よりみちねこのドラマカデミア

よりみち視点でドラマをアカデミアするよ。

2015年11月

こんにちは。
よりみちねこです。

人は、相手のことを大切に思いすぎて、嘘をつくことがある。
それを「方便」と言う。
人は、誰かのことを愛し過ぎて、奇妙な行動を取ってしまうことがある。
それを・・・それはなんて言おうか。形や表現は様々だろうから、
まあ、とりあえず「意地悪」とでも言っておこうか。

今週の「偽装の夫婦 第8話」と「結婚式の前日に 第7話」は、
まさにそんなエピソードだった。
そもそもそういう物語なんだけれど、
そうなんだよ、と明瞭に物語ってくれた週。

「結婚式の前日に 第7話」
ひとみ(香里奈)の婚約者悠一(鈴木亮平)の母(江波京子)は、大切に育てた息子の将来を考えて、どうにかして病気のひとみと別れさせようとしている。そして、今週、ついに人非人なことを口走ってしまった。「あなたなんていなければよかったのに」。
しかしこの母にも人間の心は残っていたようで、罵りの言葉を吐いたあと、大きな後悔に襲われる。息子にも見放され、さらに後悔は深まり、途方に暮れる。そこへひとみが現れて、ひとみと母は、病院の院内教育のイベントへ。そこでは悠一が子どもたちに絵本を読み聞かせていた。悠一は、自分が医者になった経緯に母の優しい言葉があったことを子どもたちに伝えていた。

「流星ワゴン」(TBS 西島秀俊/香川照之)もそうだったけど、
意地悪やひどい仕打ちは、実は「おまえを愛しているがゆえだ」というオチがあるでしょう。
とくに、子供時代には、親の気持ちが分からなくて、また、親も子どもにどう伝えていいか分からなくて、誤解のオンパレードってことも多い。それがトラウマになっていることもある。互いに気づかないまま、憎しみ合ったまま、この世を去っていくこともある。あるいは、無理やり許し合う、そういう気持ちにならないと収まらないし、世間体もあるし。
そうした道筋を辿らないと人間は気づかない、ということもあろう。それだけの出来事と時間が必要であり、また、それこそがドラマなのだ、と。

けれども、もうそろそろ、こうした愛の表現は卒業しなければならない。
なぜなら、ドラマのように解決することは少ない。
そして、このような愛は不健全な愛だ。
ゆえに、そうした感情をぶつけられた人たちは、どこかで不具合をきたす。
「流星ワゴン」を観ているとき、特にそう思ったにゃん。 

「流星ワゴン」では、子供時代の不健全な親の愛。
「結婚式の前日に」では、子どもが大人になってから噴き出した親の不健全な愛。
しかし、そもそも、これらの不健全な愛は、厳しい言い方かもしれないけれど、
「身勝手な愛」だ。本当に相手だけを思っている無償の愛とは違う。
見返りを求めていたり、一番大きいのは、自分自分を満足させるため、自己愛。

人が人を思うとき、相手を思うあまり、ときに間違い、傷つけあい、すれ違い、見失うこともある。それでもそこから得られるものはあるのだろうか。 

これは、「結婚式の前日に」のなかで流れるひとみのナレーション。


「偽装の夫婦 第8話」
先週までに、ほとんどの登場人物の偽装はなくなった。
みんな本音を話したから。
今週は、泣けた。

ヒロ(天海祐希)が育ててくれたおば(キムラ緑子)の本当の思いと、ヒロの両親が死んだ本当の理由が初めて明かされた。
本当のことを知ったらヒロが傷つくと、おばもいとこたちも、ひた隠しにしていたのだった。
ゆえに、ヒロは、誤解して、心を閉ざし続けていたのだった。
これは、子どもが周囲の行為を誤解して、悲しい人生を歩むパターン。
本当はこんなにみんなから愛されているのに、自分に向けられる愛はなんて少ないのだ、と子どもは誤解しがちなのだ。
それに気づいく瞬間、それまで閉ざしていた心が開いて、受け止めることを拒否していた愛が、どっと流れ込んでくる。
泣かずにはいられない。

でもさ、
人は、どうして「嘘」をつくのかな。
「方便」は「愛」だ。
でも、本当のところを隠す「嘘」は、人の心を荒ませる。
つくほうも、つかれるほうも。

よりみちねこはね、あるとき思ったんだ。
どうしてみんな「嘘」ついて生きてるんだろう、って。
嘘ばっかり。
よりみちねこは、嘘がつけなくて、損ばかりしてたし、嘘がつけなくて叱られたり、嫌われることもあった。
とはいえ、正直も、言っていい正直とそうでない正直がある。
そうでない正直が「方便」なんだよ(ヒロの心の声の調子で)!

いろいろ言ってると、わけわからなくなってくるねぇ。

あ、このヒロのおばの家での「家族」の遣り取り、圧巻です。
おすすめ。 

今週はこの2つのドラマ、「救済」だった。
あ、そうだ、「下町ロケット」も、まさに「救済」だったね。
 http://drama-de-fantasy.blog.jp/archives/1045852765.html

最後に。
ヒロと超治の対話。このシーンもgood。「素直に生きること」を語り合う。

ホイットマン。
私もだれも、あなたにかわって道を歩くことはできない。
自分の道は自分で行くほかないのだ。

ヒロが超治に。
「(略)(偽装結婚を)実際にやってしまうあなたのバイタリティーと、愛情あふれるところが好きだったのに。世界中の人を幸せにしたい、笑顔にしたいと願うあなたのことが好きだったのに。
カート・ヴォネガットも“猫のゆりかご”という小説で言ってます。人間の言葉は数々あるなかで、もっとも悲しむべきなのは“だったはずなのに”」

「だったはず」と言わないようにしたいものだね。
思わず知らず言ってたりするから、気を付けよう、っと。 

そして二人は離婚した。
一年後にまた会おう、と。
さて、次回どうなるのかな? 


