よりみちねこのドラマカデミア

よりみち視点でドラマをアカデミアするよ。

2018年09月

よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!


「乱反射」メ~テレ(テレビ朝日)
2018年9月22日夜22時15分放送
原作/貫井 徳郎
脚本/成瀬 活雄・石井 裕也
監督/石井 裕也
妻夫木聡/井上真央/萩原聖人/光石研/三浦貴大/田山 涼成/鶴見 辰吾 他


なんとも重苦しい、いや~な気持ちの残るドラマだった。
最後のシーンが、なおさら拍車をかける。人間の良心とは何だろう。

ある風の強い日、光恵(井上)がベビーカーに乗せた子どもと歩道を家に向かっていた。駅前にタクシーが見当たらなので、歩くことにした。少し行ったところで、強風で大きな街路樹が倒れてきた。子どもが死亡。
新聞記者の光恵の夫(妻夫木)は、息子を殺した人間を突き詰めようと聞き込みをはじめる。なかば乱心の復讐のごとく。

最後は正義が勝つのかなと思いきや、どうらや何事も起きずに終わりそうだぞ、とドラマの進行とともに思い始める私。
普通に考えれば、行政の責任を問えるところだろうが、そもそもこの夫婦も訴訟を起こそうともしない。

乱反射、というタイトルにあるように、ひとりひとりの行動、行為が連鎖を呼んで起きた事故、であることをドラマははっきりと見せる。
ひとりひとりの行動は日常の繰り返し。
日常と言っても、良い行いはひとつもない。
仕事放棄や怠慢、ルール違反の重なり。

犬の散歩をする老齢の男(田山)は、日々、犬の糞を樹木の根本にさせてそのまま放置。
糞苦情の電話を面倒がる役所の担当者。
樹木診断をする造園会社の男(萩原)は極度の潔癖症で犬の糞のためにその樹木の診断ができなかった。
樹木診断を伐採業者と勘違いして詰め寄り、仕事の邪魔をしてしまった街路樹伐採反対を叫んで運動しいてる住民女性たち。
救急車で運ばれた子どもを嫌がって受け入れなかったすぐ近くの病院医師(三浦)。

事故の日、病院へ義父の見舞いに行っていた光恵。自分が光恵さんを引きとめなければと悔やむ義母。自分が入院さえしなければと悲しむ義父。

人生は、さまざまな出来事と選択がつながってできている。
明るいドラマだと、それで恋人ができたり、仕事が見つかったりする。
これは、不幸な人生のシーンが、どのような順番で起きることになったのかを示してくれながら、同時に、それが人間ひとりひとりの倫理観の欠如がつながりにつながって起きた事故だよ、と教えてくれる。

人間の倫理観だったり、職業的義務の放棄や職業意識の低さ、というのは、バレなければきっと何ということはないのだろう。些細な事だと思っていることが、実はとても大きな災いをどこかの誰かが被っていることなど、このドラマのような明確な事故でもないかぎり知らずに過ごすことができる。おそらくこの世のたいていの場所がそうだ。
病院だって、外科医は不在ですなどと嘘をつかれたって分からない。
店だって、そんなもの売ってませんよと言われれば、そうですか、と引き下がるしかない。

気持ちの良い解決をみるドラマではなかった。
けれどもドラマとして、誰かが罰せられていかにも正義が勝ちました的なシーンがあればそれでいいのか?と私は自問自答した。何をもって気持ちが良いとか悪いとか思うのだろう。

連鎖の要因のひとつひとつとなった人々は、これからも反省することなく普通に安泰に暮らしていく。

役所の人間たちはちょっとこのままでは困るな。影響が大きすぎる。
医者の倫理観も直してほしいところだ。

極度の潔癖症で仕事に支障をきたしていた彼も、早くに仕事を離れて治療するなり、自分にもできる仕事に切り替えていればよかったのに、とは思うが、このドラマのなかで、一番正直だったのは彼だ。「良心」があるからこそ、悩みながらも告白する。それを見守る社長にもとりあえず良心はあった。

一番の衝撃は、死んでしまったこの子どもの両親。彼らもルールを破っている。
ちょっと遠出するとき、明日の朝ゴミ出しできないからと、出かけた先の公園のゴミ箱に大きなゴミ袋を持ってきて捨てている。習慣になっているようだ。
家庭ごみを捨てないでください、という貼り紙があるのに。
何らかの理由でゴミの日に出すことができないなら、家に保管して、次のゴミの日に出せばいいだけのことなのに。

