よりみちねこのドラマカデミア

よりみち視点でドラマをアカデミアするよ。

2018年06月

よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

「デイジー・ラック」NHK
佐々木希/夏菜/中川翔子/徳永えり


普通に面白かった。
なんてことはない、小学校時代からの仲良し4人組の恋と仕事の話。
30歳を目前にして、ここから先のどう生きて行こうか、と悩む。

えみ(徳永)は、新婚。カフェを経営したいという夫の夢に戸惑う。
薫(夏菜)は、エステサロンの営業職をバリバリこなして成功への道を歩んでいる。
ミチル(中川)は、フリーのバッグ職人。自分の仕事にこだわるゆえに売れ行きが芳しくない。
楓(佐々木)は、仕事と恋人を同時に失って、パン職人の道を歩むことにする。

みんな、どうなるのかなぁ、と思って最後まで見届けたが、
ハッピーエンドでよかった。
これ、民放だと視聴率狙いで、もっと騙し合いがあったり悲劇があったり、となりそうだ。思い悩みや事件らしきことはあったが、そこは綺麗にまとめられた。

薫は、男に弱いタイプのようだったので、知り合ったばかりの同業他社の彼にスパイされるよきっと、と予想していたら、そんなことはなかった。
薫も、精神的に自立してドラマが終わったので、ストレスフリーだった。

えみは、夫のカフェを応援しようという気持ちに近づいた。

ミチルは、薫の弟と結婚。もちろん、バッグをつくる仕事も続ける。
ミチルは、たとえ生活費がなくなってもこの仕事やめることはないだろうな、と思わせてくれる職人、芸術家タイプ。ショコタンにぴったりの役柄だった。とても好感がもてた。

主人公の楓は、パン職人の師匠に恋をする。次第に心を通わせていく二人。もしかして最後別れるのかな、と思っていたが、結ばれた。
楓と彼、この二人も自立できていてよかったと思う。
元カノにやり直そうと言われてもゆるがなかった彼。自分が好きなのは楓だ、と。
パリに行くことになった彼についていく予定だった楓は、パン職人修行をしながら日本で待つ決断をする。

恋と仕事に迷いながら、30代をどう生きて行けばいいのかとちょっと迷っていた4人だったが、
誰かに頼り切るのでもなく、誰かに合せるのでもなく、
それぞれが自分というものを見出して、そこを曲げることなく、互いに理解し合っていく道を選んだところが、昭和の男女とかなり違うのかな、と
感じさせてくれるドラマだった。
その観点では、「あなたには帰る家がある」の4人(夫婦二組)は、個性的に見えて、結局のところ依存し合っていた。ゆえに、魅力的な人々ではなかった。反面教師的キャラばかり。

「デイジー・ラック」は、
地味だけれど、登場人物たちの心根は十分に新しい感覚でした。




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「あなたには帰る家がある」TBS
中谷美紀/玉木宏/木村多江/ユースケ・サンタマリア


私としては本当に単純に、ドラマの内容としての評価は低い。
うっかりすると途中で視聴をやめてもおかしくなかった。
が、ここまで観たら最後どうなるか見届けたい、そんな気持ちで見続けた。

エンターティンメントの要素はたっぷり。
コメディーとしてみればそれなりの評価はできるかもしれないが、
それにしては、いささか物語が深刻さを帯びている。

茄子田太郎(ユースケ)と綾子(木村)夫婦の怪しい家族が、
壊れる寸前だった佐藤秀明(玉木)と真弓(中谷)夫婦に
からんでくるところから物語ははじまった。
私は当初、太郎と綾子は夫婦で詐欺師なのかと予想した。
が、違った。この夫婦にも問題というのか、夫婦になったときの隠された事情があったことが、最終話間際で判明する。

四者四様で、誰が善人で誰が悪人というのでもない。
みんな善人でみんな悪人かもしれない。
いや、身勝手で独善的。

私の最終的な感想としては、
もしかしたら茄子田太郎が、唯一この4人のメンバーのなかで、自己変革を遂げた人かもしれない、ということだ。この人学校の先生なので、そのくらいの知性は持ち合わせていてほしいところではあるが。
綾子は、わがままと希望が通ったし、
佐藤夫婦にいたっては、いまだ思いやりの心の交流ができてない。

異様さ、ということで言えば、
綾子の魔性と秀明の優柔不断が拮抗する。
太郎は初回から、いけすかなさ一番のように描かれてきたが、回を追うごとに実はちがうということが次第に見えてきた。真面目で自己卑下の強い人だっただけのようだ。
その男を、ユースケ・サンタマリアは見事に演じていた。

女性二人も、好演していたが、
木村多江の悪女ぶり、意地悪ぶり、異常ぶり、嫌な女ぶりもなかなかの迫力で見せてくれた。
中谷美紀の役柄は、演じやすいかもしれない。気が強くあけっぴろげな女性。

玉木宏は、おどおど男を、大きな身体を縮めてうまく演じていた。

結局最後は、それぞれが収まるところに収まる。
茄子田夫婦は離婚しなかった。ただし、夫と妻の立場が逆転。
佐藤夫婦は離婚したまま、あらためて互いに向き合うことに。

茄子田夫婦を復活させるために、太郎を大切に思う気持ちを装ってみせた真弓。
この描かれ方が、いまひとつしっくりこなかったのが残念だった。
真弓が太郎に本気でないことを視聴者に示すシーンでの表現が、あまりに失礼な表現だった。