世の中って、誤解で成り立っているのかもしれないにゃ
でも、それじゃあいけないときにきているのかも。
誤解は決して優しくないから。

 
ドラマを楽しもう


こんにちは。
よりみちねこです。

「下町ロケット」 TBS日曜よる9時

すでにこちらでも紹介している。
高視聴率みたいだね。
朝ドラ「あさが来た」24・8%につけている。20.2%。
3位が「偽装の夫婦」で12.3%だから、なんとも差のありすぎることか。
(先週の視聴率・毎日新聞より)

第6話が良かった。
主人公・佃社長(阿部寛)のナイスなセリフが佃神父だった。
つまり、いわゆる神父さんのようなセリフだった。

第5話で、純国産ロケットの話は成功で終わり、
第6話からは、医療器具の話になった。
医療機器メーカーから、人工心臓の弁を作る依頼を受ける。

またまたライバル製作所と大企業、大学教授も絡んでの、駆け引きがありそうだ。
お決まりのそれはそれとして、
佃社長が神父のようだったシーン。

株式会社サクダラの桜田社長(石倉三郎)。
心臓のなかに埋め込む人口弁の作成を手伝ってほしいと、佃の元に来る。
費用の面からも断ることを決めた佃だったが、ぜひ、福井の会社に来てほしいと懇願される。
そこで、桜田社長のなみなみならぬ思いを知る。
 
心臓疾患で苦しんでいる人たち、とくに子どもたちを救いたい。
桜田社長の娘は、幼いとき心臓弁膜症と分かったが、成長するまで手術を待たなければならなかった。成長してからも、さらにその成長に伴って、何度も手術をしなければならない。あるとき血栓で弁が動かなくなって、結局17歳で、亡くなった。
だから、子どもでも使えるこの心臓人口弁をどうしてもつくりたい。成長とともに成長する弁。
 
そして、桜田社長は言う。
「これは私の夢ではなく、罪滅ぼしなんだ」と。
 
娘を助けてやれなかった。仕事仕事で親らしいことは何もできなかった。
「この仕事を成功させることだけが、私の唯一の救済なんです」
 
ロケット開発も、伊勢湾台風から始まったと言われている。あのような大被害を二度と出さないために、気象衛星を打ち上げた、と佃は語る。
 一度は断った協力要請を、受けることとした佃社長。
「私にはどう逆立ちしたって、桜田さんの悲しみは分かるもんじゃない。
ですが、娘さんのことがあったからこそ、ある未来もある、私はそう思います。
そういう悲しみや後悔を、プラスに変える力が技術にはあるんだ。
新型人口弁の開発は、今はあなたにとって贖罪なのかもしれない。
ですがそれがいつか夢だと言えるときが来てほしい。
私は技術者として、全力で、それをサポートしたい」

このセリフ、すごいな。
このセリフこそが、救いの言葉だよ。
桜田社長はこの佃からの言葉で、半分は救われたのではないだろうか。

「今はあなたにとって贖罪なのかもしれない。
ですがそれがいつか夢だと言えるときが来てほしい」

夢、夢とあまり言いすぎるのも、ドラマでも現実でもしらける部分もあるかもしれないが、
それはそれとしても、 
「贖罪が夢に変わるとき」それは、愛のときなのかもしれないね。
 
桜田社長と同質の思いを抱いて生きている人は、様々な世界にいるだろう。
ときに、償いの気持ちが夢に変わらない、変わり難い事情もあるだろう。死ぬまで持ち続けても許されない出来事もあるだろう。
しかし、贖罪は、直接でなくとも、他の人々への愛の償いによって癒されていくのかもしれないし、その道しかないときもある。
これは、神の領域とも言える。
佃社長は
「そういう悲しみや後悔を、プラスに変える力が技術にはある」
と言っている。
目に見えない価値を、目に見える形にすることができる、
その力が技術にはある、ってことだよね。 

阿部寛の濃い顔がイエス様に見えた?
ってことは・・・ない。 

第6話の佃社長のセリフが神父さまだった。
という、びっくりぽんなよりみちドラマ感想評でした

ドラマを楽しんでね
 


こんにちは。
よりみちねこです。

今シーズンのドラマも、いよいよ佳境に入ってきたね。
今日は、ちょっと斜めの観点からよりみち視聴評をお届けするよ。

 
「無痛~診える眼~」(フジテレビ水曜よる10時・西島秀俊/伊藤敦)
「偽装の夫婦」(日本テレビ水曜よる10時・天海祐希/沢村一樹)
「視覚探偵 日暮旅人」

先日「視覚探偵 日暮旅人」というスペシャルドラマ日本テレビで視聴した。
聴覚、臭覚、味覚、触覚、を失った松坂桃李演ずる日暮旅人(ひぐらしたびと)。
残された感覚である視覚、それも超視覚とも言うべき能力を使って探偵の仕事をしている。
HPによると、新感覚のヒューマンミステリー。
面白かった。途中、そこまでこの「感情の流れが見える」視覚にこだわる必要があるのか?といささかの中だるみを感じながらも見続けたが、なるほど、なかなかの出来栄えだった。
最後、親子の愛、人間愛、を形にしてみせてくれたところ、制作者がヒューマンミステリーと謳う所以に納得がいった。
この物語の詳しい内容は、HPや他の方々の感想なり批評に譲るとして、
よりみちねこは、最近のドラマに現れる「本来の人の目には見えないもの」を描くドラマについて少々、この時期に触れておきたいと思った。

