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「民衆の敵」最終話
主演/篠原涼子


視聴率が半端なく悪かったようだ。
平均が4.6%で、フジテレビ月9ワーストだそうだ。

なんでそこまで低かった?
恋愛ドラマではないから?
政治家の不倫ドラマとか、そういったものが望まれているのだろうか。

そう思うと、もっとデフォルメされていてもよかったのかもしれない。
けれども、最終話を観ると、製作者側の意図、伝えたかったことは、
主人公の佐藤智子(篠原涼子)が思いっきり嫌なやつになってしまうと伝わらないのではないか、とも思う。そこから気づいて云々とかなると、1シーズンでは済まない。あるいは、悪事が偶然の成り行きで良い結果をもたらす的手法も、どうなのかな。

とはいえ、たった1クールで、パート主婦が議員報酬目当てで市議会議員になり、市民のためにと市長になり、最後は世の中を変えるために国会議員になる(3年後のテロップはあるが)というところまで進むとは、あっぱれ!と言っておこう。
あまりぐちゃぐちゃこね回してもね。
とはいえ、視聴率を考えると(視聴率が全てではないが)、もう少し何か工夫のしようがあったのかな、と身勝手なドラマウォッチャーとしては思わないでもない。

それとも、視聴者側の問題なのかもしれない。
いわゆる忖度社会になれてしまって、健全を考えることを忘れているか、いけないと思っているか、面倒でつまらないと思っているか……。
そして、結局こうした考える力を育てるドラマは視聴率が取れないのだ、とテレビ局が判断して、さらに日本のテレビドラマが陰っていく、ということになるのだろうか。

さて結局「民衆の敵」は誰だったのか?
佐藤が市議会選挙に出てそして市議になったときは、自己保身ばかりの市議(政治家)たちのことだったと思う。
ところが佐藤が市長選に出ることになったとき、佐藤よお前が民衆の敵だったのか、そんな感じだった。
最終話が近づくにつれ、事態が変わって佐藤の無邪気な本性が現れた。

そして最終話。
ナイスなセリフが際立った。

議場で、産廃処理場をつくるかどうかの対話。佐藤と藤堂(高橋一生)。
反対する佐藤に藤堂は言う。
どこかでつくらなければならない。日本中が反対するから決まらない、と。
でもそれを受け入れれば、多額の交付金が入ります。その交付金があれば佐藤市長の福祉政策は全て実現します。青葉市民はいまよりさらに幸せになりますよ。安全だって十分に担保があります。それでも反対しますか?
そんないい事だったらさ、なんで最初からそう言わないの?ニューポートなんて市民騙すようなことしたの?
最初から言ったらみんな反対するでしょう。さっきの佐藤さんみたいに、反射的に反対するんです。
多くの場合、民衆のほとんどは政治家の言うことに聞く耳をもたない。聞くことを放棄しておきながらあとで聞いていなかったって言うんです。なら、民衆には伝えず、導いたほうがいいときもある。

そんなのおかしいでしょ。民衆のことバカにしてるよ。そんな政治家が世の中おかしくしてるんだよ。
佐藤さんは選挙に行ったことありますか?正直に。
ない。
なぜ行かなかったんですか。民衆に与えらえた権利です。民衆をバカにする政治家が嫌なんだったら、そんな人間に政治をさせなければいいんです。民衆にはそれを選ぶ権利があります。それが選挙です。その権利を放棄しておきながら、世の中おかしくないですかって、僕はそっちのほうがおかしいと思います
じゃあ、選挙んとき、あれ本当のこと言ってるの?いいことばかり並べ立ててさ、当選したらてのひらかえすような人だっているじゃん。
だから、よく聞いて見極めて、そんな人に政治をさせたらだめなんです。それが主権在民ということです。ひとりひとりが自分でしっかり後悔のないように選択するんです。
父親のような政治家になろうと思っていた藤堂。高校生のとき、ある法案を強行採決する父が藤堂に言った。
独裁政治だと言われてもしかたがない。おろかな民衆を導くためには、独裁しか手がないときもある。僕は耳を疑いました。この人は本気で言ってるのかなって。で、本気でした。
駆け引きや根回しなら、それは政治ですからある程度はしかたがないと許せました。ただ民衆を愚弄することだけはしちゃいけない。民衆のための政治だというその理念を失っちゃいけないんだ。

