よりみちねこのドラマカデミア

よりみち視点でドラマをアカデミアするよ。

2018年08月

よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!


ドラマではありませんが
「おげんさんといっしょ」(NHK)について書きました。

「おげんさんといっしょ」~NHKに批判は多いが~


NHK「あさイチ」から「半分、青い。」と星野源について書きました。

星野源の共感~「半分、青い。」と「アイデア」と「壮絶な叫び」~


よかったら読んでください。


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「戦争めし ドラマ×マンガ」NHKBSプレミアム
2018年8月11日放送
原案・漫画提供/魚乃目三太
脚本/山咲 藍
駿河太郎/壇蜜/温水洋一/佐野岳/江上敬子/車だん吉/田中泯/草笛光子



なんだろう、このドラマ。
とりあえず録画しとくか。

放送翌日12日に観た。

面白かった。
愉快だった、という意味ではない。

なにしろ、戦争を描いたドラマなので。

そうかぁ、15日は終戦(敗戦)の日だ。
だんだん少なくなり、目立たなくなったとはいえ、
この日が近づくと、戦争を伝えるドラマや、ドキュメンタリーが放送される。

戦争の描き方もさまざまだ。
私は繰り返し書いているが「ライフ・イズ・ビューティフル」。
1997年イタリア映画。
こんな描き方があるんだ、と驚いた。コメディアンがコメディで描いたユダヤ人強制収容所。ちりばめられた笑いの要素。笑いながら見ているがゆえに、戦争の悲惨、悲劇が、いつの間にか強烈に迫ってくる。やりきれない悲しみが忍びない。戦争を憎むことができる。

このドラマ「戦争めし」も、涙を禁じ得ない。
辛い戦争体験。そこに絡んでいる食。

担当編集者・井澤奈緒(壇蜜)からダメ出しをくらってばかりの漫画家・山田翔平(駿河太郎)が、行きつけの小料理屋「みち」の女将・みつ江(草笛光子)から、すしが戦争による食糧難で小さくなったという話を聞いて、戦争と食についての漫画を描こうとひらめき、取材をしてエピソードを集める。
その題材は成功し、連載、単行本出版へと進んでいく。

今回は4つのエピソードが語られる。
にぎりめし、ワイン、うなぎのタレ、おでん。
戦争体験エピソードの部分はマンガで表現されており、演出も効果的だ。

翔平もマンガを描きながら気づいていくが、彼らにとって戦争は終わっていないんだ、ということ。それが十分に伝わってくる内容となっている。

私も思ったことがある。
戦争へ行った人たちは90歳を越え、80代、70代はまだ子どもだった。戦争について語り伝えることができる人たちがどんどんいなくなる、とよく言われている。
その上、最近ようやく重たい口を開いて語り始めた体験者たちもいる、と聞くと、どうしてもっと早く話してくれなかったのか、と思ったりもしていた。
日本の場合、当時の資料が焼き捨てられて記録が残っておらず、体験した戦争被害者(国民)たちが語ってはじめて表へ出てくることも多いように思う。

けれども、このドラマの最後のエピソードを見て、今更ながらはっとした。
「おでん」の話。19歳で徴集されてインパールへ行った前田(車だん吉)。現在93歳。同じ部隊で知り合った同い年の優しい青年の思い出を小料理屋「みつ」で語る。彼は、イギリス軍に撃たれて死ぬ直前「おでん」が食べたいと言っていた。それ以来、おでんを注文してもおでんが食べられないまま73年が過ぎ去った。そして、前田は言う。この話は家族にも話したことがない、初めて人に話す、と。

話せない、話せなかった、のですね。

話すことは癒しの作業であるというのは、現在のカウンセリングでは当たり前のことではあるが、
「話せない」ほどの地獄、というものがある……。

戦争の罪は大き過ぎる。
70年以上も、傷を心に抱えたまま生き続けてきた人々が、日本に、世界に大勢いる。
この戦争だけではない。
朝鮮もベトナムも中東も……。
アメリカ兵士のPTSDも深刻だと聞く。アメリカのテレビドラマ「クリミナル・マインド」のエピソードでもいくつか描かれている。