もっとコメディでほろっとする系のほうがよかったように思う。
この登場人物たちだと無理かな。
私は、このドラマのなかに好感の持てる人物、ある程度の理解を寄せることができる人物がひとりもいない。

えっと、玉木さん、木南晴夏さんとのご結婚、おめでとうございます。
私は、木南ファンなので、ちょっとショックでした。




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「半分、青い。」
主演/永野芽郁


第70話~自覚するとき
デビューして3年の月日が流れた。
スズメ(永野)ユーコ(清野菜名)も、そしてボクテ(志尊淳)も、連載を持っている。
ボクテは超有名人に。

が、ユーコは連載打ち切りに。
スズメ、ボクテ、そして秋風先生(豊川悦司)も、ユーコを別の雑誌で引き受けてもらおうと画策するが……。
ユーコは結婚することを決断する。
結婚相手はお金持ち。海外から家具を輸入している。青山に高級マンション。
自分もインテリアコーディネーターの学校に通わせてもらう、と言うユーコ。

スズメ
「結婚、するの?漫画は?どうするの?」
ユーコ
「もう、私、疲れちゃった。漫画ってさ、ゼロからつくるじゃない、お話。
何を輸入するか決める方が、もう出来上がってるものから選ぶほうが、楽なんだ。ゼロから何かをつくるより。ずっと楽だと思う」

こんな仕事はもうやってられない。買った服着ないままに季節が変わる。
自分たちは架空のラブストーリーをつくるためにいくつの自分の恋を犠牲にしたんだ。
結局原稿に追われてばっかり。スケジュール帳は真っ白。
泣き叫ぶユーコ。
スズメ
「私は、真っ白な日が好きだ。白い日が嬉しい。何にもない日、ただ描けばいい。描ける」
ユーコ
「スズメ、それはオタクといっしょだ。引きこもりだ。結婚もできないし、子供も産めない。想像の世界の人になってしまう。漫画を描く機械だ。(略)」
スズメ
「ユーコ、機械じゃない。機械はみんな同じもんしかできん。漫画はその人それぞれ違う。
私はおしゃれをしなくてもいい。流行りの場所を知らなくてもいい。
だって、だってさ、漫画を描くって、物語をつくるって、人を感動させるって、人生を越えてる。世界は私のものだってきっと思える。私たちが、秋風先生のような漫画を描いた日にはきっとそう思える。ユーコ、がんばろう」

ユーコ
「今、逆にはっきり分かった気がした。私は、私のいるところはここじゃない。私はここにはいてはいけない」

だろうなぁ。これ、ユーコが、自分とスズメとの違いを明らかに自覚した瞬間だ。
とても象徴的なシーンとなった。
ゼロから何かを生み出すという苦しみ。
そして、描くこと以外に何もしなくてもいいという真っ白な日があることの喜び。
どちらも創作者なら誰もが抱いたことのある2種類の感覚ではないか。
ユーコの立場で物語に入っていると、自分を励ましてくれているであろうスズメのセリフが、
タロットカードの「塔」のごとく、大きな稲妻で脳天に落ちてくる。
いや、うすうす分かっていたことなのだろう。
例えば、クラスメートといっしょに走っている持久走。自分は一生懸命走っているつもりでもクラスメートがどんどん先へ行く感覚。何かが違う。
ユーコは、漫画家をやめる決意のために、あれこれ理由をつけていたが、それは表層的な言い訳にすぎない。本心は「ここは自分の居るべきところではない」。

そして、結婚してやめていくユーコに、秋風は言う。
家にもどらないのなら、ここから送らせてほしい、お嫁に行けばいい、と。
秋風羽織はいったい何者なんだ!

第71話~自分の居場所
結婚式当日。先生はもっとユーコを引きとめると思っていた、と言うスズメに秋風は語る。
「彼女が求めているのは、居場所、だと思ったんだ。家に居場所がなかった。そしてここにやってきた。漫画ももちろん描けたが、そうでなくても良かったんだ。
私は娘を送り出すような気分だ。彼女が幸せになってくれたらそれでいい」


う~ん、なんとも唸ってしまうセリフだ。
秋風先生は心理カウンセラーか心療内科医か?
親との関係が良くなく、いや、悪く、家に居場所のない人は意外と多い。

私事の余談になるが、
私の占いの相談者さんにもユーコのような人はけっこういる。
お金に余裕があれば家を出るのが一番いい。
しかし、生活費の負担は大変だ。そんなときはなんとか乗り切る心構えをお伝えする。
女性の場合、折り合いの悪い家族と離れる一番いい方法は結婚。
自分の家族をつくることだ。イコール、そこが自分の「居場所」になる。
ユーコの気持ちはよく分かる。

ユーコの仕事場。そこを使いたいと言っている漫画家がいる。
秋風
「いや、あそこはあのままにしておこう、せめてしばらくは」
弟子の漫画家
「いつユーコさんが帰って来てもいいように、ですよね」
秋風
「いや、まあ、そんなことはあってはいけないし、ないんだろうが。
帰る場所があれば、小宮も出て行きやすい」


ユーコさん、よかったね。ご両親ではなくても、
こうして、あなたのことを愛情深く思いやってくれる人がいてくれて。
秋風先生はユーコのよき理解者だったんだ。
どういう経緯で、ユーコは秋風の元へ来ることになったのかな?

