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「半分、青い。」NHK朝の連続テレビ小説

よりみち的に受けとめたこのドラマのテーマは「諦めない」。
最後の秋風羽織先生(豊川悦司)の手紙にも象徴されていると思う。
いや、ドラマの週タイトルが「○○たい」なので、
「夢を持ちたい」かな。
いや、裕子(清野菜名)にあやかって「夢を持て」「希望を持って生きろ」。

律役の佐藤健が、納得の終わり方になっているとは思う、というようなことを「あさイチ」で言っていたが、その通りになったと言っていいのだろう。
ずっとヤキモキしていた鈴愛(永野芽郁)と律が、やっと40歳となって結ばれることになった。
この二人は幼馴染ゆえずっとつながってはいたわけで、ずっと親友という位置づけだってよかったわけだけれど、それでも人生というのはいつ何が起こるか分からないもの。
40歳を過ぎる頃から結婚を諦めてしまう人も多いが、私はいつも思う、運命の人に出会うのは50歳かもしれないし、60歳かもしれない、と。

鈴愛の人生は、これだけいろいろなことが起こると波瀾万丈な人生と言えるだろう。しかし、その都度「スタート」を切る。そう、「終わったときは次の始まり」なのだ。諦めたらそこで終わるが、鈴愛の人生に終わりはない、って感じ。

このドラマのセリフはいつもポジティブから入る。
裕子の死を知らせるボクテ(志尊淳)の電話の声さえ。
ユーコちゃんみつかったって。だめだった。

鈴愛の娘かんちゃんが助けてもらった友人あかりちゃんに、高価なブローチ(鈴愛の祖母から母、そして鈴愛へと受け継いだもの)をあげよう思っていたとき、父親である涼ちゃん(間宮祥太朗)が言う。
かんちゃん、こんな高いものは、あかりちゃんももらえないと思うよ。
本物の宝石だ。車が買えるくらいだ。
「だめだよこんなものあげちゃ」ではなく、相手の気持ちの戸惑いを伝えてから、ブローチの価値を伝えた涼ちゃん。このセリフはvery good。かんちゃんの思いも大事に受けとめてあげている。ただ否定されれば、子どもの心は委縮していくだけだ。委縮した心は創造性を失っていく。こういった対応が子どもの創造性を開放し、思いやりや他を尊重できる心につながる想像力を育てるのだろう。そして自分を卑下することもない。ナイスフォローだと思う。
余談になるが、このところ短絡的反応の人が多いのは、想像力の欠如が大きな理由だろうと想像できるので、親から子へ伝える「心」というのは大事だ。
鈴愛に別れてくれと言ったとき、こいつはいいかげんなだけではなくサイコパス男だったのか、と怒りの感想をもらした私だが、このセリフはよかった。きっと良い映画をつくっていくだろうな、と思う。

ものすごくミーハー的に感想を述べると、
な~んだ、このドラマ結局、鈴愛をめぐる男たちの物語か、である。
鈴愛は振られてばかりだと自分で言うけれど、涼ちゃんからも、正人(中村倫也)くんからも、「やりなおさないか」のラブコールを受ける。もちろん、最後は律からの。
昔の民放トレンディドラマだったら、そういうことでは?律をめぐっての女同士の戦いもあったことだし。

純文学的に読むと、裕子の存在が際立つ。
実はユーコは、初登場のときから「死」へ向かってひた歩いていた、と私は感じている。
お金持ちのお嬢さまなのだが母親と折り合いが悪く、家を飛び出している。そう、裕子には、裕子自身として生きることができる「居場所」がなかった。裕子は常に自分の居るべきところ、居ることのできるところを探していた。それはすなわち、「自己存在の確認」であり、「生きがい」でもあるのだろう。
それが秋風塾、漫画家だったのだが、スズメ同様、才能の壁にぶち当たる。そのときのユーコの行動は極めて退廃的だ。いわゆる男漁りまでして、生気も失われている。だからなのか、スズメのエネルギーの強さに圧倒されつつも、それを認め、憧れ、応援する。自分にはないものを鈴愛に見い出した。鈴愛が特別な何か、突拍子もないことを成し遂げてくれることに自分の夢も生きる意欲も託した。
金持ちの実業家と結婚して何不自由のない生活だったと思うが、おそらくそこはかとない浮遊感をいつも抱いていたのではないか。
それは、いくつかのシーンから推測できる。
看護師としての悩みを鈴愛に打ち明けたあと、鈴愛は何かをやり遂げる人間だと言って応援する。
鈴愛が焼香に訪れた際に裕子の夫が語った思い出話。
裕子はね、鈴愛さんの話、よくしてました。何かっていうと、鈴愛はね鈴愛はね、って。そのときの裕子のうれしそうな顔ったら、なくって、こっちがヤキモチ焼いてしまうくらいでした。

ゆえに(ゆえにという接続詞が相応しい分からないが)、ユーコは最後、仙台の病院で身動きが取れずに逃げることのできない患者さんと運命をともにし、津波に身をゆだねる。そこが彼女の「居場所」だったのだ。
裕子にとって「特別な存在」の鈴愛。鈴愛はきっと何か特別なことを成し遂げてくれると裕子は信じているし、託している。そして、語弊はあるかもしれないが、この死に方、人生の選択が、裕子には「特別な事」だった。
裕子の観点からの小説があったとして、それが高校の教科書に載っていたら、きっとクラスであれこれ意見が飛び交うことだろう。しかも女子高で。