日本で言えば、あの戦争はまだ終わっていないのだ。
終わるとき、それは再びの戦争のときなのか、平和実現のときなのか。

人それぞれに、それぞれの戦争体験がある。

食の観点からのエピソード。
人間味あふれる感動もあり、そんなことがあったのかという事実認識もある。
戦争アーカイブ的にも、さらにつくっていってほしい。

こうした形で、すでに原爆のことも知らないという世代へ、戦争の酷さ、苦しさ、悲しさを伝えていくことは必要だ。
テレビドラマにもその役割はあるのだろう、と思った。





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え~~~、律はまだ離婚しとらんのかっ。
鈴愛の独り合点にだまされてもうた。

でもぁ、あんな妻さんだと、律も病気の和子さんもかわいそう。
律は女運が悪いですねぇ。
学生時代の恋人も、意地悪っぽい自己本位な人だった。

それよりも、19週の始まり。
健人なるアメリカ育ちの日本人青年が出てきて、
恐れていた通り「まれ」化したかぁ、と感じたもので、
ついにつまらなくなった、と思いながら観ていた。
もう観るのやめようかな、とすら思った。
(注・「まれ」とは土屋太鳳主演の2015年上半期朝ドラ)
これもきっとあとで生きてくる何かの伏線なのだろうが。

わぁ、感情移入できないし、いったい何を語ろうとしているのかわからん。
次第に腹が立ってきた。
涼次は映画監督デビューしたし、どっかでバチあたれ!と私は思ってる。
どこかで謝罪的にからんでくるのだろうか。

そして、ボクテと裕子登場。
なんかほっとする。この二人。
このドラマに感情移入する(できる)とすれば、ここ。やっぱり鈴愛の居場所はこの二人と同じ場所のような感じがする。いちばん、心のなかにある源泉が通じ合っている場所なのではないか、と。

ボクテは律のプロポーズに「無理」と言ったあのときの鈴愛の状況を、よっぱらって説明してくれた。
「無理」の意味を。

そう、みんな思ってる。律と鈴愛のこと。

今から看護師をめざしている裕子。お嬢様育ちゆえに気が利かなくて傷つくことがある。
鈴愛は、つくし食堂2号店、五平餅を出すカフェを始めたいと言い出し、あんたの人生はずっと思いつきだと母に言われる。
どちらもあるあるかもしれない。

「夢」って何だろう。
お嬢様育ちでも、裕子はとってもがんばっている。
「思いつき」は、実は大事なんだ。

「夢」「アイデア」のない人生ほどおそろしいものはない。
人間たちからそれらがなくなって「ネバーエンディングストーリー」の「ファンタージエン」は消滅しかかったのだから。
「想像力」は「愛」だ。
想像は創造だ。
イマジネーションは永遠に続いてこそ。

このドラマ、
「夢」と「夢」の間が、ふっと落ち込むしかけになっているのは、脚本家の才能なのか、演出家の腕前なのか。
でも立ち直りが早いところがvery good!
だが、それを「思いつき」と言われてしまうと…、しかも「ひらめき」ではなく「ただの」がつくようなネガティブな意味を込めて、……。
なんだかよく分かる。私もよく親に言われたので(告白)。

裕子と鈴愛、つくし食堂、二人の夜の対話シーン。
「今はなんにもやっとらん」
「やるよ。鈴愛はなんかやるよ」
「そうなの?」
「うん。鈴愛のパワーは、生きる力はすごい。その辺のヤツとくらべものにならない」
「ありがとう。なんか裕子にそう言われると、がんばれる気がする」

裕子という存在は、鈴愛にとって「そういう」存在なんだね。
パワーを与えてくれる。エンジンを復活させてくれる。
老婆心ながら、
こういう友人なら持って正解。
逆にパワーをそがれたり、吸い取っていく似非友人もいるので、注意しよう。