「帰る場所」という意味では、スズメには実家がある。

「居場所」と「帰る場所」。
これは、人にとって、大人になってからも、必要な「安心感」なのかもしれない。
タロットカードで言うと「ワンド4」
これがあることで、人は大きく羽ばたける。

このあとシナリオは、スズメの実家の話に移り、スズメが帰郷する。
スズメの「帰る場所」「帰れる場所」だ。

ちょっと心配なのは、「居場所」を求めているユーコ。
秋風先生が言うように、漫画でなくてもよかったんだとしたら、
結婚先でも、あれ?ここも違う、と思ったりしないか。
それとも、上記の秋風のセリフは、彼女の居場所は漫画でなくてもよかったんだから、結婚という居場所を見つけて選択した彼女を祝福してあげよう、なのか。
さらに、
もしかしたら、ユーコは産みの苦しみから逃げているだけなのだったとしたら、結婚先でも何かの拍子に辛くなって、ここに居るべきじゃないとまた逃げてしまう可能性が大きいかも、と推測してしまう。

ユーコの場合、合理的な性質みたいなので、ひとつふたつ別世界の経験を積み重ねてから、舞い戻ってきてもいいような気もするが。
そもそも才能あるのだし。
スズメと律の恋の行方より、そっちのほうが気になったりしている。

最後に、
スズメへ向けてのこのユーコのセリフもナイスだった。
「きみ、がんばれよ。漫画。私の分までとは言わない。私の人生は私のもの。スズメの人生はスズメのもの。みんな自分の分しかがんばれない。
でも、スズメは私と熱量が違う。私はスズメになれなかった。
ずっと思ってた。スズメはきっと成功する。みんなの憧れるものをきっとつくる。
バイバイ、スズメ」

「私の分までがんばって」とか「あなたの分までがんばるね」とは、
さまざまな場面で聞く。
確かに、みんな自分の分しかがんばれない。
「私の分まで」「あなたの分まで」は、いささか重たい意志表明かもしれない。
自分を鼓舞するだったり、応援だったり、励みにもなるかもしれないが、
一方で負け惜しみだったりするかもしれない。
あるいは謙虚さの表れかもしれない。

「熱量が違う」という発見は「才能」云々以上にこたえる。
そういう意味でも、ユーコにとって自分の「居場所」であればよかったのであり、「居場所」よりも先に「漫画」があったのではなかったのだろう、と想像できる。



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「半分、青い。」NHK朝の連続テレビ小説
主演/永野芽郁


11週では、創作に関する興味深い視点がいくつかあった。

①律(佐藤健)と別れたすずめ(永野)。
悲しくてたまらない。
それを「描け」と迫る秋風先生(豊川悦司)。
「泣いてないで、いや泣いてもいいから描け。
漫画にしてみろ。物語にしてみろ。楽になる。救われるぞ。
創作は、物語をつくることは、自身を救うんだ。私はそう信じてる。
物語には人を癒す力があるんだ」

これは、10週でも書いたが、書く、描く、物語る、ということの癒し効果。
芸術家だけではない。
そして、物語らずにはいられない大きな出来事が、芸術家を生むのかもしれない。

②秋風の漫画教室「秋風塾」。
デビューを目指して描き続ける3人の弟子たち。
150回描きなおしても先生のOKが出ない。
何度も描きなおしているうちにわけがわからなくなる。
作品は、いじくりまわしているうちに、おかしなことになる。
そのときは考えて考えて、一番いいところに落ち着いたと思っても、
後から見ると、なんじゃこれ、ということはよくある。
翻訳本でよく見かける。
あ、これ、ひねくり回しているうちに、こんなことになったんだなきっと、という文に出会うことしばしば。書いている側は、全体が分かっているので上手に表現できていると思っているのだろうが、読者にしてみると、「?」ということもあるし、主語や助詞がへんてこなこともある。最近も見た。
物語の場合はなおさら、ストーリーやシーンがぐしゃぐしゃになるかも。
すずめは、2年後、150回以上描きなおした作品をやめて、別の作品をガーベラ大賞に応募することにする。
これはよかったと思う。いじくりまわした作品は、いったん寝かせたほうがいい。

③ある日ずすめは秋風先生に言う。
「先生はおかしいです。みんなが先生と同じとは思わないでください。
私たちは、漫画家である前に人間です。
先生はロボットです。漫画を描くためのロボット。私は人間です。漫画を描くためにわざと悲しくなるようなことはしたくないし、悲しいときは悲しむ。悲しいことを喜ぶ変態にはなりたくない。先生は漫画のためになんだってする。
先生は漫画を描くために人の心を捨てたんだ。だから先生はいい年して、ひとりもので家庭もなくて、友だちもいないんだ」

「そんなものは創作の邪魔だ」と、ぶっきらぼうに秋風。
う~ん、そうとも言えるかぁ?
でも、秋風先生って、誰よりも繊細だと思うなぁ。
余談ですが、この「ロボット」って、律の伏線?