余談になるが、
「やすらぎの郷」(2017年テレビ朝日)では、裕子役の清野菜名は、「手を離したのは私」という脚本を書いて(実際に書いたのは恋人なのだが)老脚本家・菊村(石坂浩二)を訪ねるアザミを演じている。
これは、震災の津波にのまれながら、祖母の手を握っていた少女(アザミ)が、耐えきれずに自分が祖母の手を離してしまったのだ、と後悔して告白するという脚本。
こういったシンクロニシティというは、ドラマの役に意外と多い。
来年から再スタートするテレビ朝日の昼帯ドラマは「やすらぎの刻(とき) 道」だそうだ。「やすらぎの郷」でもう脚本は書かないと宣言していた菊村が手掛ける脚本、という設定。1年間続く長いドラマになるようだ。
その前半の主演が清野菜名。
昭和初期からはじまり、戦中、戦後、平成を描くこの作品の前半の主演は、清野菜名。戦後の高度成長期を経て現代にいたるまでの後半、いわば主人公の晩年を八千草薫が演じます。
(テレビ朝日サイトより)
2019年4月からの放送が楽しみだ。

感想はつきないが、
何と言ってもやはり、私にとっての最強のキャラクターは秋風羽織先生だ。
登場人物のなかで一番の偏屈者にみえるが、その実、一番のヒューマニストだ。
さらに、夢をつむぐ言葉、勇気を与える言葉、をたくさん知っている人。

もしかすると、秋風塾を描いた数週がこのドラマのピークであり、最大の感動であり、名場面の連続だったのかもしれない、と私はふと、しかし確信をもって思い返す。
夢と挫折と嫉妬。そこから誕生した愛。

ユーコも、秋風がまるごと受けとめてくれて、救われたと思う。苦しかったろうけど。
ユーコの部屋はまだ残っているのだろうか、いつでも帰って来られるようにとそのままにしてくれていた秋風先生。
そう考えると、まことに独善的な感想で申し訳ないが(いや、そもそも感想というのは独善的である)、もうひとりの主人公は浅葱裕子(あさぎゆうこ)だったのかもしれない。
「浅葱」とは
わずかに緑色を帯びた薄い青。また、青みをおびた薄い緑色。みずいろ、うすあお。
(「コトバンク」「広辞苑」より)
だそうだ。
「裕」には「ゆとり」「豊かで満ち足りている」「心がひろい」などの意味がある。
鈴愛が言っていた。
裕子の名前だれがつけたんかな、やっぱりおかあさんかな。
裕子が母親との仲を本当の意味で取り戻したのかどうかは分からない(仲直りしたようなシーンはあった)。
実家との仲が悪い女性は、結婚してくつった家庭が安堵の家、居場所となる。
後で紹介するが、スマホに録音されていたメッセージ。それは、息子と夫、そしてボクテと鈴愛へ宛てられていた。

鈴愛は裕子ちゃんにとってただの親友じゃない。特別な存在だったんだと思うんだ。
と律も言っていた。
そのあと、律が、自分は鈴愛を守るためにここにいる、と言ったとき、私はふとこう思った。
鈴愛のそばには、家族や律をはじめ友人たちがいて、幼い頃からずっと守ってくれている存在があった。40歳になった今でも、である。裕子が死んで立ち直れないほど落ち込んでいる鈴愛を、この人たちは心配し、見守っている。
裕子はどうだろう。見たところ夫も誠実そうな人できっと幸せな家庭なのだが、生育環境での一抹の寂しさが漂っている。
有形の幸福と無形の幸福、その半分半分を、裕子と鈴愛はわけあっていた、とも言えるのではないか。この二人は対照的でもあるのだ。
分身、とまでは言わないが、互いが持って生まれたものが全く違うという意味での合一、のような。
鈴愛と母親は仲良しで、裕子と母親は仲が悪い、という現象は一番象徴的かもしれない。

さて、このセリフを書きとめておかずして、「半分、青い。」を私のなかで終えることはできない。

秋風先生からの手紙。速達。
スズメ、律くん、元気だろうか?
短い手紙を書きます。
人生は希望と絶望の繰り返しです。
私なんか、そんなひどい人生でも、大した人生でもないのに、そう思います。
でも、人には、想像力があります。
夢見る力があります。
生きる力があります。
明日を、これからを、どんなにひどい今日からだって、夢見ることはできます。
希望を持つのは、その人の自由です。
もうダメだと思うか、
いや、行ける、先はきっと明るい
と、思うかは、
その人次第です。
律くんとスズメには、その強さがあると信じています。
秋風羽織

裕子の録音の声。遺言。
スズメ、スズメ生きろ!
最後に暑苦しいこと言って申し訳ないが、
私の分まで生きてくれ。
そして、何かを成し遂げてくれ。
それが、私の夢だ。
生きろ!スズメ……
あ、呼ばれてる。じゃあね。

鈴愛は裕子にとっての癒しであり、裕子は鈴愛にとっての応援団(ひとりだから者かな?)だった、のかもしれない。

鈴愛ちゃん、裕子ちゃん、バイバイ!