ミステリーや刑事もので言えば、いわゆる霊能者が活躍するものもある。
霊能者とまでは言わなくとも、何かを感じるとか、
刑事の勘まで含めれば、けっこうな数の作品が存在する。
見えないものが見えてしまうために厳しい人生を送る主人公のドラマもある。
死んだ人との対話のなかで主人公が成長していくドラマもある。つい最近では「流星ワゴン」が良い例かな。
「デート」では、死んだ母親がいちいち現れて助言や文句を言っていた。
冷たく言ってしまえば、霊的存在や能力は、物語のなかで都合よく使えるツールでもある。
もちろんそこには、トラウマなども含めて、深い心理的意味合いが込められていることもあるので、好都合などと言っては失礼なこともあろう。

そもそも幽霊の類いはUFOや宇宙人、迷信や妖怪と同じくくりになっていて、
信じるか信じないかはあなた次第、の世界になっているのが普通で、一般的には、霊的な何かが見えるとか聞こえるとか言うと、奇異な目で見られたり、ときに良好な関係を社会的に築けなくなることすらある。
物語への霊の登場は、最近多いというわけではなく、大昔からある。
「マッチ売りの少女」は、マッチを擦って、死んだおばあさんが現れる。
天使や妖精も珍しくはない。アリエッティのような小人もいる。
そもそも、洋の東西を問わず、童話や昔話の類いは、不思議物語で溢れている。

閑話休題。

「無痛~診える眼~」は、こちらでもすでに紹介しているが、
人を見ただけで病気や犯因症(殺人の兆候)が見える、という医師・為頼が活躍する医療+刑事物語だ。
これなどは、あっさり描いているが、まさに霊能者そのものだ。
バラエティ番組でときどきお目にかかる、病気を言い当てる少女とか、犯人や行方不明者を霊視するというおじさんを彷彿とさせる。
このドラマの根底のテーマは霊能医師にはなく、殺人の意志だとか、苦痛を取り除く方法、といったところにあるようなので、霊能部門で取り沙汰されると不本意かもしれない。
が、霊能捜査官という存在が欧米にはいるようだが、霊能医師と言っても過言ではない。
本来、医者は、それに近い存在であるべきだと、よりみちねこは思う。
経験や医者の勘から、観察眼も含めた霊眼で、患者の抱えている病気が分かる、そこまでいって本物の医師ではないか、とすら思うこともしばしばある。
というのは、本当にこいつ(言葉遣いが悪くて失敬)診察しているのか?という医者も多いからだ。ヤブ医者。
その一方で、わぁ、すごいなこの先生、という一目置くべき医者もいる。
まあ、これだけ医療が科学的に発展した現代社会ですら、検査しても検査しても、痛みや不具合の原因が分からない、ということは往々にしてある。
そんなときふと思うのは、やっぱり医者には「診る眼」が必要なんじゃないか、ってこと。
「スタートレックの医療用トリコーダー」が開発されれば、誰もが医師と霊の能力を持ち得るが。

「偽装の夫婦」は、何度もこちらで取り上げているが、
主人公ヒロの心の声が、字幕で出てくる(物語が後半に突入して、心の声を実際に口に出すようになったが)。
つまり、人間には「本音と建て前」というのがあって(特に日本には)、大人になると建て前で生きていくことを半ば強制される、というのが本音だろう。
心の声を発信するドラマは他にもあるし、独白などは、まさにその類いだし、小説では当たり前のことかもしれないが、このドラマでは、心の声が「本音」、と言っても「悪態」や「嫉妬」「憎悪」というのとはちょっと違うと、よりみちねこは感じている。つまり、ドンピシャ当たっている感想や事柄だったり、悪意のない本心だったりする。
よく見過ぎか?それでもいい。
人の心のなかが透けて見えれば、人は嘘をつくことができなくなる。
ということは、人を騙したり、傷つけたり、ましてや悪意や嫌悪を抱いたりすることは恥ずかくなるはずだ。それでも平気な人、平気だと開き直る人もいるだろうが。
人は、隠そうとすることがあるから苦しむし、おかしなこともしてしまう。
このドラマでは、そもそもほとんどの登場人物が嘘をついている。
「建て前」と表現すると、いかにも大人の世界、エリートの常識のように仕向けられているが、端的に言えば「嘘」だ。

「視覚探偵 日暮旅人」では、日暮旅人が唯一持つ感覚の「視覚」で、人の感情を見ることができる。目の前に居る人だけでなく、残していった感情も見える。それで、探し物もできるというわけだ。探偵にはもってこいの能力だ。
確かに人は、その場に感情(念)を残す。それを敏感に察知する人もいる。
神社などで人はお願い事をするよね。その人の感情(念)はときに強欲だったり、悪意だったりすることもあるから、その残された念の影響を受けると危険だからあまり近づかないほうがいい、と言う人もいる。 
余談だが、スタートレックでは、こういった人の痕跡をトリコーダーで感知できる。
まあ、言ってみれば、何を隠そう(隠してないかもしれないが)旅人の視覚は霊(超)能力だ。
 
旅人も為頼も、明らかに霊能者、超能力者、ユリ・ゲラー(古いが、超能力者の代名詞として)だ。
二人とも、止まった時計の針を動かすことはできないが、「本当のところ」を見抜くことができる。でも、本音を見抜いたところで、それを正常に健全に戻すことはできない。

まだそこまでだ。
10年後には、健全を取り戻すための能力、魔法ではなく、何らかの相互作用と気づきに伴う気持ちの変化で治療できる、というドラマが流行るかもしれない。

魔法といえば、ヒロのいとこはマジシャンなのだが、彼、自分の魔法でみんなを、とくにヒロを幸せにしたいと思ってきたらしい。いや、今でも。

「視覚探偵」では、クライマックスシーンで、事件を解決したあとに人質になっていた人たちが笑顔になり、みんな喜んでいるように見えた。が、旅人には、薄汚い彼らの感情、ざまぁみろ、の流れが見えていた。
「みんなの笑顔がよく見えない」という旅人。薄汚れた今の地球では生きにくいよね。
できれば、嘘かもしれないけど、笑顔も見せてあげたい。
超視覚のない人間たちはとりあえず、みんなの笑顔が見えて、嘘かもしれないけど、心が嬉しくなる。 
知らぬが仏? 