④ユーコ(清野菜名)のデビューが決まった。
担当編集者への秋風先生のこだわり。ユーコのことを思いやる。
若い日の自分を思い出す。担当に恵まれなかった。
思っていることと違うことを要求してくる。
漫画家になれなかった夢をはたそうとしてか自分のイメージをおしつけてくる。
一言でテーマは何ですかと聞いてくるぼんくら。
定時に帰りたがる。
などなど。
秋風先生は言う。
「私は常に思っています。
才能の芽も水をやり良質な光をあてなければつぶれる。きちんと育てなければいけない。
仮にも、彼も(ボクテ)、彼女も(すずめ)、漫画家などという食えるか食えないか分からない不確定なもののために、自分の安定した人生を捨てたわけです。安泰の道を捨てる決心をした。その勇気ある決断を誠意をもって迎えなければいけない」

編集者がみんなこんな人たちだといいけど。
こういったシーンでいつも思い出すのが、我が友人のこと。
大学3年生のとき、ある漫画雑誌の大賞に選ばれた。デビューできると、友人も私も思っていたが、あるとき友人が言った。「編集者とけんかしてボツになった」と。
そこまで変えたら私の作品じゃないよね、の世界だったみたい。じゃあ、なんで「大賞」だったんだ?という疑問は残る。

⑤ボクテ(志尊淳)はすずめに嫉妬しないのかと尋ねる。
別の場面でずずめはユーコに言う。
先を越されたとは思うけど、友だちの成功を喜びたいと言うすずめ。そうしたら人生は2倍楽しくなる、と。むしろ自慢したい、と。
嫉妬しない人はいないだろう、と思う。
でも祝福することはきっと大事だ。友人の成功を否定するということは、自分の夢も否定していることになる、とは成功哲学の鉄則だし。
仲間の成功が自分の成功をも運んでくれる、という考えもあるようだ。
にしても、人生が2倍楽しくなる、とは、夢を追いかけている途中の人は、なかなか言えないし、思えない。

⑥実家から、帰って来て呉服屋を継げ、という手紙をもらっているボクテ。
別のエロ漫画編集者と接触するボクテ。が、作品は没になってばかり。
すずめの作品のひとつを譲ってくれと頼む。OKするすずめ。
ボクテがすずめから譲ってもらった作品がエロ漫画雑誌に載り、
ぱくられた!と大騒ぎになる秋風事務所。
作者名はボクテだし、タイトルもそのままだし。いくらOKもらってるとはいえ。もしかしたら、ボクテの罪悪感の現れだったのかな?無自覚な自己処罰。
事の次第が判明し、秋風先生は猛烈に怒る。
しかもエロまがいの作品にされた、と。
作品は生き物。
ボクテはすずめのアイデアをパクッたばかりか、作品の息の根をとめてしまった、と。

その直後、ボクテの作品がガーベラ大賞に決まる。
が、秋風は辞退させ、ボクテのデビューはなくなる。
ボクテを許してあげてくれと頼む裕子とすずめ。
一度やったやつはもう一度する、と断言する秋風。
プロ同士でのアイデアの貸し借りはご法度だ、と。
ボクテは才能があるのに、勝ちを急ぎましたね、と言う秋風先生。
もう少し待てばよかったのに、いち視聴者としてもホントに残念だ。
実家から帰って来いと言われていて焦ってしまった、その気持ちは理解できるが。
待つこともまた、勇気の決断なのだろう。
人はなぜかあと一歩のところで退くことが多い。

ボクテのお願いですずめはなんとか許されるが、ボクテは追い出されることに。
さらに、繰り上げで、すずめが大賞を受賞することになった。


このドラマ、東京編になってから、
秋風羽織と弟子たちによる夢論、創作論、芸術家論が興味深い。

それにしても、秋風先生のようなこんな良い先生、どこにいるのだろう。
先生も弟子に嫉妬するのが相場。
編集者もそうだが、師が弟子をつぶす、なんてことは様々な世界である。
サスペンス劇場でもよく見かける。

余談だが、
最近、萩尾望都の昔のインタビュー番組を観て、
さらに「思い出を切り抜くとき」という古いエッセー集を読んだ。
「半分、青い。」の編集者のくだり。
似たようなことを萩尾が言っていたし、書いてあった。
そういえば、律の苗字って、萩尾だね。






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「崖っぷちホテル」日本テレビ
主演/戸田恵梨香 岩田剛典


こんなドラマよく見続けられるね、と人から言われながら、
ついに最終話まで見届けた。

初回を観たときは、なんだこれ?と思った。
第2話を我慢して観た。
そして第3話まで観ると慣れてきて、いや、それでも、なんかこう良質のドラマとは言い難い何かがあるんだよなぁ、エンターテインメントとしてもがちゃがちゃしてるというか、軽薄すぎるというか……

とはいえ、前にも書いたが、この手のドラマは好みのジャンル。
ということもあって見続けることができた。

すごく面白いドラマではないのだが、ナイスなセリフが散見されるのは注目だった。
それはスーパーポジティブ。

そして、最終話で確信した。
やはり、この、副支配人を買ってでた宇海(岩田)は、タロットカードの0番「愚者」だった。
これも前の記事で書いた。
タロットカードの「愚者」を見てください。
楽しそうに前へ進もうとしている。そこは「崖っぷち」。