そして裕子の名言。
「何回だって生まれられるって思う。
 人生のなかで新しい自分が生まれていく」


人生のシナリオはいくつもあって、都度そのページを捲るのは自分。
そのシナリオは枝分かれしている。選択の道。
扉は突然閉ざされるかもしれないし、自らの手で閉ざすこともある。
どちらにしても、新しい扉は必ずどこかにある。
目の前に。
ひとつの扉が閉じたということは、別の扉が開くサインだ。
byよりみちねこ


追伸
裕子は仙台で看護師って、
ここから3年後に震災だけど。




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「夕凪の街 桜の国」NHK総合2018年8月6日放送
NHK広島放送局開局90年ドラマ
原作/こうの 史代 
脚本/森下直
(平成)常盤貴子/平祐奈/谷原章介/
柏原収史/
 佐川満男/
橋爪功
(昭和)川栄李奈/工藤阿須加/小芝風花/浅利陽介/キムラ緑子


この夏シーズンドラマ、TBS日曜劇場では「この世界の片隅に」が放送されている。
同じ作者の原作、こうの史代のコミックだ。

「夕凪の街 桜の国」は2007年に田中麗奈主演で映画化されている。

年々、戦争について描かれるテレビドラマは少なくなっている。
平成ももう30年。そして平成最後の夏。育った環境にもよるだろうが、特に平成生まれの人々のなかには、「原爆」について深く、あるいは衝撃性をもって知っている人は少ないだろう。
広島と長崎に「原子爆弾」が落とされたこと、日本が地球で唯一の被爆国だということを知らない、という人もいると聞く。
「原爆」って何?「核兵器」と言えば分かるのかもしれない。
私は子どものころ、戦争、そして原爆は恐ろしいものだということを、学校でも、テレビ放送からも、繰り返し教えられたと記憶している。

子どもには「恐怖」を教える必要はない、と言う人もいる。
「平和」の観念だけ教えておけば、自ずと平和を選択する、と。
それも大事だが、私は少し、首を傾げる。
圧倒的善の強さを私も信じているが、一方で、圧倒的悪もある。今の世の中とくに、悪の何たるかを知り得ておかないと、善は悪に騙されてしまう。リテラシー。

世の中には、このような非人道的な悪魔の兵器、出来事があって、それによって苦しんだ人、苦しんでいる人がいるのだ、ということをある種の感情的体験とともに知り得ておくことは、邪悪を避ける心を育てる意味でも必要ではないか、と私は思っている。それは「文芸」という分野の仕事でもある、と。

最近は、スポンサー企業からの制約だとかなんとかで、表現が制限されるらしい。
たまたま先日、是枝監督の著書「映画を撮りながら考えたこと」でも、同様のことを読んだ。
ドラマにせよ、ドキュメンタリーにせよ。

このドラマ「夕凪の街 桜の国」。
七波(常盤)の母・京香(小芝)と祖母・フジミ(キムラ)、そして今回の旅で知ることになるおばである父・旭(橋爪)の姉・皆実(川栄)の死の原因が「被ばく」にあることを知ることになる七波。

昭和38年、若き日の旭(浅利)が京香にプロポーズすると、母(キムラ)は言う。
「あんた被ばく者と結婚する気ね?」
そういう言い方はよくない、と旭は窘めるが、母も決して差別的な意味で言ったのではない。ただただ悲しく苦しい思いから出た言葉なのだ。母はこう言った。
「うちはもう、知った人が原ばくで死ぬんは見とうない」

「被ばく者」の苦しみと哀しみが、こうの史代調のゆるりとしたなかで鮮烈に遠慮なく描かれ、そして、強烈に迫ってくる。

とくに次のセリフは、なんとも言いようがない。
皆実が恋人や母たちに見守られながら自宅で死んでいくシーン。
「うれしい?10年たったけど、原爆を落とした人は、やった、またひとり殺せた、って、ちゃんと思うてくれとる?」
悲しい静かな抗議。