人間の心がこのような動き、つまり本音と建て前で動いているうちは、
弱肉強食も戦争もなくならないのだろうね。
自分も含めて、情けなく悲しい。

「本音」が見える、ということで言えば、
人の「本性」が見える愛(いとし)くん(風間俊介)がヒロインの相手役だったNHK朝ドラ「純と愛」は、朝ドラとしては衝撃的なストーリーだった。
「偽装夫婦」と同じ脚本家、遊川和彦の作品だ。
これも、表ではいい顔をしている人たちが、心のなかでは舌打ちをしていたりする様子が見える。しかし、主人公の純(夏菜)だけは、そのまま、裏表がない。愛(いとし)は、純にずっとそのままでいてほしい、と頼む。

ということで、
ドラマを通じて、人間どもは、いや失礼、人間たちは、「本当の姿」というものがいかほどのものであり、正直であること、そして悪意とは何か、について知り得ていき、心を成長させていくのではないか、その途上かな、と、よりみちねこは思う。
無意識にしている行為だったり、抱いている思いだったりを、
ドラマという目に見える形で提示してもらうことで、次第に人間は目覚めていくのかもしれないにゃ


よりみち観点で批評してみた。

ドラマを楽しもうね

こんにちは。
よりみちドラマ感想評へようこそ。



「おかしの家」
TBS 水曜日よる11時53分
 
このドラマについては、2015秋ドラマスタートの記事では紹介していない。 
ドラマ評論家たちが良い良いと言うので、3話から観てみた。
 
良い!
ゴールデンでも、こうした良質の静かな奥深いドラマを放送できるといいのに。
つまり、視聴率?スポンサー?関係でできないのかにゃ?
制作者たちには、もっと自信を持ってほしいと思う。 

主人公・桜井太郎(オダギリジョー)(33歳)は、
祖母(八千草薫)と駄菓子屋「さくらや」を営んでいる。
そこに仲間たちが集まってきて、ああだこうだ語り合う物語。

第4話では、
店はいずれ確実につぶれる、売り上げは月に4万円程度、でも、この駄菓子屋が、だた無意味で無駄なものだとはどうしても思えない、と太郎がつぶやくところから始まる。
 
国土交通省の将来推計人口の動向によると、
日本の人口がどんどん減っていく。2100年には今の3分の1になる、と。
そりゃあ、客も減るわな、昔はこの店も子どもが溢れていた、と。
でも、そのころには太郎も死んでいる。 

これからの自分たちがどうなるか研究する、と、
大量の本を持ち込む太郎と弘樹(勝地涼)。
 
ウクライナもシリアも紛争中でたいへんだ。
人身売買も移民問題もたいへんだ。
自殺、原発、死刑制度、いじめ、孤独死。 
オレたちに何ができる。
 
災害、安保、領土問題。 
オレたちに何ができる。
 
基地問題、ギリシャ、麻薬、大気汚染、食品偽装。
オレたちに何ができる。
 
もうやんなっちゃったなぁ。
オレたちが子供のころ、こんな時代になるなんて、誰も教えてくれなかったよなぁ。
ああ、騙された気分だ。
 
そこで、もうひとりの友人・剛(前野朋哉)が、昨日のワイドショーのニュースランキングの話をする。
世界の問題に目をそらして、にやにやしながらバカみたいに生きていけ、
と剛に向かって叫ぶ太郎。
シビアな現実が目の前にあるでしょうが、シビアな現実から目をそらしているくせに何言ってんだ、
と歯向かう剛。

マクロの目とミクロの目。
世界情勢と自分たちが今まさに生きている社会。

どこを見て生きていったらいいんだろうね。
よりみちねこもときどき思う。

目の前の生活や仕事。そのなかでの理不尽。
世界の紛争や大きな社会問題は、確実につぶれるであろう自分の店と関係あるんだろうか。
シリアやウクライナの心配をしても、自分の店が持ち直すわけではない。
ってことだよね。 
じゃぁ、マクロの視点は逃避か?
・・・・。

この先どうなるのか。
青年たちもすぐ目の前のことに心を痛めている。
そして一方で、社会や世界へ目を向けると、
そこにもまた、心の痛いことで溢れている。

シビアな現実とは、目の前のことだけなんだろうか。
社会、国、世界で起きていることもまた、現実だよね。そしてやっぱりシビアだ。
より良くなっていくと思っていた(教えらえていた)世界が、今崩れかけているし。
え?ってなことがどんどんはっきり見えてくる昨今。

自分に痛みがあるから人の痛みも分かるって、子どものころ教わったんすけど、全然だめですね。
この距離でむりなんだから、ウクライナ人のことなんか分かるわけないもんな。
金八先生?人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから~♪
でもさ、その通りだとは思うんだけどね。 
でも、確かにね、とも思う。
痛みも、それぞれ違うし。