ワクワクして、あらゆる出来事をポジティブに捉えながら、ホテル・グランデ・インブルサの崖っぷちを逆転させることに成功した宇海。

そして、夢を実現すると、次のワクワクへと身を翻して行ってしまう。
自由と言えば聞こえはいいが、気まぐれ、わがまま。

宇海は、桜井に言う。
「最高の場所で最高の人と夢が叶ったときに、これから私はどんなことにわくわくしていけばいいか、分からなくなってしまったんです。
夢が現実になってしまった怖さ。それを感じてしまったんです」
この場所を夢のままにしておくために、自分は外へ出て、夢のまま見続けたいと言う宇海。
「私はまた別の場所で新しい夢を見ないといけないと思ったんです。それは私自身のために。
私が出ていくことを許してください」

このセリフは、「愚者」の本領を巧みに見せてもらったように感じた。

「愚者」の魂は、夢を見続けないと死んでしまうのだろう。
ゆえに、場所を見つけて移っていく。
ポジティブに「渡り歩く」という身のこなしを、最高度に発展した「愚者」はできるのであろう。
中途半端に「愚者」を演じると、それこそ崖から転落してしまったり、同じ「渡り歩く」でも、成長し、成果を残すのではなく、「これもちがう、あれもちがう」と自己満足を求めることに汲々としてさ迷い歩く本気の「愚か者」になってしまう。

桜井総支配人(戸田)の次のセリフからもそれがよく分かる。
「宇海さんは、とてもわがままな方だと思います。あの人はずっとワクワクしていなければ生きていられない人です。それが生きがいであり、生きる理由でさえある人だと思います。
そんなわがままや要望に私たちはずっと振り回されてきました。
でも私は、そんな宇海さんがとっても好きです。あの人はいっつも私たちのことを考えて、私たちとお客様のために、わがままを言い続けてくださいました。その宇海さんが、はじめて自分のためのだけのわがままを言ったんです。自分自身が新しい夢を見なくてはいけない、と。私はその思いを尊重したいと思いました」

なんと桜井は、「愚者」宇海のよき理解者であることか。

「どうして私がわくわくした仕事ができないと思ったか。
私はホテルマンです。お客さまが第一です。なのに私、みなさんのことがお客さまより大好きになっちゃったんです。それは私にとって、最高にいやがらせです」

この、宇海の最後のセリフ。なかなか味わい深い。
仕事にせよ、仲間にせよ、好きになりすぎるとできなくなる、とはよく聞く。
宇海の場合は、仕事上の心持ちのルールとして、好きの比重の不具合ということなのだろう。いや、もしかしたら「ホテル・グランデ・インヴルサ」を去るための言い訳、だったのかもしれない。

ずっとワクワクしていなければ生きていられない人、
ときに周囲を振り回す人、
自由奔放でつかみどころのない人、
そんな人、みなさんの周辺にもいませんか?
もしかしたら、一発逆転ホームランを打ってくれる、打たせてくれるジョーカー「愚者」かもしれませよ。

私にとってもこのドラマは、占い師視点での評価逆転、となりました。



よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

「モンテクリスト伯 華麗なる復讐」カンテレ(フジテレビ)
主演/ディーン・フジオカ


なんといっても復讐ドラマなので、すごく深く感じ入りました、という感想はない。
エンターテインメント的に続きを楽しみながら結果を待つドラマ。

超有名なアレクサンドル・デュマの原作は別として、
このドラマとして楽しんだ。

登場人物のキャラが立ちすぎていた。怪演が多い。
主人公・ダン(真海)を亡き者にした悪人ばかりなので当たり前と言えば当たり前だが。

入間公平役の高橋克典は、最近ちょっと悪い感じの刑事の役などが多い印象だが、ここではもう警察の人間でありながら悪の権化だ。
入間は、父親への恨みを晴らす人生を送ってきたようだが、それが誤解だったのかそうではなかったのか、その辺りははっきりしないまま終わった。そして最後、気がふれてしまう。
モンテ・クリスト・真海(ディーン・フジオカ)とのやり取り、そして最後と、保身のために生きている(生きてきた)人間の狂気の表情、行為がすさまじかった。

すさまじかったと言えば、入間の妻(山口紗弥加)。再婚相手なのだが、入間家の財産を自分と息子のものにするために人を殺していく。前妻も彼女が殺した。態度も表情も空恐ろしかった。
山口紗弥加も、癖のある役が多いように思うが、一方で、真面目な役やおとなしい女性の役もこなす。

神楽清役の新井浩文は、こういう役をやらせるとホント上手だ。
彼も、優しい人物から怖い人間まで、幅広い演技力を持っている俳優だ。

さて、女性キャラ二人。
すみれ(山本美月)と留美(稲盛いずみ)。
すみれは、ダンの恋人。結婚式当日にダンは逮捕された。

留美は神楽(新井)の妻だが、入間の愛人だった女性。
女性の強さ、母性の神秘性という観点から、このドラマの決定打は留美ではないか、と思えるくらいだ。

真海は、この復讐劇のなかで「いくつか誤算があった。そのひとつがあなただ」と最終話で留美に語る。
留美と入間の間に生まれた男の子。生み落してすぐにとある別荘(のちに真海の住居となる)の裏庭に埋めて殺した、と思われていたその子どもが生きていた。その青年と留美は、真海の手引きで引き合わされ、関係を持ってしまった。親子である事実を知らされた留美は、驚くが、それよりなんと喜ぶ。
留美は、我が子をこれから助けていこうと誓っている、そして最終話で真海に感謝までする。息子に出会わせてくれてありがとう、と。
真海は「母親の偉大さ」を留美を通して知ることで、もしかしたら、死んでしまった自分の母のことを思っていたかもしれない。そのくらいの癒しがあってほしい、とすら思う。
私も、この「留美」という女性にはあっぱれだ。
息子だと分かってからの留美は、生き生きしていた。それまでの彼女は死んだように生きていたので、その変わりようが見事。

