よりみちねこのドラマカデミア

よりみち視点でドラマをアカデミアするよ。

2017年12月

よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

「民衆の敵」最終話
主演/篠原涼子


視聴率が半端なく悪かったようだ。
平均が4.6%で、フジテレビ月9ワーストだそうだ。

なんでそこまで低かった?
恋愛ドラマではないから?
政治家の不倫ドラマとか、そういったものが望まれているのだろうか。

そう思うと、もっとデフォルメされていてもよかったのかもしれない。
けれども、最終話を観ると、製作者側の意図、伝えたかったことは、
主人公の佐藤智子(篠原涼子)が思いっきり嫌なやつになってしまうと伝わらないのではないか、とも思う。そこから気づいて云々とかなると、1シーズンでは済まない。あるいは、悪事が偶然の成り行きで良い結果をもたらす的手法も、どうなのかな。

とはいえ、たった1クールで、パート主婦が議員報酬目当てで市議会議員になり、市民のためにと市長になり、最後は世の中を変えるために国会議員になる(3年後のテロップはあるが)というところまで進むとは、あっぱれ!と言っておこう。
あまりぐちゃぐちゃこね回してもね。
とはいえ、視聴率を考えると(視聴率が全てではないが)、もう少し何か工夫のしようがあったのかな、と身勝手なドラマウォッチャーとしては思わないでもない。

それとも、視聴者側の問題なのかもしれない。
いわゆる忖度社会になれてしまって、健全を考えることを忘れているか、いけないと思っているか、面倒でつまらないと思っているか……。
そして、結局こうした考える力を育てるドラマは視聴率が取れないのだ、とテレビ局が判断して、さらに日本のテレビドラマが陰っていく、ということになるのだろうか。

さて結局「民衆の敵」は誰だったのか?
佐藤が市議会選挙に出てそして市議になったときは、自己保身ばかりの市議(政治家)たちのことだったと思う。
ところが佐藤が市長選に出ることになったとき、佐藤よお前が民衆の敵だったのか、そんな感じだった。
最終話が近づくにつれ、事態が変わって佐藤の無邪気な本性が現れた。

そして最終話。
ナイスなセリフが際立った。

議場で、産廃処理場をつくるかどうかの対話。佐藤と藤堂(高橋一生)。
反対する佐藤に藤堂は言う。
どこかでつくらなければならない。日本中が反対するから決まらない、と。
でもそれを受け入れれば、多額の交付金が入ります。その交付金があれば佐藤市長の福祉政策は全て実現します。青葉市民はいまよりさらに幸せになりますよ。安全だって十分に担保があります。それでも反対しますか?
そんないい事だったらさ、なんで最初からそう言わないの?ニューポートなんて市民騙すようなことしたの?
最初から言ったらみんな反対するでしょう。さっきの佐藤さんみたいに、反射的に反対するんです。
多くの場合、民衆のほとんどは政治家の言うことに聞く耳をもたない。聞くことを放棄しておきながらあとで聞いていなかったって言うんです。なら、民衆には伝えず、導いたほうがいいときもある。

そんなのおかしいでしょ。民衆のことバカにしてるよ。そんな政治家が世の中おかしくしてるんだよ。
佐藤さんは選挙に行ったことありますか?正直に。
ない。
なぜ行かなかったんですか。民衆に与えらえた権利です。民衆をバカにする政治家が嫌なんだったら、そんな人間に政治をさせなければいいんです。民衆にはそれを選ぶ権利があります。それが選挙です。その権利を放棄しておきながら、世の中おかしくないですかって、僕はそっちのほうがおかしいと思います
じゃあ、選挙んとき、あれ本当のこと言ってるの?いいことばかり並べ立ててさ、当選したらてのひらかえすような人だっているじゃん。
だから、よく聞いて見極めて、そんな人に政治をさせたらだめなんです。それが主権在民ということです。ひとりひとりが自分でしっかり後悔のないように選択するんです。
父親のような政治家になろうと思っていた藤堂。高校生のとき、ある法案を強行採決する父が藤堂に言った。
独裁政治だと言われてもしかたがない。おろかな民衆を導くためには、独裁しか手がないときもある。僕は耳を疑いました。この人は本気で言ってるのかなって。で、本気でした。
駆け引きや根回しなら、それは政治ですからある程度はしかたがないと許せました。ただ民衆を愚弄することだけはしちゃいけない。民衆のための政治だというその理念を失っちゃいけないんだ。