でもね、きっと、分かろうとすることが大事なんじゃないかな。

日々の暮らしと世界情勢、社会問題。
その対比が興味深い。
「理想と現実」とよく言うけど、その感覚に近いのかな。
両輪なのかもね。 

過労で倒れた礼子(尾野真千子)を病院へ迎えにいった車のなかで、太郎が言う。
太郎は、礼子のことが好きらしい。礼子は離婚して、息子がいる。
「ウクライナ、シリア、人身売買、移民問題、自殺、原発、死刑制度、いじめ、孤独死、
災害、安保、領土問題、基地問題、ギリシャ、麻薬、大気汚染、食品偽装、で、
おまえ、オレ、おばあちゃん、さくらや。
正直、どうしていいか分かんない。
とりあえず、おまえんちに向かいま~す」。
いろいろあるけど、
とりあえず「今自分のできること(すべきこと)をする」ってことかな?
その「できること」すらしないまま時が過ぎているときもあるからね。
 

八千草薫が演ずるおばあちゃんが、最高に素敵だ、にゃん

お薦めの作品。


ドラマを楽しんでね 


追伸
「5→9 私に恋したお坊さん」を観るのが苦痛になってきた。
ついに、観るのをあきらめた。録画しているので、12月に最終回だけ確認しようっと。


こんにちは。
よりみちねこです。

「偽装の夫婦」 日本テレビ水曜よる10時 
すでに第6話。折り返し地点だね。 

超治(沢村一樹)は、保(工藤阿須賀)に気持ちを打ち明けると出かけたまま帰宅しなかった。
なぜか気になるヒロ(天海祐希)。
超治は保に、自分はゲイだと打ち明けていた。
一方、自分の気持ちを正直に語ることのできるしおり(内田有紀)。
ヒロに、子どものパパになってほしいと思っているが、
ヒロが超治をどんどん好きになっているのに気づいている。
でもヒロは正直な気持ちを超治に言えない。
そんなとき、しおりの別れたDV夫のもとに、ゆう(娘)が連れ去られる。
DV夫は弁護士で、手ごわい。
が、ヒロの六法全書を全て覚えているという優秀さと持ち前の機転で、戦い、保も巻き込んで、ゆうちゃんを取り戻す。

ナイスなセリフ。
 
しおりとゆう母娘をヒロのおばの家にかくまっているとき、おば(キムラ緑子)がぽつりと言う。
「せめてあの子くらいは、将来、バカな男につかまらなきゃいいけどね、ここにいるおとなみたいに」
ヒロも、しおりも、そしてヒロのおばも、男運がないわけだ。
3人の女性たちに守られて、ゆうちゃんは幸せになってほしいにゃん。

ヒロの上司である図書館館長(田中要次)がうっかりDV夫に居場所を教えてしまう。
そして、対決。
「私はヒロさんが好きなの。だから家族になってほしいって頼んだの」
と、しおり。 
「女が好きだって言ってるような母親に、娘をまともに育てられるわけないだろう」
DV夫はそう言った。
まともに裁判をしたら、レズビアンのほうが不利になるのかな。
映画「チョコレートドーナツ」みたいに。

「そんなことないでしょう。レズビアンだって普通の人間だし」
超治が叫ぶ。 
「あんただっておかしいと思わないのか。男のくせに」
DV夫も叫ぶ。 
「ぜんぜん。だって、僕もゲイですから」 
これで、ヒロのおばに、ゲイと結婚したという裏話がばれてしまうわけだが、
はっきり堂々とカミングアウトできた超治。

「あんたみたいなDV男こそ、無人島にでも行って、死ぬまで椰子の木なぐってれば!
どうせ、父親が母親を見下すような家で育ったんでしょうけど、
いいかげん世界の中心は男じゃないってことに気づいたら?
女から生まれない人間なんてひとりもいないのよ。
あんたから見たらね、私たちが変かもしれないけど、
こっちから見たら、あんたの方がよっぽど変よ。
でもね、心の痛みは同じでしょ。私たちには、違いよりも共通点のほうがいっぱいあるの。
ささいな違いにこだわって相手を責めるのもうやめたら?
もう一度言うけど、心の痛みは同じなの。私たちに大した違いはない。み~んな同じなの!」
多様性、ダイバーシティって言うのかな、今。
違って当たり前、違いを認め合うこと。
そう、「みんなそれぞれ違う」けど、でも、「心の痛みは同じ」なんだ。
すごいな、このセリフ。

「もしも旦那さんが奥さんに暴力をふるう人だったら、上海ではどうなりますか?仕返しされます。まず無事ではすみません。自分でできなければ、親兄弟が代わりに仕返しします。こういうときに助けなくてどうして家族ですか。家族がいなければ、近くの友だちが助けます。それが友情です。違いますか?
奥田英朗の“ナオミとカナコ”の一節です。
またあなたが来ても、私たちは、しおりさんと、ゆうちゃんを守ります。それが友情ですから」
これを小説から探してくるって、すごい!
家族、友情、人を助ける、ということ。
仕返し、というなかなか激しい表現だけれど、それほど家族や友人を思う気持ちの大きさが伝わってくる。
DV夫が諦めないときのために。正々堂々と追い払うための強靭さ。

後日、保が幼稚園に集配に来て言う。超治から、返事はゆっくりでいい、と言われていた。
「ぼくはもう差別主義者にはなりません。
どんな人種だろが、仕事だろうが宗教だろうが、もちろん、ゲイやレズビアンの人も。
だから、あのぉ、とりあえず、二人で飲みに行くみたいなところから始めてもいいですか?
オレ、超治さんのこと好きだから。ああ、もちろん今は人間として。
ただ、オレ、ヒロさんのことも同じくらい好きなんです。
だからヒロさんのこと、これからも大切にしてあげてください。
そうじゃなかったらオレ、超治さんと会いませんから」
保は超治にどんな態度を示すのかな~、と思っていたけれど、
こういう展開かぁ。
なんだか、いい感じだね。
一方で、「正義の味方」を目指している保にとって、ヒロは「ヒーロー」。
偽装結婚とはいえ、ヒロのことを大切にしてくれと頼む保もまた、
ヒロのファンであり、よき理解者なんだろうな。
実は、ヒロのことを一番よく分かっているのは、超治。心の声までお見通しだもの。
その超治も、セリフの端々から、ヒロファンなんだな、ヒロを「ヒーロー」と認識しているんだな、と伝わってくる。
ウルトラマン?
いや、よりみちねこはウルトラセブンが好きなので、ウルトラセブン。 