被害者も事故の原因となった人々も、造園業者以外はみんなでルール違反をしている。
そして、なんとも思っていない。「良心」がない。
なんとも思っていないどころか、自分のことは棚に上げて、他を批判したり自分を守ることには一生懸命だ。

私たち人間というのは、こんなものなんだ。いや、お前たちはこんなんだよ、とドラマが言っている。やってるだろう、あんたたちも、と。
自分だけは違う、という人がもしいたら、一番何も気づいていない、そうすることが当たり前だと思っているか、そうして何が悪いと開き直っている、バリバリの倫理観のない違反者なんだろう。
「良心のある人々」(たいていの人がこのグループなのだが)だって、みんなやってる、自分だけ損したくない的思考回路が働くと、ちょっとだから大丈夫とルール違反を犯す。

松本清張の社会派サスペンスとも少し違う。切ない気づき、人間の悲哀のようなものが松本作品には見られるように思うが、このドラマにはセンチメンタルとか同情といった感情は無縁だ。いわゆるサイコパス要素が漂う。「良心がない」という意味で。
もし死んだ子どもの親が訴訟を起こせば、造園業者が責任を取ることになるだろう。彼らには良心があるので、罪を認めるだろうから。役所の担当責任者も形式的に罪を問われるだろうが。しかし、結局予見不可能、となるだろう。実際は難しい。
現実問題として、犬の糞尿で根本が痛んでいる樹木や電信柱などは多いと聞く。

社会の歪みが先なのか、人間の心の歪みが先なのか。
いや、人間の心の歪みが生み出す社会の歪み、なのだろう。
その片棒を私もあなたも担いでいますよ、というのが、最後のシーン。

不幸の連鎖。
ペイフォワードの不幸版だ。
自分だけ得をしようではなく、
できれば、幸福連鎖の社会、世界にしたいものだ。
恩送り。ぺイフォワードpay it forward。


妻夫木聡、年取ったな。
井上真央、やっぱりうまいと思う。
三浦貴大は、最近こんな役ばかりだな。真逆の演技を観てみたい。




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「透明なゆりかご」NHK

主人公・青田アオイを清原果耶が好演した。
朝ドラ「あさが来た」の奉公人ふゆ役のときから私は注目していたので、よい役をもらってよかったね、しかも主演で、と思う。
朝ドラ当時はまだ14歳だった。といっても、まだ16歳か。ますます将来が楽しみな女優さんだ。

とても丁寧に静かに描かれたある産婦人科医院の物語。
妊娠出産にまつわるあれこれを、じっくりと訴えかけてくる。こうした描き方はNHKならではだと思う。同系テーマの民放ドラマでは「コウノドリ」があったが、もっともっとドラマチックだ。

こちらは、ドラマチックではない、民放のような派手は演出はないが、もしかしたら本当の意味でドラマチックなのかもしれない。

出産に迷ったり、母体が助からなかったり、毎日のようにある堕胎だったりが、高校の准看護科に通っているアルバイト見習い看護師のアオイの目を通して、切実に映し出されていく。

各回、それぞれが深く、印象的なエピソードばかり。

第9話の「透明な子」は、母親の再婚相手の男、つまり新しい父親から日常的に性暴力を受けていた小学生の少女・亜美ちゃんの話。アオイと亜美ちゃんは図書館友だちだった。
気づいてあげられなかったことを悔やむアオイ。デリケートな問題なので、まだ見習いの身のアオイは接触することを禁止される。が、アオイの率直な対応が、亜美ちゃんの心を開く。

最終話「7日間の命」では、心臓などに重い病のあることが妊娠20週で判明した夫婦が、悩んだ末に出産を決意する話。さらに悩んだ結果、出産後の積極的治療を受けないことを決める。短い命を大切に大切にして病室で過ごす親子3人。

重いテーマと誠実に向き合って、誠実に描き出してくれたドラマだった。
好奇な視線で描いたドラマは、好奇な視聴の目に晒される。
誠実な目線は、誠実に事実や状況、問題をもあぶり出し、感じたり考えたりする機会を投げかけてくる。それは、まさにアオイの目と心そのもの。
アオイの誠実な姿が、好奇や批判の思いを視聴者が持つことを許さない。