そうだよ。藤堂さんが正しい。
でもそのときの僕は言い返さずにあきらめたんです。
佐藤さんは、僕があきらめる前の僕なんです。だからずっと見てきたんです。
もし高校生のころあの父の言葉を聞かずに政治家になっていたら、きっとあなたのような政治家になっていたのかもしれないと思うと目が離せなくなった。だからどこまでやれるか、応援したんです。

だったら最後まで応援してよ。
もちろん今でも応援してますよ、ずっと。ただ、あなたのやり方では限界があることが分かりました。
あなたのやり方では小さな町づくりがせいぜいです。国家を動かすことはできない。

国家なんて私そんなだいそれたこと考えてないよ。
あなたの仕事はその大それたことにつながっているんです。だって、世の中をよくしたいんでしょう。誰も犠牲にせず、何の犠牲も払わないなんて不可能です。最小限の犠牲で最大限の幸福を実現すべきです。
だれかが幸せになるために誰かを犠牲にするなんて、そんなのおかしいでしょう。
おかしいっていうのは簡単なんです。できれば僕だってそんなことしたくない。でもきれいごとだけじゃだめなんですよ。多数を守るために少数を切り捨てる厳しさももたなければならない。あなたと一緒に行動してきて、僕はやっと父の正しさも分かるようになったんです。
じゃあさぁ、藤堂さんには分かる?切り捨てられて一人になる気持ちが。分かるわけないよね。だって切り捨てられんのはさ、いつだって弱者だから。私には分かるよ。いつも切り捨てられる側だったから。切り捨てられてるって声をあげる人のうしろには声すらあげられないような人たちがたくさんいるんだよ。
民衆が賢くなれって、あんたみたいな立場で言うのは簡単かもしれないよ。でもさ、毎日ごはん食べることだけに必死でさ、自分が切り捨てられてることすら気づかないでいる人たちがいるんだよ。そんな人たちにあんた言える?もちろんそういう人こそ声をあげていかなきゃいけないよ。でもさ、そういう人にだからこそ、政治の支えが必要なんじゃないの。
賢くなるっていうけどさ、機会与えられてないからさ、声をあげる方法だって分かんないんでいるんだよ。それで、いないことにされちゃって。簡単に切り捨てられちゃってるんだよ。
だから私が、そういう人たちの味方になってあげなきゃだめなの。私がそういう人たちを守ってあげなきゃいけない。
あなたの考えはよく分かりました。
ホントに?ほんとうに分かってるの?

ええ、それが佐藤市長の判断なんですもんね。
だって、みんなが幸せになるために、誰かがひとりでも犠牲になるなんておかしいでしょう。
ひとりの幸せのためにみんなを犠牲にするなんておかしくないですか?どちらが正しいなんてそんな単純な話じゃありません。きっとどちらも正しい。だから、あなたはあなたが信じる道を進めばいいんです。
僕は国政に行って、みんなの幸せを選びます。あなたは……


そして、産廃処理場を誘致するかどうかは市長が決めないでみんなで責任をもって決める、
という方法を市民に呼びかける佐藤市長。市民の議会。
直接民主主義、と動画を見ながらつぶやく藤堂。

市民の議会にも市民が次第に多く集まり始め、活発に意見が交換されるようになる。

そして、佐藤市長は市民に向かって言う。
いいですかみなさん。私たちは、ひとりひとりの無関心が積み重なって、結局は一部の人間だけが得をする、そんな世の中になってしまうんです。
あとんなって、あれ?おかしいなぁなんて思ったってもうおそいんですよ。
「民衆の敵」は外にいるんではありません。
私たちひとりひとりの無関心、それこそが「民衆の敵」なんです。


「今の世の中、突拍子もないことが起きる。
だが、突拍子もないことは実は突拍子もなく起きたりしないものだ。
突拍子もないことでこの町を変えた、これは佐藤智子の物語である」

佐藤の友人でジャーナリスト(新聞記者)の平田和美(石田ゆり子)がフリーになってが本を出版。


国会議事堂を背景に佐藤智子議員がカメラ目線で言う。
「本当にこの世の中を変えられるのは、あなたです」


最終話のセリフは正義と熟議にあふれていた。
佐藤の行動は、討論、検討とはいかなるものか、
主権在民、民主主義の姿をありありと示してくれていたと思う。


「民衆の敵」は自分のなかにいたんだね。


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「トットちゃん!」テレビ朝日
主演/清野菜名


黒柳徹子の半生を描く。
テレビ朝日の昼帯ドラマはこれで2作品目。
前作「やすらぎの郷」が2クールの放送だったので、「トットちゃん!」もてっきり半年続くのかと思って観ていたところ、なんだか話の進み具合が早い。
「徹子の部屋」「ザ・ベストテン」「ふしぎ発見」がもう始まってる。このあと何を描くんだろう?
半年間の放送だと、最終週直前まで疑わなかった。