余談だけど、
ヒロとしおりが図書館で話しているシーン。しおりは鋭くみんなの心を読んでいる。 
後ろの書棚の書物が興味深い。
テーマの統一されていない様々な書籍が並んでいる。
「水滸伝」などに交じって、「原発死」という背表紙が見える。
誰の采配?どうみても、故意だにゃん

ドラマを楽しもう
 

こんにちは。
よりみちねこです。

今日は、先日友人からいただいて、久々に観ることとなった映画、
2作品をご紹介する。
「今こそ観るべき」だと思ったにゃん

だたのSF映画、パニック映画的に捉えると間違ってしまう。
というか、
当時のよりみちねこは、そんな感じだったかもしれない、
と思うと情けない。
でもね、今だからこそ・・・なのかもしれない、とも思う。 


「コンタクト」
1997年 アメリカ
主演 ジョディ・フォスター 

アロウェイ博士(エリー)(ジョディ・フォスター)は、地球外生命とのコンタクトを求めて、天文台で探査を続けている。
あるとき、ヴェガと思われる方向から通信を受け取る。送られて来たデータの解析に成功すると、それは、一人乗り用のポッドと起動するための装置だった。
大統領の了解を得て、何が起こるか分からない巨大な装置を設計図通りに作り、送り出す人物も慎重に選び出すが、反対派の妨害によって爆破される。
しかし、北海道にもう一つ作られており、そこからエリーが乗り込むことになる。
エリーは、ワームホールを通って別の惑星へ辿り着き、そこで異星人と会うが、地球ではほんの一瞬でポッドが海に落ちただけだった。
エリーの体験談を誰も信じてくれない。
だが、エリーの記録(ノイズのみ)は、18時間にも及んでいたのは事実だった。

エリーの亡くなった父親の姿で現れた異星人は、まだまだこれからだ、と言っていた。

古い映画だけれど、あらためて今観ると、けっこう考えさせられてしまった。
 
まず、科学と宗教について語っている。
科学なのか?宗教なのか?
神を信じるか?
科学は神を冒涜しているのか?
 
地球外生命とコンタクトを計ろうとする科学者に罵声を浴びせるカルト教団的な人物。
彼は異星人を信じていないのか?
あるいは、宇宙人と触れ合ってはいけないという教義でもあるのか?
ただひたすら神だけを信じている?
それとも、自分たちこそコンタクトしたいのか?
よりみち的にはいささか不思議な感じがした。
いや、でも実際、そういうこともあるんだろうな。
みんながみんな歓迎するわけではないし、嫉妬もあるかもしれない。

このような新しいことが起こるであろう状況下では、色々な種類の人間の様々な思いが渦巻き、錯綜することは当然だろう。利権も絡んでね。
20世紀の終わりに、けっこうあけすけに表現されていたのだな。

宗教者たちの思惑も賛成反対、様々あるだろう。
市民たちだって、異星人を友好に感じる人もいれば、攻撃されるのではないかと恐れる人もいるだろう。
権力者たちは、その利権を我先に握ろうとする。
名誉、あるいはお金。
純粋に異星人と会いたいと思っていた科学者だって、本当に異星人が現れれば、権力に利用されていくことになるかもしれない。

誰かがどこかで、自分だけ得をしようと思っている人がいる限り、
異星人は本気でコンタクトしないのだろう。

エリーの恋人的存在パーマーは神父。
エリーは実証主義者。
一度は権力と口先だけのスピーチに負けてポッド搭乗者に選ばれなかったエリーだったが、狂信的人物のテロによって結局はエリーにその役目が回ってきたのは、選考委員のメンバーだったパーマーの気持ちによるところも大きいが、ある意味、神の思し召し的要素を示唆しているように見える。
自己本位の欲得のみで動く人物は排除された、という意味でも。 

エリーが、ワームホールを通って別の惑星へ行ったという話。
その証拠は?と問われても証拠など提示することができない。けれども、自分自身が確かに感じている、と主張する。
エリーが問いつめられるこの場面、スタップ細胞を思い出した。

よりみちねこは、目の不自由なエリーの同僚男性が気に入っている。
彼のような穏やかで特別な存在は、人を安心させ、助けてくれる。

人間の身勝手な強欲は、いつになったらなくなるのか・・・。
はやく異星人に会いたいね。
 

こっちはもっと古い。
「チャイナ・シンドローム」
1979年 アメリカ
主演 ジェーン・フォンダ

これ、今は地上派では放送できないかもね。
なにしろ、黒澤明の「夢」だって・・・。

ニュースキャスターのキンバリー(ジェーン・フォンダ)とカメラマンは、原子力発電所を取材中に、地震が起こり、原子炉に不具合が起きたのを目撃する。
ニュース発表は大したことはないとのことだったが、疑いを持ったキンバリーたちは、こっそり撮影していた映像を専門家に見せ、事の重大さを知る。
メルトダウンがおこる寸前だったのだ。
発電所は、再稼働しようとしている。
技師で責任者のゴデル(ジャック・レモン)は、不具合の原因を原子炉の溶接レントゲン写真の流用にあることに気づく。が、誰もとりあってくれない。検査などをすればどれだけの金が失われるか、そしてどれだけの金が入って来なくなるか、と。
ゴデルはキンバリーたちから、原発新設の反対集会での証言を頼まれる。
レントゲン写真を運んでいたキンバリーの仲間は交通事故を装って殺されかける。
最後、ゴデルは原発のコントロール室に立てこもり、原発の危険を訴える。
キンバリーが生中継することになるが、ゴデルは放送開始直後、撃たれて死ぬ。
稼働の圧力をかけた炉はパイプがはずれ、崩れる直前。