ただ、こういった妊娠出産にまつわる出来事を知るとき、私がいつも思うことがある。
それは、ドラマだけではなく、実際の事件、ニュースでも。
妊娠したとき、どうして女性ばかりが苦しむことになるのか。父親はどこへ行ったのか。
男尊女卑とかいって男性は威張っているが、卑怯ではないか、と。

一人で生んで一人で育てて、そして育てきれずに殺してしまうという事件だってめずらしくない。
なぜ、女性、母親だけが殺人犯になってしまうのか。
理不尽だと思わざるを得ない。

このドラマのエピソードにもいくつかあった。
産婦人科の医師は、性暴力も含めて日々そのような女性性の辛い側面と向き合っている。

出産は、素晴らしい、喜ばしい、寿ぐことだ。産婦人科の育児室にいる赤ちゃんたちを見て、頬が緩まない人はいないだろう。
その一方で、苦しい思いをしている女性たちも大勢いる。
産院というところは、なんとも言えない明と暗、光と闇の同居する場所でもある。

様々な問い掛けのある良質のドラマでした。
再放送の際には、ぜひご視聴をおすすめします。



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「義母と娘のブルース」TBS


はい。酷評してきました。
このデフォルメ下品な感じについていけず、とうとう半分ほどから先を毎週観ることができなくなりました。
録画はしており、最終話のあと一気に観ようと思って、実際そうしました。

さて、原作はさておき、
最終話は良かった。
そして、これは、麦田青年(佐藤健)の立ち直りと彼のパン屋再生の物語のほうが主流なのか?と思ってしまった。
そこまでもっていくための前半。この前半は必要だったのか?
麦田との奇跡の出会いのための前半、ではあるわけだが。前半の謎のシーンが、綾瀬はるか演じる義母・亜希子の契約結婚物語とちぐはぐすぎて、頭の悪い私にはドラマの雰囲気を心のなかで反芻できない。
今となっては、最終話へもっていくための伏線の連続である前半だったと分かる。その伏線の連続が「奇跡」を表現しているらしいのだが、奇跡とか縁とかシンクロニシティというのは、そういうものではあるが、何と言いますかすこ~し違うような気がしないでもありません。

亜希子という存在が、二人の男性、夫と麦田を救ったという視点で考えると、亜希子は彼らにとってスーパーマンだ。ついでに娘にとっても。亜希子は会社でもスーパーマンだったわけで。
ときにコメディポカをやりながらも、必ず解決策を見出していく。こういう人がそばにいてくれればな、と切望する人は世の中にたくさんいることだろう。

最終話で吐露される亜希子の生い立ち。親を早くに亡くした自分。その幼い自分を育てるために娘・みゆき(上白石萌歌)を利用しただけだ、と言う。
インナーチャイルドということか。
自分がしてほしかったことを娘にしてあげようと思った、と言う義母。それを世間では愛と言うんだ、と言うみゆき。
ここは、非常に良かった。率直にいささかビジネス的に子育てに臨んだ亜希子。親の愛を十分に受けないまま大人になると、人はそれが満たされるまで奪う側の人間になってしまうのが常々ではある。そんなことでは決して満たされないのだが。
そうではなく、自分がしてもらえなかったことをしてあげようとする、その方向でインナーチャイルドを癒していくのは、最善の方法ではないかと思う。なんだかんだと処方の数々はあるだろうが、もしかしたらそれしかないのかもしれない。
共依存ではなく、愛を与え合う、互いが互いを尊重し合う自立した関係を築いた義母と娘。

親子関係の妙は、亜希子とみゆきだけではない。麦田とその父親の間でも、描かれている。
麦田は、コミカルな役どころではあるが、父親に逆らいながらいわゆる自分探しをしている青年の設定だ。どんな仕事についても上手くできず、すぐにやめてしまう。そして最後、父親のパン屋を継ぐことになる。そこに自分の宝があったことに気づく。一種の「青い鳥」現象である。その気づきと発展を与えてくれたのが亜希子だ。
そういう意味では、亜希子はみゆきに働く自分の背中を見せるためにベーカリー麦田の再建に着手したので、これも利用した、と言えなくもない。
ビジネスライクと愛情は一致しないのが常だが、このドラマのような「奇跡」もあるようだ。