ドラマではあまたの女性像が描かれてきたが、この「留美」はもしかしたら最強かもしれない、と思った。「留美」という女性を知り得ることができただけでも、このドラマを観た甲斐があったと言っても過言ではない。

その反面と言っては申し訳ないような気もするが、
ダンの恋人だったすみれ。
彼女は魅力がない。いや、途中から魅力がなくなった。
気持ちは分かる。
ダンがいなくなってから必死にダンの冤罪を訴えかけて辛い日々を送っていた。が、死亡通知が来て、幸夫(大倉忠義)と結婚して女の子を設けた。すみれは料理研究家、幸夫は俳優として有名夫婦となっている。
当然の成り行きだと思う。しかし、ダンがモンテ・クリスト・真海になって復讐劇を繰り広げなければならなくなってしまったその諸悪の根源はすみれを愛していた幸夫の嫉妬心だった、ということが分かったのちも、娘の幸せが一番大事だということは分かるが、これほどの災難の渦中の女性でありながら、なんとも腑に落ちない心の動きをするな、と私は訝りながら冷淡に彼女を見つめていた。
渦中にあっても誰も恨まないキャラクターは、冷静さや清潔さを醸し出しているのかもしれないが、むしろ何も感じていないのかこの人、と思ってしまう。
ここまで送ってきた生活がすでに幸福だったということなのか、という感想は安易かもしれないが。
もう少し、くやしがってもよかったのに。幸夫がいくら娘の父親であるとはいえ、もうすこし恨んでもよかったのに、と思う。殺そうとはしたけれど。
最後、ダンに強制されて「あなたと結婚します」と言ったのも、すこし違和感があった。
おそらくそうすることで復讐をやめさせよう、という意志が強く、ダンを愛しているからではなかったように感じた。
山本美月がもうすこし全身で演ずる力量があれば、もっと違った印象になったかもしれない。
これは、ミスキャストかもしれない。

いずれにせよ、
予想どおりの結末ではあった。このドラマには、たった二人の純真な人物がいる。真海は彼らを助けて死ぬだろう、と。
純真な二人は、真海がダンだったときまだ子供だった守尾信一朗(高杉真宙)と、入間の娘未蘭(岸井ゆきの)。強欲と悪の渦巻くなかにあって、この二人だけは、いわゆる泥沼に咲く蓮の花だ。

最後、自ら屋敷に火を放って自殺した真海。
いや、真海は不死身、そんな印象受けた視聴者は、死んだことにしてどこかで名前を変えて生きているのではないか、と燃え盛る屋敷を見ながら思ったのではないだろうか。
おそらく生きていると、私も思っている。

すっきりしなかったのは、幸夫と神楽。
生き残って警察で取り調べを受けているが、まるで自分たちのほうが被害者のように喋っている。
そもそもダンを陥れる悪だくみを考えて、自分は手を汚さなかった。それが神楽。それが一番悪質だ、だから自分もそのやり方を真似ました、と真海は神楽に向かって言った。
この二人はこれからも生き続けるのだろう、平然と。

そして、本当に最後の最後。エピローグシーンの海辺の男女。
男性は真海だと分かるが、女性はやはりすみれ、なのだろうか?
一瞬、愛梨(桜井ユキ)にも見えるのだが。
愛梨は真海の復讐の手助けをしていた女性。香港で両親を殺されて、そののち悲惨な生活を強いられて生きてきた。その殺人事件に幸夫が絡んでいたので、幸夫を恨んでいた。
私は、すみれよりも、愛梨であってほしい。
なぜなら、このドラマの中で、他に悪人はいっぱいいるのにもかかわらず、私はすみれが一番好きではないから。
それとも、信一朗と未蘭のイメージでもある?ちょっと違うな。

余談だが、
未蘭役の岸井ゆきの。
ちょうど同時期NHKの「やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる(主演/神木隆之介)」に出演していた(このドラマ、一話30分ものだったが、面白かった)。
今年秋からのNHK朝ドラ「まんぷく」にも出演が決まっている。
これからが楽しみな女優。応援したい。
小柄も手伝ってとても若く見えるけど、26歳ですって。



よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

「正義のセ」日本テレビ
主演/吉高由里子


よりみちねこの評価は高い。

「花咲舞が黙ってない」の二番煎じだと評されていたり、
実家の設定や恋人との別れなども古い、と言う評論家もいたが、
私はむしろ新しい…は言い過ぎだが、決して古い、使い古しのテーマや描き方だとは思わなかった。
恋人のことで言えば、仕事をする女性はやっぱりこうなる的な古い表現では決してなかった。
互いに尊重しあった結果だと、私は感じた。元彼・優希(大野拓朗)が、下にも書く第9話での冤罪騒動のときには、心配して会いにきてくれたことからも分かる。

日本テレビでは、正義感の強い女性を描く社会派ドラマは確かに多い。
「花咲…」をはじめ、かつては「ダンダリン 労働基準監督官」「曲げられない女」などもあった。

とくに、いわゆる「正義」なるものが捻じ曲げられて「嘘」がまかり通っている昨今、
忘れてはいけない人間の感覚であるゆえに、定期的に物語ることは、大きく言えば地球の摂理にかなっている。

