よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!


「半分、青い。」NHK朝の連続テレビ小説
主演/永野芽郁



春ドラマが最終回を迎えるなか、
「半分、青い。」は6月で半分の物語が語られます。
5月、つまり第5週から登場した漫画家の秋風羽織先生(豊川悦司)のなかなかの評判ぶり。
秋風という独特のキャラクターとその怪演とも言える演技。
え?豊川悦司ってこんな人だったっけ?と私も初登場のとき思いました。
と言いますか、豊川悦司だと分かりませんでした。
かなり不覚です。極端な自慢になりますが、私、アメリカのテレビドラマでもかつての子役がおじさんになって出演していても、あ、この人あの子じゃない?と分かるので。

前にも書きましたが、そもそも期待していなかったのです。ほんのりと「まれ」臭がしていたので(「まれ」ファンの方にはごめんなさい)。

「半分、青い。」は、それぞれのキャラクターの心の機微がしっかりと描きこまれていて、それぞれの立場に共感しながら視聴できます。
それにこういった夢を叶える物語にありがちな陰湿さがないのも新しい時代を牽引しているように、今のところ、感じています。

秋風羽織先生は、ご登場以来たびたび名セリフを残しています。
これもよかった。

「半分、青い」第8週~生きがい 使命 創造的人生をセリフから考えた。


そして第10週の59話。

秋風は、気になったことを発表させてそれについての感想を求めるというという機会を弟子たちに与えている。それが創作にとって大事なことなので。
59話では、すずめ(永野)律(佐藤健)とその恋人・清(さや/古畑星夏)との関係について話す。律の左の薬指にすみれ色のマニュキュアが塗られていた。そのすみれ色のマニュキュアが清の爪に塗られているのを発見。すずめは、これから先自分がマニュキュアを塗ることがあってもすみれ色は選ばないと思う、と話す。

すみれ
「自分の心がわからなかったので、よけいに心に残った。自分の心を見つめ続けることが創作の原点なら、これは苦しい仕事ではありませんか?」
秋風先生
「見つめているときはな。だがそれが、美しい物語に昇華したときに、そして多くの読者が喜んでくれたときに、きみのその心も癒されるんだ」


ナイスなセリフだ。

まず、
「書く」という作業は人の心を癒す。
漫画家の場合は「描く」。
芸術のはじまりのひとつはそもそも「それ」だ。
芸術家の心は繊細で、壊れてしまいそうな心を創作活動で保っている、と言っても過言ではない、と私は思っている。
創作が仕事の人には読者という存在が、さらに作者の心を治療してくれる。
そうでない人には読者がいない。それはときに家族や友人ということもあるかもしれないが、そこに問題があるときは見せられない。
今は、ネットという場があって、不特定多数の人が読んでくれる、見てくれる、という機会がある。昭和時代からすれば、信じられない「場」ではないか?
それでも、アクセス数は期待できないかもしれない。
昔なら、「ブログ」ではなく「日記」。
机の上で、ペンを走らせる「日記」。
「日記」は自分以外誰も読まない。
日記帳が相手だったり、架空の人物を想定して書いたりもする。
そもそも読ませようと思って書いていない。死を前にして処分する人もいる。
ペンネームやハンドルネームという匿名性を考えると、いわゆるブログも自分以外誰も読まない日記と同質の部分があるのかもしれない。

絵が得意な人なら絵を描く。
いずれにせよ「表現する」という作業は、心にとってのよい治療薬だ。

もうひとつ。
「美しい物語に昇華」と秋風先生。
なにも、漫画や小説にしなくてもいい。
私たちひとりひとりの人生は「物語」だ。いくつもの出来事とその感想でできている。
自分の人生を、出来事と感情をストーリーとして把握するとき、私たちは自分自身というものを知っていくことができるのだろう。

すずめが言った「苦しい仕事ではありませんか」。
このセリフも迫ってくる。
ひとりひとりの人生は「美しい物語」なのだ、と思う。
でも、この世で生きることは確かに「苦しい」ことはたくさんある。
何でも思うようにならないから。
釈迦も「四苦八苦」と言っていた。
私たちはそれらを美しい物語に「昇華」させることができる。
そして、芸術家たちは、他人の話でもそうできる人たちなのだろう。


占い師の観点からも「半分、青い。」を書いています。
よかったら読んでください。

「予言するな。呪いをかけるな」~「半分、青い。」

「運命/幸運の輪」というシンクロ~「半分、青い。」~「○○したい!」と叫ぼう!