最後に奇跡が起こる奇跡が起こる、と番宣で綾瀬が言っていたが、何が奇跡といって、亜希子のスーパーマン的仕事が愛である、というところかな、と私は思った。

前半の部分は必要ないのではと冒頭に書いたが、それでも伏線として、もちろん、義母と娘の出会いの部分として必要ないことはない。けれどもその部分が私には苦痛だった。
連続ドラマではなく、スペシャルドラマの時間内で一気に描いたほうがよかったのではないかと、このドラマを酷評してきた私は思います。

役者としては、綾瀬はるかがこんな役をやっていいのか、と乱暴かもしれませんが思います。

それから、最近、他のドラマと俳優が重なることが多いと、こちらでもたびたび書いてきました。
私は、この状況、あまり好きではないのです。役者はいっぱいいるのだから、他の役者さんにもチャンスを与えてあげてください、ということと、あれ?こっちの刑事?犯人?とか戸惑ってしまうことが多いので。ワンシーズン、1ドラマにしてほしいと素人考えで思ってしまう。
このドラマではないが、ゲスト出演で今夏あちこちに出ていた近藤公園。この人けっこうサスペンスにも欠かせない存在になっているみたいで。映画「ウォーターボーイズ」にも出演していた俳優さんですが、今夏だけではなくちょっとこのところ、え、またこっちでも?と思ってしまって、食傷気味になってしまいました。それだけ売れっ子と言われてしまえばしかたないのかもしれませんが。もちろん俳優さんを非難しているわけではありません。

さらに、え?いいの?と思うくらいばっちり「作品をぬっていた」俳優、佐藤健。
「義母と娘のブルース」ではベーカリー麦田の店長であり、朝ドラ「半分、青い。」では主人公の相手役、萩尾律。

9月21日の「朝イチ」にゲスト出演していた佐藤健。
同時期に2つ以上のドラマに出演することを「作品をぬう」と言うのだそうです。
彼曰く、作品をぬうのは初めてのこと。意外とできるんだなと思った、と。
確かに役作り、切り替えも大変でしょうから、それがけっこうできた、と喜んでいるのか、ほっとしているのか。

いくらそういことができて、売れっ子の証明だったり、意外とできたりしても、基本的には、私は作品はぬってほしくないです。放送日が重なっていなければ、同時期の撮影はいいですけど。映画とかも。再放送は別です。
チョイ役でも気になるのに、主役の相手役とか、エピソードゲストとか、魅力が半減します。

一方は北川作品。
もう一方は森下佳子作品。「とんび」「天皇の料理番」だもんね。断れないよね。
とミーハー的に思いました。





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「健康で文化的な最低限度の生活」フジテレビ(カンテレ)


まずは兎にも角にも、吉岡里帆復活!でよかった!極めて個人的感想です。
つまり、今冬に放送された「きみが心に棲みついた」があまりにひどかったので、いえ、吉岡自身ではなく、役に恵まれずかわいそうだな、と思っていたので。
「カルテット」のなかでも、主人公たちとは対照的な嫌な人間を演じたが、これは整合性があり、穏やかでコミカルな役が似合う(と私は思っている)彼女が好演した。

このドラマはタイトル通り「生活保護」についてのあれこれを描くドラマ。
生活保護受給者が年々増えているという今の日本。
私の周辺にも意外と「います」。

不正受給や役人の不手際、さらにその役人の心無い対応によって死んでいった人たちなどについてのニュースを、私たちは、テレビやネットから知ります。
確かに不正受給は言語道断。しかし、それを恐れて猜疑心のかたまりで市民を見すぎる役所の人間もどうかと思う。
このドラマのなでも描かれていたが、対応が不誠実な公務員、市民を見下す公務員は、ドラマのなかだけではなく、決してデフォルメではなく、必ずいます。
むしろ、吉岡演じる義経えみるたちのようなケースワーカーは稀だ、と言わざるをえないかもしれない。

ゆえに、こうした公的保護を受けなければならない状況になったとき、それは市民の権利なのだけれど、そんな不見識で横柄な態度の役人と対応して惨めな思いがさらに募るのであれば、死んだ方がましだな、と私は考えている。日本というのは弱者に冷たいだけではなく、権限を持った人たちが優越的立場で人を蔑む、という傾向があるようだ。近頃話題になっている、飲食店で客が店員に威張る現象というのも、同質だと思う。日本人の「性質(タチ)」なのだろう。つきつめると「人権意識の低さ」ということなのだろうが、この話題はまた別の機会に。