そして、やっぱりそうか、と気づく。
そしてそして終わってしまうことが寂しかった。

特に子供時代のトットちゃん。最高に面白かった。
面白かったという表現には齟齬があるかもしれない。
でも、面白かった。
日頃から黒柳がテレビで語っている思い出話、それらがうまく構成されていた。

「トモエ学園」は、今こそ必要な学校だ。
個性を大事に育んでいくこと、純真に生きることの大切さ。
そして、人生の理不尽や悲しみ。
それらが満載に描かれている。
感受性の強い徹子は、そうした体験を深く深く感じ入っていく。
その都度徹子が感じ、今でも忘れずに心に思っている事々を、大下容子アナウンサーの声がナレーションしてくれる。

アナウンサーのナレーションと言えば、
現在放送中のNHK朝ドラ「わろてんか」では小野文惠アナウンサー、
今秋期のTBS日曜劇場「陸王」では八木亜希子元フジテレビアナウンサーと、
アナウンサーの声が大活躍。
どれも自然な雰囲気でなかなか良い。
八木亜希子は「トットちゃん」にも出演。徹子の母・朝(ちょう)の叔母役。

黒柳徹子は、親密な間柄の人の死に子どものころから多くあっているように感じる。
もちろん、もっと多い人は世の中にはいくらでもいるだろうが。
友人、弟、父、向田邦子、渥美清……恋人。

黒柳の父母の「すごさ」があってこその黒柳徹子なのだな、ということもよく分かる。
母の朝(ちょう)の半生は、NHK朝ドラ「チョッちゃん」でドラマ化。このときチョッちゃん(ドラマの役名は蝶子)役は古村比呂。その古村は「トットちゃん!」では朝の母親役を演じた。
徹子の母親は、音大に通うお嬢様でのんびりしているようではあるが、ものすごい生命力のある人だ。
とくに、戦争疎開中の朝のたくましさは見事だ。
そして、バイオリニストの父親ともども、徹子をまるごと受け止めている。
いやもしかしたら、徹子以上に個性的な夫婦だったのかもしれない。
さらに、この徹子の父は、いわゆる芸術家気質ではあるが、非常にぶれない心の芯を持っている。それが偏向的ではなく、がんこで柔軟とでも言おうか。深い人生哲学に基づいているように見える。
赤紙が来て戦地へ赴くとき、「明児(めいじ)の死よりつらいものはない」と言って旅立っていく。明児とは、徹子の弟で幼いときに亡くなった。
深い言葉だ。芸術家にとって戦地などはまったくもって不似合いな場所だ。そこへ行く覚悟をこうした言葉で表現するとは、ずっしりと響いてくる。
この夫婦にして徹子あり、なのだろう。

黒柳徹子の恋愛話が登場するのは、このドラマがはじめてではないだろうか。
NHKで放送した「トットてれび」(主演/満島ひかり)では、渥美清があこがれの人だったように描かれていたと思う。

徹子の恋人は世界的ピアニストのカール・祐介・ケルナー(城田優)。
これは本当に実話らしい。
ほとんどが実名の登場人物のドラマのなか、彼の名前は仮名のようだったが、実話らしい。
彼の病死までの長い年月、恋人として過ごした。
祐介役の城田優がナイスだった。その城田も、
「徹子の部屋」で、これは本当にあったことなんですよね、と尋ねていた。演者もそう思うのだから、視聴者も、あるいは日本国中、ほんとなの?と思ったのではないか?
城田はドラマのなかでも「徹子の部屋」でも歌を披露してくれたが、大変よい声だ。黒柳も感心していた。
そういえばドラマ「表参道高校合唱部」では合唱部の顧問先生の役だったな。
英語もネイティブのように聞こえるが、もともとは喋れないとのこと。勉強したそうだ。
城田は以前から注目していた俳優だが、上品な雰囲気と知性がさらに増しているように感じた。

それにしても、黒柳とこの音楽家の恋愛関係、よくマスコミに気づかれなかったなと、
それが不思議。
徹子の恋愛は、脚本の大石静が一番力を入れて描いたエピソードだったのだろう、と思う。

そういえば、以前、女優だったかタレントだったか、黒柳さんってもてるんですよね、外国の方に。プロポーズされて云々、と喋っていたことがあったが、この人のことだったのだろうか?