「この世界の片隅に」のなかの、すずさんが、時限爆弾で右手をなくしたときのシーン、心の叫びと重なる。

「昨日、無いことを思い知った右手。六月には晴美さんと手をつないだ右手。5月には…、去年の十二月には…、……10年前の八月にはすみちゃんのために砂にお母ちゃんを描いた右手」
と、右手の思い出、右手にできたことを次々とあげていくすずさん。
アニメ映画でもひどく悲しかった。コミックでも見開きで真に迫ってくる。

今朝(2018年8月8日)の毎日新聞
「オピニオン 記者の目」
山野上純夫元毎日新聞宗教担当編集委員
【広島・被爆記者のこだわり「癒しがたい73年の煩悩」】
という記事をたまたま目にした。
そこに、布団に横たわって山野上記者が向けるカメラへ目線を送っている少女がいた。
1951年夏に発病して病名不明のまま病院を転々とし、約2年後に「原爆による再生不能性貧血病」と診断された中学1年生の行広澄江さん。初めて、原爆による内科疾患患者に対する国家補償の対象となった。治療は難しく、1954年2月、14歳で亡くなる=1953年6月、山野上純夫撮影
あ、皆実だ、と思った。
ドラマの皆実は23歳。澄江さんは14歳。
1954年に亡くなったということは、原爆投下が1945年なので、9年後。
皆実は10年後。
重なる。
このような人々が大勢いたのだろう。
「夕凪の街 桜の国」を見ていなかったら、この記事に目がとまらなかったかもしれない。


「再生不能性貧血病」でふと思い出したのが
1975年にTBSで放送された「赤い疑惑」。
山口百恵と三浦友和の共演で大ヒットドラマとなった。
【パリに住む理恵が日本に来るという日、父・茂を空港に連れて行くために大学にやって来た幸子は、学内の爆発事故に巻き込まれ、放射線療法用コバルト60が放出する放射線に大量被曝してしまう。その時、幸子を助けたのが、相良光夫という医大生だった。しかし幸子は、白血病になってしまい闘病生活を送ることになり、(略)(ウィキベデアより)】
父(宇津井健)は、娘の幸子(山口)には、白血病とは言わず、再生不良性貧血だと伝えていた。(上記記事では不能性とあるが、このドラマでは不良性と言っていた)
穿ちすぎかもしれないが、もしかしてこれ、澄江さんやドラマのなかの皆実につながる「なにか」だったのかな……。

「夕凪の街 桜の国」
良質のドラマでした。

演者に目を向ける。

皆実を演じた川栄李奈。
川栄の演技力は見るたびにうまくなっている。多種多様な役柄もこなしている。
今夏では、ただいま「健康で文化的な最低限度の生活(カンテレ・フジテレビ)」に出演中。

常盤貴子/川栄李奈/工藤阿須加/小芝風花/キムラ緑子
と朝ドラメンバーオンパレードだが、
NHKのドラマなので、NHK御用達ということもあろうかと思います。
また、全体として配役が非常に良かったこともあって、
また朝ドラ俳優かぁと鼻につくことはありませんでした。
むしろ、応援したくなる雰囲気。

小芝風花は、「あさが来た」の雰囲気とは全く違う役どころで、化粧の具合もあるのだろうが、顔つきも本人とすぐに分からないほど役にはまっていたように、私には見えた。
小芝の演技力には、実は感心していたところだった。
同じNHKの「100分de名著」の「星の王子様」で、谷原章介とともに朗読を担当した。
大変うまかった。