義経えみるのいる東京都東区役所生活課は、理想的な課だ。別世界のようだな。
川栄李奈演じるケースワーカー栗橋千奈は、相談者と別の役所に行って、そのあまりに辛辣な窓口の態度に激怒する、というシーンもあった。たいていがこっちである。
東区役所の人たちのような役人はまずいない、と言っても過言ではない。
人手不足や不正受給防止を言い訳にするが、それでは生活課の仕事をしていないのと同じだと私は思っている。

温かい言葉の一言、自分の状況を受け止めてもらえたという喜び、一緒に考えてくれる人の存在を感じる、たったそれだけでも人間は立ち直れるものだし、意欲も取り戻せる。

えみるは、辛い思いもしながら、考えながら、学びながら、まっすぐに相談者、利用者たちの心と現状に立ち向かう。どうしたら一番いいか、を考えていく。すぐにはどうにもならないこともあるだろうが、それでも少しずつ進んでいく。

こんなケースワーカーだったら、何かあったとき安心だけど……。

難を言えば、「生活保護」受給の条件や手続き、ケースバイケースをさらに詳細に分かりやすく知らせてほしかった。
どうしてもドラマチックのほうに心が奪われるので。
その点「隣の家族は青く見える」は、家族の形の多様性と公的手続きについて端的に詳細に描かれていたと思う。厚生労働省タイアップだから?でも厚労省がタイアップを決めたのは初回放送日前日だったらしいが。それほどよくできたドラマ、だったのか。いずれにせよ、勉強になった。

「健康で文化的な最低限の生活」、良いドラマだったと思う。今夏シーズンよりみちベスト3に入る、かな、ベスト5には入ります。
吉岡も役に恵まれたと思う。

もうひとつ難を言えば、
観たあとに、本当はこんな役所ないよな、こんな役人いないよな、とふと心のどこかで思ってしまうところ、だろうか。ペシミスト過ぎでしょうか?



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「この世界の片隅に」TBS

いろいろ言われてはいた。
岡田惠和の脚本、音楽は久石譲と、大物揃い。ゆえに何も言えない、というある種のネガティブな感想もドラマ評論家から出ていた。

でもね、やっぱり久石の音楽は感動する。うまい。

「この世界の片隅に」は、以前にもスペシャルドラマ化されている。
最近ではアニメ映画になって、じわじわ人気が出たという経緯がある。のんがすずさんの声を演じて大好評だった。めったに映画館へ行かない私が、映画館でこのアニメ映画を観た。コミックも買った。
私は、このアニメ映画ではじめて、この物語を知った。

アニメの印象が強くなっているだけに、アニメ映画公開からさほど時を経ていない今夏の連続ドラマ化。はたしてどうだろう、と私も半信半疑だった。
岡田のことだから、きっと上手に描いてくれるよ、と上から目線で期待した。

「現代」が出てくるところが、初回では非常に違和感があった。
次第に、そこに出てくるおばあさんが誰であるか、気づいた。
けれども、全く無関係の現代のカップルが出てきて、人生に迷っているその女性がそのおばあさんと出会って、そして、すずさんの家で癒されていくというストーリー、必要だったのだろうか。
ごめんなさい。感じ入ることができなかったです。

最後は広島カープの応援で終わる。
球場には左腕をあげて広島カープを応援するすずさんらしき人の後ろ姿。
そして広島への応援。

「すずさんは存命でカープ女子」という設定は当然原作にはなく、劇場版にも登場しない。劇場版の片渕須直監督が舞台挨拶の際に「すずさんはいま91歳。いまも元気に広島カープの応援していますよ!」と発言したものが元になっている(2年前の発言なので現在は93歳)。
(エキサイトニュースより)

ああ、そういうことなのね。片渕須直監督へのオマージュでもあるのかしら。

戦中戦後、昭和のどんどん豊かになっていく日本とそして平成も終わろうとしている今夏まで、を生き抜いてきた人々の人生というものを、一気に感じさせてくれる仕掛けになっているということのようだ。

