よりみちねこのドラマカデミア

よりみち視点でドラマをアカデミアするよ。

2015年06月

こんにちは。
よりみちねこです。

「アルジャーノンに花束を」TBSテレビドラマ。
2015年4月10に始まり、6月12日に最終話を迎えました。

ダニエル・キイスの小説が原作。
アメリカ、カナダなどで映画化され、
日本でも、ユースケ・サンタマリア主演で2002年に一度ドラマ化されているね。

今シーズンの主演は、山下智久。

よりみちねこは、正直、彼が好きではない。ごめんね。

そのうえ、この小説、15年ほど前だったか、
友人から借りて読んだが、いや、読もうとしたが、
途中で、気持ちが悪くなって読めなかった。

という理由から、このドラマを観ようかどうしようか、ちょっと迷った。
が、観た。毎週録画して。
なぜ?
今シーズンのドラマがあまりぱっとしないものが多く、
そのなかでは、まま、良い方かな、って感じだったから。

知的障害のある青年、白鳥咲人(しらとりさくと・山下智久)。
知能を飛躍的に向上させる薬を開発した研究所から、被験者に選ばれた。
アルジャーノンという名のネズミに投与し、その効果に自信を持っている研究者たち。

咲人は、天才となる。
しかし咲人は、その頭脳明晰さゆえに、これまでの自分自身と周囲の人間との関係を知り、自分はバカにされていたのだと、と考えてしまう。
と同時に、逆に、天才となった自分は、かつての友人知人たちを見下すようになる。

増上慢になることで不具合が起き、人間にとって本当に大切なものは何かを悟る、
という物語は世にたくさんある。
いや、それこそが実は、物語の存在理由かもしれない。
というか、人生というのは、そういうもの。成功者の伝記でもよく語られている。

「愛」が大きなテーマだったんだね、このドラマは。
最終話ではっきりと主人公の口から語られたのが良かった。

薬の副作用で、咲人は元の知能に戻ってしまう。そのときを目前にして、咲人は知る。
人々の愛がいかに大切なものであるか、を。

ドラマでは、おそらく原作ほど、咲人をいじめる様子は描かれていないのかな。
そのあたりの苦悩は、これでもかというほどには、よりみちねこは感じなかった。
ただ、「対等」という感覚を気にしている咲人が、頭が良くなれば、友人とも対等になれるし、
自分を捨てた母親も喜んでくれるのではないか、と咲人なりに思っている点が、なにげに苦悩であり、最大の望みだったのだろう。
だから「おりこう」になりたかった。

副作用の症状が現れたときに見える幻影。それは死んだ父親。
咲人の父親は、人のために生きた人。
それが咲人の母には苦痛だった。
母親はそれを自分勝手、と言う。家族のことよりも他人を優先するなんて。

余談だけど、よりみちねこの父親もそうだったから、よく分かる。
職業柄、しかたないけどね。
今は、立派な父だったと誇りに思ってるよ。
多くの人に感謝されていたのを知ることができたから。

咲人は、人の心の動きを読み取れるようになる。極めて論理的、客観的に。
しかし次第に、知能ばかり高くなって、心が育っていない自分の状態に気づく。
「心」「愛」の象徴、咲人のなかの「それ」が、父親の幻影なのだろう。

進むべきか、留まるべきか、
人は何度もその選択に悩まされる。
どちらを選択しても、後悔するような気がして。
逃げ出したくなるときもあるだろう。
けれど、そこにこそ、生きる意味が隠されている。


そして、ある女性を救う道を咲人は選ぶ。彼の父親と同じ道。

知能が低い人間が野蛮なわけではなく、
知能が高い人間が理性的なわけでもなく、
愛が・・・
愛に満たされた人は、人を傷つけない。
心ない人に時折りみせられる悪意には戸惑うこともある。
けれども、知能や知識ではなく、
本当に愛し愛された記憶のある人は・・・。
もしかしたら世界は、そんな単純なことで、
穏やかになるのかもしれません。
(誰もが)愛に包まれた世界なら。


素晴らしいセリフだね。脚本家に拍手。
そんな単純なことで世の中はきっと平和になる。
単純なことなのに・・・、みんなできずに彷徨ってる。
傷つけあってる。

マイケル・ジャクソンが亡くなったとき、
どこぞの霊能者類いの人が、
彼は愛を学ぶために生まれてきた、と発信してたけど、
彼だけじゃない、
人間はみんな、愛を学んでいる。
この地球という不自由な世界で、重たい肉体を引きずり、心にエゴを抱えながら。
そう、よりみちねこは思う。