映画は、キンバリーが最後に発電所の外でゴデルの同僚にインタビューして終わる。
同僚はゴデルを英雄だと言った。

そして、音のないエンドロール。
不気味だ。

ウィキペディアによると、「この映画が公開されたのは1979年3月16日であるが、それからわずか12日後の3月28日にスリーマイル島原子力発電所事故が発生」したそうだ。

その後、チェルノブイリ、そして、福島と続く。

水位のメモリが下がっていき、燃料棒がむき出しになっていく様子に焦る技術者たち。
東京電力の当時のビデオの様子を思い出す。

レントゲン写真の流用は、今まさに起きているマンションの杭打ちデータのコピペをも彷彿とさせる。

なんということか。
不具合の元をたどると『「お金」に辿り着く』というのは、本当だ。
そのくらい大丈夫、と思える神経は理解しがたいが、
そこも上からの圧力で押し切られるとどうしようもない、ということか。
マスコミも同じだ。
キンバリーたちは、上の指示に逆らって行動したのだから。
それでも、殺されてしまったら、何も訴えられない。 


ぜひ、上記2つの映画、初めての人も、かつて観た人も、
鑑賞する価値はあると思うにゃ
時間がなければ、お正月にでも。

たったの2,30年で何かが大きく変わるとは思わないが、
しかしその間、世界の原発はどれだけ増えたのだろう。
紛争も戦争も、どれだけ増えたのだろう。

地球人は、いつになったら、異星人と交流できるのだろう。

今現在をさらに厳しい視点から見つめることができる映画だ、と思う。
まるで予言と警告。
・・・・・・

こんにちは。
よりみちねこです。

まだ書いていなかった今クールのドラマスタート。


「サムライせんせい」 テレビ朝日 金曜夜11時15分

テレビ朝日のこの枠は、わりと良質なドラマがある。
前クールは「民王」。
少し前だけど「死神くん」も良かった。

漫画原作だそうだけど、よりみちねこは読んだことがないので、
ドラマの評価のみする。

面白い。今のところ。
まだ放送2話。
武市半平太(錦戸亮)が、江戸時代から現代にタイムスリップして来て、
本人も周囲も戸惑いのなかで殺人犯と向き合うことになり(第1話)、
その犯人を捕まえて、先にタイムスリップして来ていた坂本龍馬(神木隆之介)とようやく出会う(第2話)、というところまで。

事件を解決したことで信頼を獲得。
役所勤務の佐伯晴香(比嘉愛未)の祖父・佐伯真人(まこと・森本レオ)の学習塾で先生をすることを小学生の母親たちから求められる。
ゆえに、「サムライせんせい」なのかな?
佐伯家は、サムライせんせいが現代へやって来たときに最初に世話になった家。昔ながらの大きな屋敷。真人は、武市半平太のことを疑うこともせず、すんなりと受け入れる。

江戸時代の人間の目や心には、現代の日本はどう映るのか。
サムライ先生の分からないことを通して、現代人はあらためて自分たちのいる世界を見つけることができたり、ときにそれは、便利だったり、要らないことだったり、という今を見つめ直す、そういったドラマでもあるかな、とも思う。
きっと何か問題が起きて、解決していくことになるだろうから、
サムライ先生の采配に期待したいところだ。

武市半平太と坂本龍馬がどうからんでいくのか、
そこも見どころだろうか。

タイムスリップものも昨今色々あるが、
逆パターンが「仁」。現代の医者が江戸時代へ。
タイムスリップではないが、サムライが、困ったときに高校生にのりうつる「サムライ・ハイスクール」ってのもあった。三浦春馬、城田優、杏、が出てたよね。
いずれも、「別の時代の人」を「別の視点」として扱っているのだろう。
「別の視点」から物事を捉える、再認識するという点でいえば、「泣くな、はらちゃん」(長瀬智也、麻生久美子)や「Q10(キュート)」(佐藤健、前田敦子)をあげることもできる。
前者は、マンガの中のキャラクター。後者は、無垢なロボット。
それぞれの反応が、現代人には新鮮で、ときに辛辣だ。

人間は、ときどき立ち止まって振り返ることで、
反省もし、感謝もしなければいけないのかもしれない。

「サムライ先生」がそのようなドラマかどうかはまだ判断しきれないが、
続けて視聴しようという気持ちになっている。


「遺産争続」 テレビ朝日 木曜夜9時

研修医・育生(向井理)は、バツイチの恋人・楓(榮倉奈々)と結婚。
楓の実家に婿入りすることを要求され、受け入れる。
楓の祖父・龍太郎(伊東四朗)は、カワムラメモリアルという葬儀社の創始者であり会長。現在は、娘婿の恒三(岸部一徳)が社長。
龍太郎の3人の娘たちは、虎視眈々と祖父の遺産を狙っている。
皆、欲深い。
育生だけは、今のところ無欲のようだ。婿入りしたとはいえ。
龍太郎は、育生に全財産を譲りたいと弁護士に相談するが、それはできないと言われる。
方法は、養子縁組をして、育生を息子にするだと教えられる。

他にもあやしい癖のある人物が目白押し。

第2話。最後。喧々諤々の夕食の席。
育生
「僕はこの家の財産は1円もいりません。金持ちは自分に人が近づいてきたらすぐ金目当てだと思いたがるけど、そんなやつばっかじゃない。あんたらバカみたいだ。お父さんもお母さんも、おじいさんも、おばさんたちも、それから楓も。みんな金に踊らされてるだけだ。哀れだ。たかが遺産、たかが金じゃないですか」
おばの月子(室井滋)
「何をえらそうに。出て行きなさい」
育生
「僕は出て行きません。僕は、河村の家に来た目的がありますから」
恒三
「目的?どんな目的だね?」
育生
「楓を幸せにする、それだけです」

育生は最後まで、このピュアを保っていくのか?
いったらいったで、どんな槍が降ってくるのか?