そのためにこの現代シーンは必要だったのだろう、ということは分かるのだが、松本穂香と松坂桃李の配役が良かっただけに、榮倉奈々と古舘佑太郎の雰囲気がどうも居心地の悪さを感じてしまう。
こういう描き方、岡田は苦手なのではないか、とファンとしては邪推してしまう。
ハッピーエンドを意識したのか。
あるいは、どんな背景の時代も、人の生活はささやかに続いていく、ということを表現しているのか。
私は、この現代シーンに出てくるおばあさん(香川京子)が、原爆で廃虚となった広島ですずさん夫婦に引き取られた節子だと分かったとき、いわゆる戦争孤児のことにまで触れてくれるのかな、岡田のことだから、と想像していた。ちょうど今年、戦争孤児の真実について、NHKでいくつか放送があったので。だが、そうではなかった。


アニメのほうがいい、という人も多いかと思うが、
私は、役者が演じるドラマのほうが、分かりやすくてよかった。
役者の性質が、原作の人物たちとは違ってしまうこともあるだろうが、このドラマでは、どの登場人物もミスキャストはなかったように思うし、アニメよりも人間味にあふれていたように思う。
もしかしたら、ひとえに尾野真千子のオーラのおかげかもしれないが。

尾野真千子は大女優だと、出演ドラマを観るたびに思いが募る。

戦中と占領下の日本。
悲しみや恐怖やひもじさのなかにも、
それでも人の日常生活は続くという幸福がそこにある。
だからと言って、戦争はしてもよいとか、だいじょうぶとか、なんともないとかいうことではない。
例えば、新型爆弾(原爆)が広島に投下されても、それが何であるのか分かっていない人々の姿を、その悲劇の大きさをすでに知っている第三者の目が見るとき、何とも言えない慄然としたものを感じる。

防空壕から出てきて、そのまま行ってきますと仕事に向かうすずさんの夫と義父。これも淡々と描いているけれど、なんとも異様な姿。それが日常になる。
そして戦争には勝つと思っている人々。
戦争に負けて、なんで負けたのかと怒るすず。最後のひとりまで戦うって言ったじゃないか。それは洗脳されていたから?ではなく、自分の実家の家族も含めてたくさんの犠牲者がいることへの怒りだ。

これは反戦物語ではない、という人も多い。
私は、むしろ、最大級の反戦物語のように感じる。
アイロニーという戦慄と抵抗。

アニメ映画の余韻の残るなか、原作の雰囲気を損なわず、そこに少しばかりの岡田テイストを滲ませた、「いいドラマ」に仕上がっていたと思う。
欲を言えば、現代シーンを取り除いたヴァージョンを観てみたい。
93歳のすずさんは、本当に最初と最後だけに出てくる形でもいいと思う。広島球場のシーン。カープ女子として節子と。

2018年7月10日の毎日新聞「赤坂電視台」に、松本穂香のインタビュー記事があった。

オーディションに参加した時は、北條すずさん役をやりたい一心でした。
以前、出演したNHKの「ひよっこ」と同じ岡田惠和さんが脚本を担当されることも大きな理由です。

舞台となる北條家は、1926(大正15)年に建てられた古民家を、呉から横浜にあるTBSのスタジオに移築して撮影しています。どこか懐かしい匂いがして、縁側で昼寝したくなるくらいに居心地がいいです。

(略)現代と比べると本当に不便です。同時に生活している感覚がしっかりあって、モノのありがたみも痛切に感じます。当時は初対面の人の結婚も珍しくなかったようですが、私はちょっと考えられないです。松坂桃李さん演じる周作さんほど理想的な旦那様なんて、そうそう巡り合えないでしょうから(笑い)。

あの家は、わざわざ呉からスタジオに持って来たのですね。確かに、そこまで含めて「大物揃い」かもしれません。
松本は「ひよっこ」でも好演だった。今の松本穂香とはすぐには判別できない演じっぷりだった。けれども、そこは個性をしっかり持っているのだろう。そのあと別のドラマを観ているとき、あれ?もしかしてこの子「ひよっこ」のあの変な……と気づくことができた。大女優の片鱗を、今垣間見ているのかもしれない。auのCM「ナイス松本さん」もvery goodだし。
次のドラマを期待する。


