「ちゃんぽん食べたか」NHK土曜ドラマ
2015年5月30日~8月1日 

終わった。寂しい。

このドラマ、なんということはない、NHKらしい、
ハラハラする盛り上がりもない、ド派手な演出もないドラマだった。

さだまさしの自伝的小説とはいえ、
さだ自身があちこちで語っている人生のエピソードほど面白くない。
愉快な芸人さんのような話、それでいて、人生の機微を痛感させるような話、
さだまさしはたくさん持っている。

極めて真面目な描き方。

さだ自身、
ダメダメな青年の話です、
と言っていたが、
まあ、そうなのかな。

そうはいっても、さだまさしと言えば、
シンガーソングライターとして大成功しているわけで。
失敗談も、ダメダメだった青春時代も、
のちの「グレープ」「さだまさし」を育ててくれた体験以外のなにものでもないだろう。

テレビ朝日に「しくじり先生」というバラエティ番組があるが、
あれも、本気で落ちぶれていたら、笑って話せないし、聞けない。
いや、今の自分がどれだけ自分の人生に満足しているか、にもよるかな。

話が逸れた。

さて「ちゃんぽん食べたか」最終回。
(前の記事でも書いたが、これは「食べた?」ではなく「食べたい!」という意味の方言) 

この場面で終わっちゃうのかぁ、という「完食」だった。

いえね、このドラマ、
高校から大学、そしてデビュー(らしき場面)まで、
淡々と語られるわけだけど、
なぜか引き込まれてついつい45分間入り込んでしまう。
で、「つづく」と出ると、
え、もう終わりなの、もっと見たい、
と思ってしまう、不思議な吸引力のある物語だった。
最終回もまさにそれ。

一から出直そうと実家に帰るまさし。
そのまさしの実家で、
「まさし」とまさしを追いかけて来た「まさみ」のデュオは、一日中曲作りに励む。
ごはんを食べるのも忘れて。
いよいよデビューコンサート。
舞台のそでからスポットライトのなかへ出て行って・・・
そこで終わる。

え、聞きたい、歌。「精霊流し」とかさ。そう思うのは邪道な見方だね、きっと。
この余韻がドラマを引き立てているのだろう。
(正確に言うと、ドラマの途中で2曲歌っている。菅田くんなかなかうまい)

それにしても、このドラマの主人公まさしの周囲には、
夢を手放す人が多い。
そもそも、マドンナ的存在だった高校時代の友人岡倉洋子(森川葵)も、
歌手になるといって高校を中退したが、まさしが大学生になってから偶然再会し、
水商売をしていることが発覚。
夢はあきらめた、と言う。
自分より才能のある人がごまんといる世界だ、とあっさり。

まさしも、バイオリンをやめたきっかけが、
コンクールに優勝した同世代のバイオリニストのバイオインを聴いたのがきっかけ。

人生にはよくある。
井の中の蛙大海を知らず状態のときには、「純粋な自信」を持っているし、
夢の実現はいずれやってくるために自分の行く先に確かに存在していて、
それは必ず自分の手に入るものだと、
疑うことはない。
けれども、いつまでたっても手が届かず、
気づいたら、他の誰かが別のところで手に入れていたりする。

それだけ書くと、なんともネガティブなドラマでしかないが、
しかし、これは、さだまさし自身の体験談でもある。

まさしの両親は言う。
これまでやってきたことは、決して無駄にはならない、と。
もちろんその通りになった。
おそらく、誰でもそうなのだろう。
人生に無駄はない、とはきれいごとだと思う人もいるかもしれないが、
その通りだから仕方ない。

母親が
「そもそも、自分がバイオリンを習わせたのがいけなかったんだ」
と後悔の言葉をつぶやくと、
まさしは、もちろん「そんなことはない」と強く否定する。
この母親のようなことを思う親は多いかもしれない。
なにしろ子どもは、幼いころは親の意志や希望によって動くことがほとんどだから。

高校時代いっしょにバンドのコンクールに出た友人、菊田保夫(泉澤祐希)と樫山満(間宮祥太朗)。
菊田は父が亡くなって、米屋を継ぐ。
樫山は、ベースを弾いて、バンドをやりたかったのだが、自分には才能がないと見切りをつける。
才能のある佐野雅志(菅田将暉・さだまさし役)が何もせず、グダグダしている姿に怒りをぶつける。
が、雅志がお金に困って質屋に預けてしまったバイオリンを、自分のベースを売って取り戻してきてくれた。そして姿を消す。
どこへ行ったのか。それが描かれていない。

雅志は古田政美(本郷奏多・吉田政美役)に言う。
菊田と樫山にも感謝しないと。あいつらが僕らを出会わせてくれた、と。

昭和な青春かもしれない。

ゆるやかな優しさがいい。
ドラマチックとは過剰な演出のことではなく、
重なり合った人間模様、人生模様のことなのではないか。

挫折と、
その挫折の最中に自分のそばにある物事や人々、
そして、さらに挫折を超えた先にある見つけるであろう何か、
を静かに描いていた。
 
良質なドラマだった。