よりみち的には、すっごく面白くはないけれど、
暇なときに観てみます。


これで、とりあえず、2015年秋ドラマスタート感想は終わり。
12月に、どんな感想評を発信するか、お楽しみに。

気に入っているドラマの感想評は、都度、書くので!
読んでね~

ドラマを楽しんで


「あさが来た」NHK 連続テレビ小説

2015年9月28日~2016年4月2日

10月最終週で、ドラマは5週目になり、
よりみちねことしては、俄然、おもしろくなってきた。
 
土曜日に再放送でまとめて観たり、録画したものをまとめて観たりというのが、
朝ドラのよりみち的鑑賞方法。
他の仕事をしながら見ていることも多いのだけれど、
4週目から「おもしろい!」となってきて、
ついに5週目は、興味深さが募って、仕事の手を思わず止めてしまった。
じっくり観た~い!

それほど期待していなかった。
よりみちねこは、主演の波瑠ファンなので、
波瑠を見るためだけにこのドラマを観る、でもいいか、くらいの気持ちで観続けていた。
ところが・・・という感覚が芽生えたところで、ようやく「よりみち感想評」を書くことにした。

原案の本があるようだが、
脚本は、大森美香。
よりみちねこがだ~い好きな映画「プール」の脚本・監督の人だぁ~。
DVD持ってます。繰り返し観てます。

幕末から明治、大正を生きた女性「あさ」(波瑠)は、京都の豪商の次女。
おしとやかで作法を心得た姉「はつ」(宮崎あおい)とは正反対のおてんば娘。両親も手を焼くほど。
 
二人の娘には「いいなずけ」がいた。大阪の両替商加野屋と山王寺屋。
あさは、加野屋に嫁ぐが、実は、山王寺屋へ嫁ぐ予定だったのを、子どもころのあさのおてんばぶりを嫌われて、加野屋が引き受けてくれることになったのだった。
それは運命だったのか、山王寺屋の母と息子(はつの夫)はひと癖あった。
明治維新により、世の中の制度が変化。
加野屋は、あさの持ち前の商才で、苦しいながらも店を持ちこたえ、新しい商売へと心を向けていくが、山王寺屋はつぶれ、夜逃げをすることに。

あさの旦那、白岡新次郎(玉木宏)は、夜な夜な三味線の稽古に出かけてしまう遊び人。店の手伝いはほとんどしない。店では、顔立ち良いから座ってるだけ、と。
このたらたら、ぶらぶら振りが玉木宏にぴったり。
新次郎は、あさを心配しながらも、応援している感じかな。
いや、どんどん引っ張られていく感じ?
とはいえ、そもそもあさの商才を強く目覚めさせたのは、あさが子どものときに新次郎が与えたソロバンではなかったか。
あさは大人になった今も、その子供用のソロバンを大事に使っている。

幕末、つまり江戸時代ですな。
この時代、おなごが勉学するとか、勘定するとか、口出しするとか、
あり得ないこと。
それをあさは、ものの見事にやらかしていく。
ときに命も省みず、新選組と渡り合い、役人に文句を言う。
豪快だ。

まあ、女主人公にはよくある性格のパターンかもしれない。
破天荒な女性が、新しい何かを生み出していく、みたいな。

あさは、日本で初めて女子大学を創設した女性をモデルに描かれている。

さて、江戸時代は終わった。新しい明治の世。
あさは、元薩摩藩士で現政府役人五代(ディーン・フジオカ)を師としながら、
新しい商売(石炭)を画策している。

一方、はつの家族は、夜逃げのあと、とある農家に身を寄せていた。
が、旦那(柄本佑)が失踪してしまった。

あさ役の波瑠とはつ役の宮崎あおいが、
ダブルヒロインだ、ということで巷では煌めいているようだ。
よりみちねこも、正直、主役級の宮崎あおいが主役の姉役かぁ、と、
いささか胸がざわついた。もしかして、食われる?な~んて。
でもぜんぜん。波瑠はしっかりと無邪気な演技で「あさ」を演じている。
対照的なはつの存在がより引き立てている、と言えないこともないかもしれないが、
けれども、ダブルヒロインという感覚は、よりみちねこにはない。
「花子とアン」のときもそう言われた。吉高由里子と仲間由紀恵。
主役級の役者が、脇役をしっかりと務めることで、そのお株も上がる、のでは?
なにも、ダブルヒロインなどと持ち上げなくてもいいような気がするが、
そう思うのはよりみちねこだけだろうか?にゃん。

そうそう、
劇伴も良い!劇中のBGM。
最近売れっ子の、林ゆうき。
音が非常に現代風。幕末から明治、って雰囲気とは全く違う。
なのに、しっくりくる、というか何というか、
音楽自体の出来栄えが良いのだろう。
邪魔にならず、印象的。

ちなみに波瑠。
「相棒」11シーズン元旦スペシャル「アリス」でファンになった。
NHK「おそろし」も良かったよ、ホント。

さぁて、今後の展開が楽しみだ。来年3月まで続くね。

追伸
あさが驚いたときに使う「びっくりぽんや」。
あんまり流行りそうもない・・か・・・

ドラマを楽しんでね

 

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