このドラマを通して視聴者は、戦中の日本、戦後のテレビ草創期など、
尋常でない世界を徹子役の清野菜名とともに体感することができる。

そしてやっぱり思うのは、黒柳徹子は特別な天才でもある、ということ。
でもそれは決してエゴ的世界ではない。むしろ全くその逆である。

テレビジョンで世界がつながると平和が訪れる、
そう思われていたようだが、
今はどうも違う方向に行っている。

黒柳徹子は、テレビを通して平和の大切さ、差別のない世界を伝えつづけきた。
そしてこれからも伝えてください。

すばらしいドラマをありがとう。


よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

秋ドラマシーズンも終わりました。
いよいよ年末から年始にかけては、再放送やスペシャルドラマを楽しむ時期になりますね。

「先に生まれただけの僕」最終話
主演/櫻井翔


よりみち的には目立った秀作もない今シーズン。
そのなかでは、久々にナイスなセリフの多かったドラマ。
現代の教育、いや大人の人生にも欠けている、
もしかしたら日本人はあまり考えてこなかった個々人を大切にするという感覚を提示してくれて、それがいかに心地よいものであるのかを教えてくれたドラマだった。

全体として役者と配役のバランスも上手に取れていたと思う。

脚本は福田靖。
「救命病棟24時」「DOCTORS」等々を手掛けている。
「CHANGE」もナイスなセリフがあったと記憶している。

そして最終話。
まさにナイスなセリフがあった。
鳴海校長(櫻井翔)から生徒へ向けてのスピーチ。
鳴海校長は、高校の校長として残ることを決意。

その前に、ほっとしたのは恋愛劇。恋愛騒動にならずvery goodだったと思う。
ありがちなのが、必ず恋愛のドロドロや駆け引きを盛り込む話。
よりみち的には、そこは恋愛ドラマでやってくれ、と言いたいところ。
真柴先生(蒼井優)の校長へのほのかな恋心はそれ以上発展することもなく、
鳴海校長の婚約者・松原聡子(多部未華子)は、いっとき鳴海から離れるが、鳴海の仕事を理解して戻ってくる。
その松原に横恋慕の後藤田(平山浩行)は、松原が婚約を解消したと知ってガッツポーズ。しかし、鳴海と松原がよりを戻したあと、彼がどうなったのか分からない。
真柴先生を慕っている島津先生(瀬戸康史)。真柴には全くその気はなかったが(むしろ鳴海に惹かれているので)、最終話では少し近づいた。
このドラマの恋愛エピソードは健全でさっぱりしている。
それは、鳴海校長の真面目さにあるのかもしれない。
先の記事にも書いたが、え、そっち?と思った展開を見たのは、「恋愛」にスポットがあたった回。
ちょっと戸惑ったが、その戸惑いを見事に裏切ってくれた。
鳴海は真柴と、松原は後藤田とより近づく、というパターン。
真柴と松原は女の勘で、互いに探りを入れあってはいたが、不気味な進展は見せなかった。
まずは、鳴海が誠実で松原への気持ちが揺らいでいないこと、それから、真柴も松原も、自分というものをしっかりと持っている女性だということ、そうしたキャラクターが低俗表現を寄せ付けなかったのだろう、というのがよりみち的感想。
よかったと思う。

もうひとつ付け加えれば、加賀谷専務(高嶋政伸)のパワハラ。
コメディシーンとしての登場ではあったが、少し前だとこれがけっこう恋愛同様、本気の騒動になっていたと思う。そっちに気を取られて肝心のドラマの趣旨が見えなくなるようなことがあったが、というかむしろそちらが本筋のドラマが多かったと思うが、ある意味発展型のドラマなのかもしれない。
それも脚本家の腕というだけではなく、鳴海校長というキャラクターがそうさせたと、よりみちねこはあえて感じている。