「花咲…」は、よりみち的には「水戸黄門」臭が肌にあわず、しっかり視聴したことがない。
「正義のセ」は、「正義」というものの在処を検事自身もときに迷いながら探っていくところが、日本人が教育されていないと言われている「考える力」の使い方を適切に表現しているように思った。

いつも何かが、誰かが、どちらかが一方的に正しいわけではない。
しかし、裁かれる人はそこにいる。
そして人はときに嘘をつく。その背景がいかなるものであるにせよ、嘘は真実を隠す。

裁く立場である検事は、その真ん中にいる。

第9話では、痴漢冤罪を生み出してしまった凜々子(吉高)。ネットで叩かれ、マスコミに追われる。
しかし実は、冤罪ではなかったことが判明。
凜々子は真実を追求する検察捜査を開始。
その途中、凜々子は悩む。はたしてこれは、被害者のためにやっているのか、自分の汚名返上のためにやっているのか、と。
相棒の事務官・相原(安田顕)は、検事は自分が分かってない、と言う。検事は、自分のために仕事をしたことはない、と言い切る。

何かを成功させようとするとき、誰かを助けようとするとき、
それは、何のためか、誰のためか、という問題は白黒つけられるものではない。
何をする場合にも、全く自分のためではない、ということなどあり得ないだろう。
自己犠牲だって、自己犠牲というものに尊い価値観がついているからするのかもしれない。
もちろん、このボランティアをしておけば就職に有利だ的な行動原理は、利己主義に分類してもいいと思う。

凜々子の場合は、検事という仕事を通して、自身の「生きがい」を感じているのだと思う。
そして、そのパワーが同時に「人助け」になっているということではないか。
やりたいこととやっていることが一致しているという理想的な姿のように見える。

私が、主人公・凜々子の描かれ方に共感するのは、
凜々子が物理的、表層的に起訴すべきかそうでないのかを悩むだけではなく、
加害者と被害者の背景に思いを致し、立場に悩み、検事である自分自身に悩む、
という極めて面倒くさい誠実さだ。

「正義」というのは、ああでもないこうでもないと悩んだ結果、なのではないか、
と思う。

原作は阿川佐和子。
このような小説を書く人なんだ、といささか驚いた。

シーズン2を希望する。


よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

「家政夫のミタゾノ」(テレビ朝日)
主演/松岡昌宏 剛力彩芽


脚本の八津弘幸は「新・フジテレビ批評」で、古沢良太(今季「コンフィデンスマンJP」)には勝てない、というような話をしていたが、
十分に勝っている、と思う。
いえ、勝ち負けではありませんが。あえて。
(私には「コンフィデンスマンJP」がつまらなかったので)

放送開始からすぐに、TOKIOの山口問題があり、松岡も会見を開くなど、どうなることかと思ったが、無事最終回を迎えてよかった。
途中、「ミュージックステーション」に、主題歌「戯言」を歌う島茂子が出演。ミタゾノも無言と無表情で端から覗いていた。
ちなみに、島茂子はTOKIOのリーダー城島茂。
「徹子の部屋」では、なぜか黒柳が、島茂子をときどき城茂子と呼ぶ。
城茂子もかっこいいけど。昔、城みちるというアイドルがいた。城しげこ?

ゲストも多彩でvery good。
矢田亜希子、戸塚純貴、黒田福美、佐藤仁美、鳥居みゆき、ナタリー・エモンズ、若村麻由美など。
「トリバコ」のCMで有名になったナタリー・エモンズは、旅館の女将役。
佐藤仁美には、ミタゾノからリバウンドに気をつけろのひと言。
鳥居みゆきは、でっかい目で彼女だと気づいた。なかなかの演技。この回は、占い師からカリスマ霊能者になってカルト信者を抱えて大儲けしている詐欺女の話だったが、「トリック」的で面白かった。

番組内で紹介される家事ミニ知識も意外と役立つ。
今日もこれから使わせてもらう。

ユーモアとぶっちぎりの逸脱感がエンターテインメントドラマとしては最高ではないか、
と言ってしまうとほめ過ぎでしょうか?

シーズン1でミタゾノの相棒家政婦役だった清水富美加がリアルでカルト教団に行ってしまい、
そのあとを引き受けてくれた剛力彩芽。よかった!逆によかった!

シーズン3を待ち望む。



よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

「シグナル 長期未解決事件捜査班」カンテレ(フジテレビ)
坂口健太郎/吉瀬美智子/北村一輝


面白かったです。面白かったです。
初回からぐいぐい引きこんでくれて。

過去と現在(と未来)が複雑に入り組んで、不思議なわくわく感を昂揚させてくれるのは、
物語の基本のキ。

三枝警部補(坂口)も大山巡査部長(北村)も、助けたい人がいる。
過去を変えようとしている。

ところが、
最終話で全ての謎が解ける、無線の秘密も、と謳われていたのだが、
???分からない???
え?これって、続きは映画で、のパターン?と思ってしまったが、
どうやらそれもなさそう。

そもそもこの無線交信は、いったいどちらから始まったのか。
第1話で、三枝が大山からの無線交信を受け取る。そのときすでに大山は三枝を「警部補」と呼んでいる。でも、大山は、三枝警部補に言われて現場にいる状態。