川栄、小芝。若手の今後に期待。





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「半分、青い。」NHK朝ドラ
主演/永野芽郁


第18週~帰りたい~

なるほどなるほど。やっぱりそうきましたね。

律(佐藤健)夫婦がうまくいってないらしいというブッチャーの伏線セリフが少し前にあったときに、というか、すでに二人が分かれた時点で、のちに二人は離婚して、また結ばれるのかな、それはずっと年取ってからかな、とか、いろいろ考えていた。
でもそのときは、まだ鈴愛(永野)は結婚していなかったし、漫画家としての正念場のときだったので、鈴愛が漫画家として成功してそれから再会するのかな、くらいに想像した。

けれども、鈴愛は漫画家をやめた。夢を諦めた。
そして、夫と離れて、出戻った。

でもこの二人、つまり鈴愛と律は最後、結ばれるのかな?
最終話まであと2か月弱。
どっちでもいいけど、いろいろ問題提起されている事々を上手に回収してくれれば。

いや、18週はそこではない。
涼次(間宮祥太朗)だ。鈴愛の夫、涼次。映画監督が夢の涼次。

数年前にチャンスを逃し、子どもが生まれたことで映画への夢は諦めていた涼次に、再びチャンスが巡ってきた。その決断の仕方が、視聴者の間で物議を醸しているようだが、私も、腹立たしく思った。
芸術家?
芸術家って何だ?

確かに鈴愛は、安定した生活のことを考えて夢は諦めてくれ、と言い渡した。
若いときは応援したけど、自分たちはもう年を取った、子どももいる、と。
もしかしたら、鈴愛のこの感覚は普通の感覚なのだろうと思う。
けれども、いっときは漫画家として活躍して、夢の実現に邁進していた鈴愛。才能に見切りをつける直前は本当に苦しかったろうと思う。
が、いや、だからこそなのか、鈴愛ってこんなに現実主義な女性、だったんだ?
誰よりも創作者の苦悩を知っているはず。夢を持つことの楽しさも。

さらに涼次の態度。こいつサイコパスだったのか?と思ってしまったほどだ。
両親が早く死に、おばたちに育てられ、家族への憧れを持っていたはず。その一方で、夢を持っている。心がうずくのだろう。映画制作への情熱。

私が想像したセリフは、
「これから映画に夢中になる。きみたちに寂しい思いをさせたくない。だから別れよう」。
これは一見、良い人に感じる。申し訳ないから、って感じで。
こういう風に言う無機質タイプの男はけっこういる。
どう感じるかはこっちの勝手だ。結局は責任を取りたくない人の言い訳。選択決断の責任転嫁。

涼次の無機質ぶりは、ちょっと違った。
自分の夢に「家族は邪魔だ」と言った。
でもその言い訳がやっぱり優しさを装った自己本位だった。つまり、家族といっしょにいると、そのことに夢中になってしまうから、と。
ってことは、この人はいわゆるエコノミックアニマルになるタイプなのかな?家庭を顧みない会社男?いや、大納言(100円ショップ)で働いていたよね。それは家族に夢中になる一環なのか?

たとえ、1万歩譲って、自分を悪者にして妻と娘の幸せを願う的な表現だったとしても、やっぱりそれは違うと思わざるを得ない。

涼次のおば光江(キムラ緑子)が言った
「立派な芸術家になってもそれはあかん」
が正解かな、と思う。
人間として。
しかも、お前たちは邪魔だ、と目の前で叫んでいるわけで。
そんな人がつくる映画って、どんな映画なんだろう。
いや、それが芸術家の苦しみ?
ちがうだろう。もうちがう。
10年前は、まだそんな時代なのか。

