りを読んでくれる人たちに、失礼だよね。

「ファンタジー」は「広辞苑」って辞典によると、
①空想。幻想。白日夢。
②幻想的な小説・童話。
③幻想曲
とある。
fantasy 英語辞典でも、ほぼ同じ。

「ドラマって?」でも喋ったけど、
どのみち、ドラマってのは「空想」「作り物」なわけだ。
ってことは?
「ドラマ」ってのは「ファンタジー」ってこと。
はい、おしまい。

う~ん、だけどね、
よりみちねこは、空想だの、幻想だの、というだけではない、
深い真相めいたものがドラマのなかに漂っているのを感じる。

ということで、よりみちねこのファンタジーへの思いを、
有名どころに代弁してもらうことにした。
よりみちねこがくだくだくっちゃべるより、そのほうが早い。

「はてしない物語(ネバーエンディングストーリー)」の作者
故・ミヒャエル・エンデに代弁してもらおう。

「ドラマ」のなかのシンクロニシティをご都合主義、嘘っぽいとシラけて観たり、
ドラマで描かれる人生や出来事の流れを、ポジティブにせよネガティブにせよ、
そんなの普通にドラマの手法だよ、と切って捨てる御仁への、
よりみちねこからのささやかな反論の後ろ盾となると思ってる。


ファンタジーというものは、現実から逃げるための手段ではなく、
現実に到達するためのほとんど唯一の手段です。


「はてしない物語」の至る所で暗示されていることですが、
ファンタージエンの世界は、私ひとりが創ったのではなく、いわば人類全体が創ったのです。


ユートピアを欠いているということは、
未来に投影すべきヴィジョン、懸隔を飛び越えるときの指標となるヴィジョンをもたない、
ということです。
ユートピアなしでは、人は本来、生きていけないのです。


創り出せるということ、これを私は、ファンタジーと呼んでいるのです。
あらゆる状況から新たなものを創造する能力、
まだどこにも存在しておらず、リスクに満ちたものを創り出せる能力です。


注目すべきは、世の中の独裁者がファンタジー文学や想像力を敵視したいという事実です。
彼らはファンタジーのなかに、何かアナーキーなものが隠れていると感じたんです。
こうしたことからも、ファンタジーは、人間が持っている創造的な力ということができると思います。


ファンタジーは、従来の思考秩序を解消し、
しかし同時に、
新しい観念を生み出したり、すでにある概念を新しい関連に置く。


世界の文化はどれをとっても、
人間の内的世界に従って外的環境を創りあげようとする試みから成り立っています。


私たちはみな、ゲーテが「精確なファンタジー」と呼んだ能力を発達させなければならない。
私たちはまったく新しい概念や観念を学ばなければならないし、
従来のそれを全く新しい、今までとは異なる関連付けをすることを学ばなければならない。


私にとってファンタジーとは、
新しい観念を形成する、
または、
既存の観念を新しい関連形態に置く人間の能力なのです。
その意味では、私たち現代人にとって、
具体的なファンタジーを発達させることほど必要なものはないのです。

文/訳は、ミヒャエルエンデボットさんのツィートより転載させていただいております。
@Michael_Ende_jp


「ネバーエンディングストーリー」は映画にもなっているので、
いささか古いが、
観たことのある人もいることだろう。
エンデは、映画について不満があったようだが、
よりみちねこは、それなりによくできた作品だと思ってる。
もちろん、全ては描かれていないが。

少年が入り込んでしまった物語の世界「ファンタージエン」は、
「虚無」によって失われつつあった。
「虚無」って何だ、と言えば、それは、
積極的に世界を滅ぼそうとする魔的な存在と、
もうひとつ、
夢を失った人間たちの心。
まあ、いろいろな感想もあろうが、
よりみちねこはそう感じた。

結局世界は破壊されるけど、
少年とひとつの小さな光が残る。
少年バスチアンが勇者アトレーユと一緒に旅をし、
その旅は、冒険譚を読む人々を感動させ、
「ここまで連れて来た」と、
ファンタージエンの姫君「おさなごころの君」は語る。
それから、破壊されてしまった世界の片隅で、
バスチアンにやりたいことを思い描くようにと言う姫君。
「思う」ところから世界は始まるのだから、と。

まさにファンタジーの世界、ドラマの世界、
と同時に、このキミたちの世界、
よりみちねこはそう思ってる。


夢っていうと、手垢のついた言葉になりつつあるみたいだけど、
夢や希望のなくなった世界に待っているのは「無」なんだと思う。

ともすると、数量的に、物理的にのみ形作られているかのように思ってしまう、
自分のたちの生息している世界。
しかしそこは、実は、心、感情、思いがなくなると、無くなってしまう世界なのだね。

そう考えると、
ジョン・レノンの作った歌
Happy Christmas(War is Over)
の最後、
War is over, if you want it
「もしキミが望むなら、戦争は終わる」
が本当だと分かる。
 
ドラマにはそうした思いを思い出させてくれる力がある。
だから、ドラマを観なくなって、あるいは観ても、シラケる人が増えてくると、
世界は殺風景な荒野と化していく。
それが、いかにもインテリであるかのような誤解を与えながら。

みんなの心にファンタジー