最後に、鳴海校長のナイスなセリフをご紹介します。

入学試験の日。
今、みなさんの目の前にある試験問題は、京明館高校からみなさんへのメッセージでもあります。奇をてらった難しい問題はありません。中学校の授業をきちんと聞いていれば、解ける問題ばかりです。こっから先は僕たちといっしょに勉強していこう。そんな気持ちを込めて、今日の試験問題をつくりました。今日は悔いのないように、全力を出し切ってください。
太字部分、ナイスですね。
入学試験は、特に大学入試は、いかに落とすかに重点のある意地悪な問題が多いですから。
フランスのバカロレアは超難しいですが、意地悪問題はないと思います。

それから時が過ぎ、夏休み前日。
昨年度みなさんの先輩は京明館高校創立以来、最高の大学進学実績を残してくれました。
でも、みんなは、とくにこの特進クラスのみんなは、そんなことをプレッシャーに感じる必要はありません。隣りの人と自分を較べる必要なんてない。目指すは自己ベスト。自分史上最高の自分になることを目指して、この夏を過ごしましょう。
今高校一年のキミたちと10年後のキミたちは別人ではありません。今日の自分が明日の自分になり、明日の自分が明後日の自分になり、そして10年後の自分になっていきます。
もし10年後、自分がこうなっていたいと思う何かがあるなら、今日のうちにやっておかなければならないことがひとつやふたつあるはずです。

二年生のみんなは、この夏のうちにやれることを思いっきりやってください。勉強することは大事です。でも大学に入ることがゴールではありません。その先に社会があります。学校とは全く違うルールでできた世界に、いずれみんなは出ていかなくてはならない。僕はこの学校の校長先生ですが、だからといって、偉そうにするつもりはありません。僕はただ、みんなより少しだけ先に生まれてきただけなんだから。だから先生としてではなく、ひとりの人間として伝えたい。
これから世の中はどんどん変わってくるだろうし、キミたちの人生もいろいろなことが起こるかもしれません。これでいいのかなぁとか、私に才能なんてないのかなぁとか、何度も不安が押し寄せてくるかもしれません。でも、みんなに未来を見通す力なんてありません。そもそもキミたちが何かをするまで、未来なんて存在しないんだ。だから、キミたちができることは、あがくことだけです。不思議なものであがいて進んでいくと、見えてくる景色があります。やってみないと分からないことがやまほどある。やってみないと分からないことしかない、と言い切ってもいいかもしれません。だから、だからなんでもやってみよう。冒険してみよう。冒険しても文句を言う人はいません。うらやましがる人はやまほどいるかもしれないけどね。

他人と較べるのではなく、較べるなら過去の自分。
今の自分が10年後の自分をつくる。別人ではないけれど発展している。
ならば、今すべきことがあるはず。
「今に集中しろ」は、
自己啓発でもスピリチュアルでも、脳科学でもさかんに言われていることだ。

校長という肩書がどれほど偉いのか知らないが、やたらと威張っている人はけっこういる。
その肩書きを振りかざして文句を言ったり、打ち負かそうとする人もいる。私も実際知っている。
校長の前に教育者の資格が問われると思う。
が、校長に限らず世の中には、簡単に偉くなってしまう人の方が多いのだろう。

「自分が何かをするまで自分の未来は存在しない」とは名言だ。
未来のために、自分がそうなりたい未来のために行動を起こせ、
ということでもあるのだろう。
そして自らの意志や望みに従って行動を起こす、つまり冒険に出る人に文句を言う人はいない。うらやましいと思う人はいるだろう、と。
将棋のプロを目指したい生徒のエピソードで、父親が言っていたね。うらやましい、と。
ただ、文句は言わないかもしれないけれど、うらやましいと思う人たちのなかには、足を引っ張ったり、邪魔をしようとしたり、批判めいたことを言ってきたりする人はいる。そういうやからは無視すればいい。

あがく。「あがいて進んでいくと見えてくる景色がある」、これも名言だ。
この鳴海校長の助言から思い出したことがある。
よりみちねこの息子が高校受験のときの塾の先生が言っていた。
「じたばたしてください、最後まで。じたばたすることを恥ずかしいと思う人もいるようですが、是非じたばたしてください。じたばたした人のほうが希望の高校に受かっています」と。
これだけではなかったけど、とてもいい先生でした。
この先生は、よりみちねこの息子二人が高校生になったとき、
親御さんの介護があるということで東京から関西のご実家へ帰っていったのでした。
商業主義感覚ではない、本当に親身な先生でした。