主題歌「ローズ」(ベッド・ミドラー)は、どうでもいい。
よりみちねこは、BGMで流れるバッハが、やっぱりいい、と思う。
バッハは素晴らしいね。心に響く。格調高くなる。
・・・と思ったら、なんと、オリジナルバッハは「ゴルトベルク」だけで、
効果的に出てくるバロック/バッハ調の曲は、
千住明さんのオリジナルみたい。
「AGLフーガ」。
うまい、まるでバッハ。
思わずどの曲か、バッハのCDを探してしまった。でも、みつからない。
で、調べたら、番組オリジナル。
ピアノヴァージョンとオーケストラヴァージョンがある。
すっごくいい。短い曲だけど。
リピートしてずっと聴いていられそう。


アルジャーノンは死んで、
咲人は、元の咲人に戻る。優しい、人を和ませる力を持った青年に。
だた、そこにいるだけでいい。

アルジャーノンのお墓のある森は、
まるでおとぎ話の世界、景色。
咲人は、おとぎの国からやってきた天使なんだね。そして、
関わったすべての人たちに愛を残して、おとぎの国に帰っていったんだね。

そしてまた、戻ってきてくれた。

花屋をやめて、
「対等の友だち」と3人でハンバーガー屋さんを開店。
めでたし、めでたし。

 

ファンタジーって何だろう?

「よりみちねこのドラマdeファンタジー」ってタイトルにしてるので、 
とりあえず、よりみちねこの思うファンタジーを語らないのは、
よりみちねこに興味を持ったり、よりみちねこのお喋りを読んでくれる人たちに、失礼だよね。

「ファンタジー」は「広辞苑」って辞典によると、
①空想。幻想。白日夢。
②幻想的な小説・童話。
③幻想曲
とある。
fantasy 英語辞典でも、ほぼ同じ。

「ドラマって?」でも喋ったけど、
どのみち、ドラマってのは「空想」「作り物」なわけだ。
ってことは?
「ドラマ」ってのは「ファンタジー」ってこと。
はい、おしまい。

う~ん、だけどね、
よりみちねこは、空想だの、幻想だの、というだけではない、
深い真相めいたものがドラマのなかに漂っているのを感じる。

ということで、よりみちねこのファンタジーへの思いを、
有名どころに代弁してもらうことにした。
よりみちねこがくだくだくっちゃべるより、そのほうが早い。

「はてしない物語(ネバーエンディングストーリー)」の作者
故・ミヒャエル・エンデに代弁してもらおう。

「ドラマ」のなかのシンクロニシティをご都合主義、嘘っぽいとシラけて観たり、
ドラマで描かれる人生や出来事の流れを、ポジティブにせよネガティブにせよ、
そんなの普通にドラマの手法だよ、と切って捨てる御仁への、
よりみちねこからのささやかな反論の後ろ盾となると思ってる。


ファンタジーというものは、現実から逃げるための手段ではなく、
現実に到達するためのほとんど唯一の手段です。


「はてしない物語」の至る所で暗示されていることですが、
ファンタージエンの世界は、私ひとりが創ったのではなく、いわば人類全体が創ったのです。


ユートピアを欠いているということは、
未来に投影すべきヴィジョン、懸隔を飛び越えるときの指標となるヴィジョンをもたない、
ということです。
ユートピアなしでは、人は本来、生きていけないのです。


創り出せるということ、これを私は、ファンタジーと呼んでいるのです。
あらゆる状況から新たなものを創造する能力、
まだどこにも存在しておらず、リスクに満ちたものを創り出せる能力です。


注目すべきは、世の中の独裁者がファンタジー文学や想像力を敵視したいという事実です。
彼らはファンタジーのなかに、何かアナーキーなものが隠れていると感じたんです。
こうしたことからも、ファンタジーは、人間が持っている創造的な力ということができると思います。


ファンタジーは、従来の思考秩序を解消し、
しかし同時に、
新しい観念を生み出したり、すでにある概念を新しい関連に置く。


世界の文化はどれをとっても、
人間の内的世界に従って外的環境を創りあげようとする試みから成り立っています。


私たちはみな、ゲーテが「精確なファンタジー」と呼んだ能力を発達させなければならない。
私たちはまったく新しい概念や観念を学ばなければならないし、
従来のそれを全く新しい、今までとは異なる関連付けをすることを学ばなければならない。