「退路を断ちたい」とも涼次は言った。
つまり「退路」とは「家族」のことだよね。
帰る家があると気持ちが弱くなる、怠ける、という意味で自分を甘えさせないため、ということなのだろう。
けれども、それは間違っている。立つべき退路は、涼次自身の「その心」ではないか。
「退路を断つ」って、こういうときに使う言葉ではないように思う。
「大納言をやめる」は「退路」に入っていると思うが。
「家族」を退路に置くという意識は理解できない。
それはただ自己本位で妻と子どもを捨てる、ということだ。
「透明なゆりかご(NHK/
清原果耶主演」を見ていても思うが、子どもの父親はなぜいつも責任を取らないのか。
成功したら現れたり、お金寄越したりってことかもしれないが、それもまた身勝手だ。
もしかしたら、ただの自己顕示かもしれない。
小田嶋隆@tako_ashi
「家族を捨てないと本当の創作はできない」ってか? 「クリエーターは特別な人間だから特別なモラルで生きている」的な? 「何様のつもりなんだ?」としか思えない。
朝ドラ「家族は邪魔」発言、脚本北川悦吏子氏が解説 
北川氏は1日深夜更新のツイッターで「物を創ることに憑かれた人が負う、罪、というのもが、私はあると感じているのです。社会性、とか人間性、ということとは、別のパワーと思って」と持論を展開。「私の回りの、本物のクリエーターたちは、やはり、家族を持つことが出来なかったんです。それは、どうしてか、っていうと、『孤独』で『ひとり』でないと、立ち上がらないものがある、と私なんかは思います」との考えを示した。
 また、同作の脚本に打ち込む北川氏自身も「この一年半、私は家族を捨ててたのも同然です。なにも関知しなかった。そうじゃないと書けなかった。こんなハンパな作家の私ですら、そうなんです」という。「友人の脚本家もやはり、別居しました。物を創るって、隣にいる人からしたら、『罪』なんだ、と思っています。そしてその本人も辛い。創るだけでつらい」と自身らの体験をつづって問題のシーンを解説。ネット上で議論が巻き起こっていることについては「狙ってないですよ。必死で書いてただけです」とした。(日刊スポーツ)
小田嶋隆@tako_ashi
「クリエーターは特別な人間だ」とか、たとえば、10代の創作家ワナビーのクソガキがそう考えるのは勘弁してあげても良いけど、現役のクリエーターに公言されるとドン引きせざるを得ない。何様のつもりなんだ? 創作ってそんなに偉い仕事なのか?

どっちにしても、自分の仕事を神聖視しすぎてる人間はダメだよ。

家族を捨てないと本当の創作ができないと思いこんでいるかわいそうなクリエーターにお伝えしたいのは、片手間のやっつけ仕事でそこそこの結果が出せない分野で頑張るのは無駄だよということです。

「家族とともにある生活の中で創作に集中できずにいる人間であっても、家族を捨てる覚悟で創作に取り組めば、優れた作品を残せるはずだ」というお話は、プールの授業でからっきし泳げないクソガキが、「塩酸のプールならボクは泳げるはずだ」と言い張っているみたいに聞こえる。

要するに「創作者の苦悩」だの「産みの苦しみ」みたいなどこまでも通俗的な「オレ/あたしって特別ストーリー」に陶酔しているだけなのかな、と。

以前にも似た話を書いた気がして、twilogを検索してみたら、こんなのがありました。私は苦しんでいます。↓
創作の苦しみがどうしたみたいな話が大嫌いです。苦しんでるヤツは要するに才能がないのだと思っています。ところで、私は苦しんでいます。

なんだか、秋風羽織先生(豊川悦司)が懐かしくなってくる。
秋風という漫画家は、天才変人ではあったが、極めて良識のある、意識の高い、クオリアな人だった。名言(よいセリフ)がたくさんある。
成功者だから語れるのか?

「破れた夢」(タロットカードで言いますと16番「塔」)
を心に持っている人は、他人の夢を応援しないことが多い。やめたほうがいいよ、と「あなたのためを思って」言ってくる人は、親であれ、友人であれ、先生であれ、たくさんいる。
それはたいてい子どものころにどこかに書いた「将来の夢」を実現できていないからだ。
スポーツ選手など特別な才能と幸運が必要な分野で、小学校の文集に書いた夢の通りになっている、という報道をよく見聞きするかと思うが、それは、いわゆるほんの一握り。クラスにひとりいるかいないか。いや、学年にひとりいるかいないか、かもしれない。
夢の叶え方も人それぞれではある。
そして、「破れた夢」を心に持っている人の言動も、さまざまかと思うが、
鈴愛がここまで言うのは、逆に「破れた夢」を持ち続けているのではないか、と想像する。
つまり、癒されていない。