「先に生まれただけの僕」
まだ視聴されていない方は、ぜひ、機会を見つけてご覧ください。
学びと励ましになります。


こんにちは。よりみちねこです。

「奥様は、取り扱い注意」
日本テレビ/水曜夜10時
主演・綾瀬はるか



視聴率はとても良かったようだ。

そして最終話。
よりみちねこの予想通り、
元工作員の菜美(綾瀬)の夫・勇輝(西島秀俊)は、公安の人物で、菜美を見張っていた。
でも、その見張り方がよりみちねこの予想と違っていた。
菜美を危険から守っていたのではなく、
菜美がテロ行動を起こさないか、を見張っていた。

ご近所と友人たちの問題、事件を解決していくという、痛快ドラマだった。
単なる娯楽ドラマ、とも言えるが。
よりみちねこは、視聴者の頭と心に何かを問いかけてくるドラマのほうが好きだし、
いわゆる良質のドラマと言えるのではないか、と極めて個人的に思っているが、
一方で、楽しく何も考えずに鑑賞できるドラマも必要だ、と思っている。

最終話では、このところちょこちょこと影を見せていた極悪人・横溝(玉山鉄二)から
菜美の二人の友人(広末涼子/本田翼)を助ける。
菜美は、その行動を夫に止められたが、実行する。

横溝の今後がちょっと気になるところ。
そしてもっと気になるのは、
最後の最後、帰宅した菜美を待っていたのは銃を菜美に向ける夫。
画面は暗くなり、そして銃声音が……。
打ったのか?打たれたのか?どっちが?
分からない。
「なんというスリル、やっぱりこの人を愛してる」
という菜美のセリフで終わるので、
これは菜美にスリルを味あわせておとなしくさせるための夫の手法なのか?
とも思わないでもない。

何故かと言うと、
この最終話のなかで、夫のこういうセリフがある。
「キミが一番に追い求めてるのは、スリルだ。これまでの自分の人生を思い返してみろ。何よりもスリルを優先してきたはずだ」
「あえて炎に飛び込んでいくようなまねをする」

菜美が大事にしているのは、夫や友情ではなくスリルだ、と。
菜美は言葉を返す。
「あなたのこと、二の次なんて思ってない。あなたのためにカッコイイ私でいたいだけ。それのどこがいけないの?」

そして横溝の手下たちとの戦い。
全員を倒した菜美は、こう叫ぶ。
「わぁ~、きもちいい~!」
なるほど、夫の言う通りだったようだ。

これ、サイコパス(ソシオパス)の特徴だ。
スリルを味わう、人から賞賛される、勝つのが快感。
(そういえば「セーラー服と機関銃」で薬師丸ひろこも、銃を撃ちまくったあと「かいかん」と言っていた)
そのために人を貶めて犯罪者になったり、犯罪者にならなくとも、
学校や会社、隣人のなかにもそういう人はいて、苦しめられている人もいることだろう。
例えば、自分がいつも1番でないと満足しない人とか。あの手この手を使って人を踏み台にする人。
パワハラ、モラハラ、セクハラもこの部類と言って過言ではないだろう。

アメリカのTVドラマ「クリミナル・マインド」を観ていると上記のことはよく分かるし、
また、よりみちねこはつい最近、
「良心をもたない人たち」「他人を支配したがる人たち」
という本を読んだところだったので、上記セリフに敏感に反応した。
けれども、菜美のように本当に正義の味方としてそのパワーを発揮してくれるのであれば、
ありがたい、かも。