私にとってファンタジーとは、
新しい観念を形成する、
または、
既存の観念を新しい関連形態に置く人間の能力なのです。
その意味では、私たち現代人にとって、
具体的なファンタジーを発達させることほど必要なものはないのです。

文/訳は、ミヒャエルエンデボットさんのツィートより転載させていただいております。
@Michael_Ende_jp


「ネバーエンディングストーリー」は映画にもなっているので、
いささか古いが、
観たことのある人もいることだろう。
エンデは、映画について不満があったようだが、
よりみちねこは、それなりによくできた作品だと思ってる。
もちろん、全ては描かれていないが。

少年が入り込んでしまった物語の世界「ファンタージエン」は、
「虚無」によって失われつつあった。
「虚無」って何だ、と言えば、それは、
積極的に世界を滅ぼそうとする魔的な存在と、
もうひとつ、
夢を失った人間たちの心。
まあ、いろいろな感想もあろうが、
よりみちねこはそう感じた。

結局世界は破壊されるけど、
少年とひとつの小さな光が残る。
少年バスチアンが勇者アトレーユと一緒に旅をし、
その旅は、冒険譚を読む人々を感動させ、
「ここまで連れて来た」と、
ファンタージエンの姫君「おさなごころの君」は語る。
それから、破壊されてしまった世界の片隅で、
バスチアンにやりたいことを思い描くようにと言う姫君。
「思う」ところから世界は始まるのだから、と。

まさにファンタジーの世界、ドラマの世界、
と同時に、このキミたちの世界、
よりみちねこはそう思ってる。


夢っていうと、手垢のついた言葉になりつつあるみたいだけど、
夢や希望のなくなった世界に待っているのは「無」なんだと思う。

ともすると、数量的に、物理的にのみ形作られているかのように思ってしまう、
自分のたちの生息している世界。
しかしそこは、実は、心、感情、思いがなくなると、無くなってしまう世界なのだね。

そう考えると、
ジョン・レノンの作った歌
Happy Christmas(War is Over)
の最後、
War is over, if you want it
「もしキミが望むなら、戦争は終わる」
が本当だと分かる。
 
ドラマにはそうした思いを思い出させてくれる力がある。
だから、ドラマを観なくなって、あるいは観ても、シラケる人が増えてくると、
世界は殺風景な荒野と化していく。
それが、いかにもインテリであるかのような誤解を与えながら。

みんなの心にファンタジー
 

よりみちねこです。

昭和40年代初頭、
ひとりのバイオリン弾きの子供が、天才少年と期待されて、たった一人で長崎から上京し下宿生活。
折から70年安保の騒ぎのころにバイオリンに挫折。
それでも音楽への道断ちがたく、気づけばフォークデュオ「グレープ」として歌い始めていた…。
(NHKWebサイトより) 


「ちゃんぽん食べたか」は「食べたか?」ではなく「食べたかぁ~」。
つまり、東京弁で言えば「ちゃんぽん食べた~い」だ。

シンガーソングライター・さだまさしさんの自伝的ドラマ。
以前に放送された幼少時代の続き。

よりみちねこは、幼少時代篇にはそれほど魅力を感じなかったけど、
「ちゃんぽん食べたか」は、良い。良さそう。

主演、さだまさし役の菅田将暉さんと、マドンナ役?の森川葵さんに惹かれて観たのだけれど、
正解・・・の兆し。

まだ第一回を観ただけだなので、未知の部分も大きい。
が、とりあえずお知らせしておこうと思い立った次第。

なぜなら、
先週土曜日、小笠原沖の大きな地震があったゆえ、
NHKは地震の報道が続き、ドラマの時間がずれた。
そのため金曜日の深夜と土曜日の夕刻に
第一話の再放送がある。
これから観ようと思う方々にはぜひ、と思ったから。
一話目から観たほうが楽しめるでしょう?

再放送予定
2015年6月13日(土) 午前0時10分(金曜深夜)/午後4時30分

なんだか宣伝だけになってしまったなぁ。

さださんの高校時代からグレープデビューまで、
昭和の香り満載かな、と予想、期待している。
さらに、さださんの人間味あふれるエピソードのいくつかも描かれるだろうか。
そこも楽しみ。

さて、しばらく鑑賞してから、また語るね。
よりみちねこならぬ、昭和ねこ?

じゃあねぇ。
 

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