いや、もしかしたら、夢はまだ破れていないのかもしれない。夢の途上。
「アイデア」だから。


あ、それから何度も言うのですが、
朝ドラの出演者、今夏のドラマのあちこちで同じ顔を見るのが、ちょっと違和感あります。
撮影時期が違うとか、いろいろあるのだろうけれど、
俳優が重なっていると、あまり気持ちよくない。物語を勘違いしてしまうときもある。
とくに、律、佐藤健が。「義母と娘のブルース」で奇妙な役どころゆえ余計。さらに「義母~」には麻生祐未も出演している。間宮祥太朗は「ゼロ」、これはすでに視聴していない。
それから日テレ夜ドラ「探偵が早すぎる」には滝藤賢一が探偵役でバッチリ出ている。

ついでながらドラマのスポンサー。
出演者(とくに主役)が携わっているCMが流れることがとても多いが、それも良くないと思う。事務所的には逆にそれも込みでの契約らしいが。
さらに、番組の最後に、出演者たちが出てきて、CDとか原作本とかのお知らせをするのを嫌っている人もいる。なぜかこれは私はあまり気にならないのだが、それでも気分がそがれてしまうのは否めないだろう、と思います。

盛りだくさんの記事を最後まで読んでいただきまして、
ありがとうございました。



よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

「透明なゆりかご」NHK金曜夜10時
原作/沖田×華
脚本/安達奈緒子
清原果耶/瀬戸康史/酒井若菜/水川あさみ/原田美枝子


脚本は「コード・ブルー シーズン3」の安達奈緒子。

NHKらしい、落ち着いたドラマ。
ゆえに、あらためて見やすい。
奇抜な演出はなく、上品なつくりで、冒頭シーンから引きこまれた。
民放ではできない雰囲気だろう。

医療ドラマは多い。産婦人科ドラマでは「コウノドリ」が人気だが、
あちらのような「ヒーロー」的医師はいない。

主人公・青田アオイ(清原)は、高校の准看護学科に通う17歳。
看護助手として由比産婦人科でアルバイトをすることになった。

初っ端から、中絶と向き合うことに。
一方で出産にも立ち会う。
けれども、退院のその日に赤ちゃんが死んでしまったと知る。
ワケアリだったその女性。母親になった彼女。あんなにがんばると言って、一か月検診での再開を約束して退院していったのに……。
授乳中に母親が眠ってしまい、赤ちゃんが圧迫されて窒息死したらしい、と。
アオイの心に深く痛い思いが残る。
視聴者にも、もしかして……という気配を与える。

第2話では、高校生の女の子が自宅で出産。由比産婦人科に捨てる。
アオイが少しの間育てる。引き取りにくる両親と高校生。
女子高生は、赤ん坊を嫌っている。その様子を許せないと思うアオイ。
彼女に一言いってやろうと自転車を走らせるアオイ。
その意外と長い道のりを、しんどい身体で子どもを捨てに来た彼女の思いを追体験しながら、アオイは自身の心の葛藤とたたかう。

妊娠・出産というのはその背景で、歓喜と悲劇のどちらにもなるというなんとも言えない現実が、静かなバランスで描かれていると思う。

この女子高生の場合は、親が養子として籍に入れ、女子高生の妹として育てることになったが、
私は、こういったシーンでいつも思う。
第1話もそうだったけど、この子どもの父親はどうしているんだ、と。

清原果耶と瀬戸康史は、朝ドラ「あさが来た」に出演していた。
清原は、女中のふゆ役を演じた。
当時から注目していたが、いよいよ主演ドラマ。
これからが楽しみな女優だ。

たくさんの感情を体験していくこのドラマのなかのアオイも、
これからの成長が楽しみだ。




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