そうだよ。藤堂さんが正しい。
でもそのときの僕は言い返さずにあきらめたんです。
佐藤さんは、僕があきらめる前の僕なんです。だからずっと見てきたんです。
もし高校生のころあの父の言葉を聞かずに政治家になっていたら、きっとあなたのような政治家になっていたのかもしれないと思うと目が離せなくなった。だからどこまでやれるか、応援したんです。

だったら最後まで応援してよ。
もちろん今でも応援してますよ、ずっと。ただ、あなたのやり方では限界があることが分かりました。
あなたのやり方では小さな町づくりがせいぜいです。国家を動かすことはできない。

国家なんて私そんなだいそれたこと考えてないよ。
あなたの仕事はその大それたことにつながっているんです。だって、世の中をよくしたいんでしょう。誰も犠牲にせず、何の犠牲も払わないなんて不可能です。最小限の犠牲で最大限の幸福を実現すべきです。
だれかが幸せになるために誰かを犠牲にするなんて、そんなのおかしいでしょう。
おかしいっていうのは簡単なんです。できれば僕だってそんなことしたくない。でもきれいごとだけじゃだめなんですよ。多数を守るために少数を切り捨てる厳しさももたなければならない。あなたと一緒に行動してきて、僕はやっと父の正しさも分かるようになったんです。
じゃあさぁ、藤堂さんには分かる?切り捨てられて一人になる気持ちが。分かるわけないよね。だって切り捨てられんのはさ、いつだって弱者だから。私には分かるよ。いつも切り捨てられる側だったから。切り捨てられてるって声をあげる人のうしろには声すらあげられないような人たちがたくさんいるんだよ。
民衆が賢くなれって、あんたみたいな立場で言うのは簡単かもしれないよ。でもさ、毎日ごはん食べることだけに必死でさ、自分が切り捨てられてることすら気づかないでいる人たちがいるんだよ。そんな人たちにあんた言える?もちろんそういう人こそ声をあげていかなきゃいけないよ。でもさ、そういう人にだからこそ、政治の支えが必要なんじゃないの。
賢くなるっていうけどさ、機会与えられてないからさ、声をあげる方法だって分かんないんでいるんだよ。それで、いないことにされちゃって。簡単に切り捨てられちゃってるんだよ。
だから私が、そういう人たちの味方になってあげなきゃだめなの。私がそういう人たちを守ってあげなきゃいけない。
あなたの考えはよく分かりました。
ホントに?ほんとうに分かってるの?

ええ、それが佐藤市長の判断なんですもんね。
だって、みんなが幸せになるために、誰かがひとりでも犠牲になるなんておかしいでしょう。
ひとりの幸せのためにみんなを犠牲にするなんておかしくないですか?どちらが正しいなんてそんな単純な話じゃありません。きっとどちらも正しい。だから、あなたはあなたが信じる道を進めばいいんです。
僕は国政に行って、みんなの幸せを選びます。あなたは……


そして、産廃処理場を誘致するかどうかは市長が決めないでみんなで責任をもって決める、
という方法を市民に呼びかける佐藤市長。市民の議会。
直接民主主義、と動画を見ながらつぶやく藤堂。

市民の議会にも市民が次第に多く集まり始め、活発に意見が交換されるようになる。

そして、佐藤市長は市民に向かって言う。
いいですかみなさん。私たちは、ひとりひとりの無関心が積み重なって、結局は一部の人間だけが得をする、そんな世の中になってしまうんです。
あとんなって、あれ?おかしいなぁなんて思ったってもうおそいんですよ。
「民衆の敵」は外にいるんではありません。
私たちひとりひとりの無関心、それこそが「民衆の敵」なんです。


「今の世の中、突拍子もないことが起きる。
だが、突拍子もないことは実は突拍子もなく起きたりしないものだ。
突拍子もないことでこの町を変えた、これは佐藤智子の物語である」

佐藤の友人でジャーナリスト(新聞記者)の平田和美(石田ゆり子)がフリーになってが本を出版。


国会議事堂を背景に佐藤智子議員がカメラ目線で言う。
「本当にこの世の中を変えられるのは、あなたです」


最終話のセリフは正義と熟議にあふれていた。
佐藤の行動は、討論、検討とはいかなるものか、
主権在民、民主主義の姿をありありと示してくれていたと思う。


「民衆の敵」は自分のなかにいたんだね。