さて、続編があるのかないのか?
横溝が菜美のことを、自分たち側の人間だ、と言い残して逃げているので含みはある。

最後に、
本田翼、すっごく綺麗な女優ですね。
とくにファンではないが、演技もよいのでは?
超悪人から超善人まで、幅広い役がこなせそうだ。



こんにちは。よりみちねこです。

今シーズンは目立った良質の台本がないな、と思うなか、
良いエピソードが出てきた。

この状況とセリフは、
「“夢みたいなこと”と言われていること、言われてしまうこと」
をやりたいと思っている人たちへの「健全な」助言と希望になる、と感じた。

このエピソードだけ切り取って保存してもよいのではなないか、と思う。

内容を事前に知りたくない人は、ドラマを観てから読んでくださいね。

「先に生まれただけの僕」
主演・櫻井翔/日本テレビ/土曜夜10時
第8話


本社から左遷で高校の校長になった鳴海(櫻井)。
これまでにも、奨学金と進学、イジメ、教師の資質、授業の進め方、学校改革など、
様々解決してきた。

第8話では、
「夢」「やりたいこと」を教師がどう指導し応援するか、がテーマ。
ここまでのエピソードのなかで、よりみち的には一番良かった。

特進クラスでトップの成績だった生徒・大和田達也の成績が最下位に。
父親が怒鳴り込んでくる。普通クラスになど移れるか、と。
ところが、二度目の面談で、父親のモンスターぶりを予想してびくびくしていた校長たちは、肩透かしを食らう。父親の態度が「クレームから相談」に移行した。
達也は塾にもいかず勉強もせず、「将棋」の勉強をしていた、将棋教室に通っていたことが判明。
プロになりたい、という。
すでに関東大会で優勝、五段。推薦とテストで奨励会に入れる、と。
プロになんかなれるわけない、大学へ行け、という父親。

教師たちで話し合う。様々な意見が飛び交う。
21歳までに初段を取れなければ、そこで終わり。奨励会は退会させられてプロへの道は閉ざされる。
そこはクリアできても、26歳までに四段を取る、そこまでいってやっとプロに入れるんです、
と校長はうなだれる。
プロ棋士になれるのも、一年に4人。
だから将棋の勉強のために高校もやめたい勢いなのは分かる、ある意味正しい、と。

保健の先生
「無理やり夢をあきらめさせて大学受験しても、本人は満足できるんでしょうか」
校長
「できません」
日本史の先生
「じゃあ、大和田くんの意志を尊重してあげるんですか?」
古文の先生
「それは、無責任すぎません?」
賛同の声。
保健の先生
「でも、それしかないんじゃ」
英語の先生
「もう、本人と保護者に決めてもらうしかありませんよね」
日本史の先生
「教師のでるまくはないってこと?」


たいていの人が高校の時点で二段、三段となる。
達也のようなパターンでプロになれる確率は0・1%。
どうしたものかと、頭を悩ます教師たち。

英語の先生
「つまり、大和田くんは99・9%プロにはなれない。でも我々は、彼に夢をあきらめさせることもできなければ、応援することもできない」
日本史の先生
「ただ特進クラスからはずれてもらう」
物理の先生
「本人が高校やめるって言ったら、どうぞ、って言うわけだ」

どうして、こんな議題を職員会議にかけたのか、と校長を責めながら暗くなる教師たち。
生徒の人生まで背負うわけにはいかないんだ、と。

「大和田くんの場合タイムリミットがあるから、やめろって言うのは簡単だけど、99・9%無理ななかでがんばれって言うのも……」
と悩む校長。

そして、再び親子相談。さて、校長はどう解決を導くか。
校長
「きみの気持ちはよく分かった。だがきみは、ひとりで生きてきたわけじゃない。ご両親に育ててきてもらったんだ。そうだよね。だからきみは、両親を納得させる義務がある。
おとうさんがおっしゃるように、学校の勉強を捨てて将棋のプロをめざすんだったら、それはギャンブルだと思う。だから、それがだめだったときのことをよく考えて、ご両親を説得しなきゃ」
達也
「失敗するかもしれないと思って頑張るんですか?スポーツ選手、みんな言いますよ。失敗を恐れるな、自分を信じろって、夢は必ず叶うって
父親
「そんなわけないだろう。世の中の人間がみんな夢を叶えられると思ってるのか」
現代社会の先生
「まってくださいおとうさん…」
校長
「(父親へ向けて)その通りだと思います。
(達也へ向けて)夢を必ず叶えられる、そんなことあり得ないと思う。そういうこと言うやつがいたら、それは無責任だと思う。でも、夢を叶えるために努力することは、ぜんぜん悪いことじゃないよ。だって、それをやらない人間は、夢を叶えることなんてできないんだから。
僕は今回はじめて知ったんですけど、将棋の世界の人間はやさしいな、と思いました。だって、21歳というタイムリミットをつくって、やり直せるチャンスを与えてくれているんですよ。
約束してくれないかな大和田くん。もし21歳までに奨励会の初段に入れなかったら、将棋はきっぱりあきらめる。そっから大学受験して22歳、友達が大学卒業するころにきみは大学1年生、就職するころに26歳、少し遅れてしまうけど、そっから再スタート切るんだ。ご両親を納得させるんだったら、そのくらいできなきゃ」
父親
「待ってください、26歳で社会にでるなんて」
校長
「遅すぎますか?おとうさん」
副校長
「わたしは遅いとは思いません」