時間のパラドックスってややこしくて、考えていると頭がおかしくなるのは「スタートレック」でなれてはいるが、それにしても、これはかなりややこしい。

第1話で時効すれすれで逮捕した女児誘拐殺人の犯人(長谷川京子)に、拘置所の面会室で桜井(吉瀬)が大山の写真を見せ、この人が訪ねてこなかったかと問いかけると、長谷川演じる犯人はびっくりした顔をしていたが、来てたら逮捕されてるでしょう、と取り合わなかった。
最終話では、どうやら本当に悪いやつらが逮捕されたり死亡していたりして、いろいろ変化していて、そのなかに、この女児誘拐犯人が、三枝が子どものときに逮捕された、という映像が流れた(2018年では女児殺人は時効を迎えていた。恋人だった男を殺人犯に仕立てるために殺した)。第1話の伏線からすると、大山が逮捕したのだろう。

結局、大山の大切な人と、三枝の兄は助けることができなかった。

う~ん、面白かっただけに、最終話が残念でならない。
これで謎が解けたでしょう、になるのか?
噂によると、韓国の原作に忠実らしいが。

最後の最後、
大山は死亡していないが、結局、諸悪の根源だった事件解決のあと姿をくらましていて、やっぱり桜井は大山を18年間探し続けている。
とある場所へ向かう三枝と桜井。
病室のベッド(と思われる)に横たわる大山。
精神病院なのか?

もう少しすっきりさせてくれてもよかったような気がする。
不満足が残る終わり方だ。

とはいえここまで時空が混乱すると、
その終わり方はどうすればいいのか、分からないような気もする。
な~んだ、とならないとも限らない。
ある意味、
誰かを助けようと思って延々と時間のループに巻き込まれた人々、なのだろうか。
「時をかける少女」で言われていた「時の亡者」。

シーズン2があるのだろうか?
原作通りということだが、解決編的なものをSPでもいいのでつくってほしい、
と願うのは、リテイク、タイムトラベルの罠にかかってしまった証拠かもしれない。

もうひとつ。ちょっとがっかりだったのが、三枝警部補のプロファイリング。
最終回で全てが終わったあとの世界では、三枝は巡査部長。
そうだよね、誘拐犯が捕まっているのだから。時効ギリギリの逮捕劇のあと三枝はFBIのBAUへ修行に行くのだから。
何ががっかりかと言うと、第1話での自己流のプロファイリングが興味深かった。第2話でも少し披露していたけど、そのあとは次第にその能力に焦点は当たらなくなっていった。
時間を行ったり来たりでそれどころではなかった。
とても残念。日本版「クリミナル・マインド」が見られるかな、とちょっと期待したので。

今気づきました。
大山が、初回から、あと1週間で終わるから、と言っていた。
それがこの全てが終わったあとの世界だったのか。
全ては、大山と三枝の20年以上のつながりなのか。
そして、桜井から無線で言われていた「谷原記念病院へ行ってはだめだ」という助言。

でも、どうして?大山は無線機の不思議な力を?
………
わぁ~~~。
作戦にはまってしまったよりみちねこ?
それともただ頭が悪いだけ?
再視聴しようと思っていたが、そういう問題でもないような気がしている。




よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

春ドラマも最終回を迎えています。

「未解決の女 警視庁文書捜査官」(テレビ朝日)
主演/波瑠・鈴木京香


意外と刑事役をやっている波瑠。
「BORDER」「ON 異常犯罪捜査班」
これはいずれもあまり尋常ではない刑事。

刑事ドラマで言えば「相棒」の「アリス」にゲスト出演している。
ので、右京さんの相棒役を望みたいところだが、無理、かな。

「未解決の女」は、「あさが来た」の大森美香が脚本を担当している。
お互い、やりやすかったのでは?

「BORDER」「ON 異常犯罪捜査班」も尋常ではない刑事を演じていたが、
「未解決の女」の矢代刑事も、尋常ではないと言えば尋常ではない。
矢代の相棒刑事で文書のエキスパート鳴海刑事(鈴木)も尋常ではない。
ちなみに、おそらくこのドラマ、鳴海の方が主役だと思うが、矢代のほうに多く視線が行く。
けれども、ほどよくバランスは取れていたように思う。

鳴海が頭脳派で、矢代は肉体派。
ゆえに波瑠は、粗忽で無鉄砲、ちょっと抜けている風を演じている。
それが好きではない、というファンもいるようだが、私は好きだ。
喋り方や歩き方、所作など、武骨さを上手に表現していた。
ますますファンになった。
どちらかというと、「あさが来た」の「あさ」の豪快さに似ているのではないか。
いずれにしても、波瑠の役どころの広さに感服する。
女優のキャリアが10年だそうだ。
もう10年なのか、まだ10年なのか……
なにしろまだ若い。
これからますます楽しみだ。

30代に入って母親役などやりはじめたら、また新しい波瑠が見られそうだ。
もちろん、20代後半でも十分できるだろうけど。

「未解決の女」2シーズン目がありそうだ。
なかったらこの終わり方、腑に落ちない。
最終話の本当の犯人を逮捕できていない。
矢代は面と向かって、必ずあなたを捕まえると宣言した。
それと、鳴海の秘密が明かされていないような……。

夏ドラマでも波瑠の活躍が視聴できるようだ。



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