約束した達也。
校長
「僕は、息子さんを応援してあげるべきだと思います」
副校長
「やめさせることなんかできませんよ。だって、彼はアマチュア五段を取るまで、がんばってきたんですから」

さらに、子どももいない校長に親の気持ちが分かるのかと父親に問い詰められて
校長はこう言う。
「僕は思うんです。僕たちの役割は、この子たちに希望を持たせてあげることだ、って。
勉強を教えることも、社会のルールや現実を教えることも、すべて、希望を持たせるためにやっていることです。親の役割も同じじゃないでしょうか。このまま覚悟を決めて、夢に全力で突き進んでいくのなら、全力でサポートする。まっとうな人生を歩みなさい、それも間違った考えではないと思います。でも、子どもがやると決めたなら、親の役割は変わってくると思います。もしだめだったときのセーフティネットを考えてあげるべきなんじゃないでしょうか。僕はそう思います」

最後に、おかあさんの望む、高校だけは卒業するという約束をして夢に向かって進む決意をする達也。
実は息子をうらやましいと思うと、吐露する父親。そして、
こんなに早いうちに自分のやりたいことを見つけて、才能がある、本当にあるかは分からないが、とつぶやきながら、息子の真剣な夢を全力で応援する、と納得した父親。


「夢」というテーマはなかなかややこしいものだ。
将棋やスポーツや作家、芸能系は、テストを受ければ結果が出るというものではない。
その才能も、どれほどのものか分からない。ちょっと才能のある人などごまんといる。
この学校の教師たちの対話にあるように、
無理やり諦めさせても不満足が残るだろうし、だからといって、手放しで賛同しても無責任だ。
この教師たちのように、ああだこうだと対話を交し積み重ねることは大変に良いことだ。
そこから見えてくるものが必ずある。

そして、校長の最終助言。
まず両親を尊重し、そして生徒の行く先のことを一緒に考え、物理的な事柄を提示する。
夢を叶えたスポーツ選手たちが言うように、夢は誰にでも絶対叶うものではない。
校長が提示しているのは、
「失敗するかもしれないと思ってがんばる」のではなく「覚悟」を問うているのだ。
「覚悟」というのは「最悪」の事態を予想してそうなったときはこうすると決めておくこと。
「失敗するかもしれない」と思うのはネガティブだが「覚悟」はポジティブな心の態度の土台となる。
失うものはなにもない、得るものばかり、という精神的物理的状況をつくる。
ネガからはネガが、ポジからはポジが生じる。
さらにその「覚悟」をサポートしてくれる人、応援してくれる人がそばにいてくれることは、どれほどのパワーになるだろうか。計り知れない。

上記校長のセリフとは逆に、
「勉強を教えることも、社会のルールや現実を教えることも」が、ともすると、今の日本、学校教育や家庭のなかでは、希望を持たせない教育になってやしないか?
その一方で、スポーツ選手たち、金メダリストたちが「夢はぜったいに叶う」と声高に叫び、無責任に浮足立たせる。それが聞く人の勇気やエネルギーになることももちろんある。が、そのメダリストだって、どれだけの覚悟をもって望み、挑んできたのか。そのうえでの「失敗を恐れるな、自分を信じろ」なのだろう。
この辺りも、脚本家はいいところに着目したな、と思う。

それから、将棋のプロになる道筋を淡々と説明する副校長役の風間杜夫が、いい味を出していた。
決して、紋切り型の説明ではなく、愛情のこもった客観的分析。
こうした客観的分析も大事だ。だが、これを伝える人の心がはなから否定的だと、否定観念が周囲に通じて、おそらく教師たちは「だったら絶対にあきらめさせましょう」などとなりかねないかもしれない。
この辺りの演出も見事だ。

ちょうど中学生棋士・藤井四段の大活躍もあった今年、
夢のチョイスも、その人気にあやかったとしても、よかった。


このエピソードは、「夢をあきらめない進路、人生」という課題に、
よき例を示してくれたと思う。
気持ちと手段、そしてどんな覚悟が必要かを、ひとつひとつ整然して考えていけば、
道は自ずと見えてくる。

このエピソードのようにタイムリミットのあることもあれば、
生涯にわたって取り組む夢もあるかもしれない。取り組み方は多種多様にあるにせよ。

ちなみに、大和田達也くんがもしプロになれなかったとしても、
おそらくアマチュアとして将棋の活動はつづけていくのだろうな、と思う。


本当によい脚本だったと思う。
よりみち高評価。

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