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「グッド・ドクター」フジテレビ

医療もの、感動もの、いろいろ言われてはいたが、
私は、とても楽しみに視聴することができた。

主役は新堂湊(みなと)。自閉症、サヴァン症候群の医師。
彼を演じる山崎賢人は役に恵まれたと思う。
役に恵まれる俳優はあまたいるだろう。その役をどう演じ切るか、ということが、役者にとってもドラマにとっても要となる。
役者は、それをきっかけに飛躍することができるし、ドラマは良質のドラマとして視聴者の記憶に残る。
山崎は巧みに演じ切ったと、私は思います。

新聞のインタビュー記事(2018年8月1日毎日新聞夕刊)で山崎は、
撮影に入る前に、世界各国で翻訳されベストセラーになった「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」(東田直樹著、角川文庫)を読んだ。心の中ではたくさんのことを感じ考えているのに、表に出して伝えることが難しい特質があると知った。
あえて目の力を抜いて演じるようにした。
と語っている。
さらに、こう言う。
「大切なことは真っすぐな心」だと、ピュアな湊という存在を通して視聴者に感じてほしい。ドラマが日本の医療の現状を変えるきかっけにもなれば、うれしい。

「日本の医療の現状を変えるきっかけ」とまで考えていたのですね。

私たちは、ときに、いや常に、湊のような存在を求めているのではないか、と私はドラマを観ながら思った。
それは「真っすぐな心」。

湊は、極めて正直だ。それはいわゆる障害を持っているがゆえなのだ。
正直すぎることはともすると、配慮がないとか、空気を読まない、ということになる。それゆえ、大人の態度とは本当のことを言わないこと、になってしまう。ということはつまり、世間の人たちは嘘つきばかり?と言うと言い過ぎかもしれないが。
これは言わないでおこうと胸に秘めてしまうことや、ときに、誰かや自分を守るために嘘をつくことが私たちにはある。例えば、大丈夫じゃないのに、大丈夫だと言ってみたり。
湊は違う。そのままだと死ぬ、と言う。どうして医者なのに助けないのか僕には分からない、と言う。本当のことを言う。
はじめのうちは、人々の感情の動きが分からないこともあったが、それも次第に学んでいき、その上で彼の取る素直な行動が、患者や家族の心を支えていく。
また、同僚の医師たちも湊の言葉に救われていく。例えば、湊の記憶力や特殊な才能に嫉妬していた医師も、湊から自分の才能や良いところを指摘されて驚き、心は癒されていく。
はっとした気づきを得る瞬間だ。自己発見と湊という人間の洞察力のすごさ、2つの衝撃が合わさる。湊は、出会った人々にそうしたアハ体験を与えてくれる存在でもある。

湊は、決して誰のことも悪く思わない。子どものころから傷つくことはたくさんあった。悪い人間たちにもたくさんあってきた。それでも、障害のおかげなのか、と言っては語弊があるかもしれませんが、それこそ、山崎が言うように徹底して「ピュアな」性質は、人を疑わない。

善なる心は必ず通じる。
湊自身はそんなことを思って行動しているわけではなく、そのように行動することが湊にとってごく自然なことであるだけなのだが、視聴者にはそんなピュアな精神を思い出させてくれる。そして、そういった状態がいかに心地の良いものであるのか、を知らせてくれる。
これは、不信渦巻く昨今の社会のなかで、私たちが必要としている要素なのではないでしょうか。
私たちはなぜか、ポジティブなことも言わない傾向がある。上記の同僚医師の例にあるように、嫉妬していた相手からもらう承認の言葉。今度は、自分が誰かを承認していくことになるだろう。
認めてもらった人は、別の誰かを認めていく。ペイフォワードだ。

涙の感動につなげるシナリオがみえみえで、それでも泣いちゃうけど云々、というネガティブな意見もあるが、湊のまっとうなピュアさに焦点を当てて視聴すると、いわゆる医療ものか、とがっかりしないと思う。

上野樹里、藤木直人ら、共演者も粒ぞろいで良かった。


韓国ドラマの実力は高い。



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「ヒモメン」テレビ朝日土曜ナイトドラマ
川口春奈/窪田正孝/勝地涼 他


最終話まで見終えて、はじめて感想を書きます。
何故かと言いますと、第1話を観たとき、
なんだこれは、ひどいドラマだ、観たくない、と思ったからです。
ヒモ男とそれを愛する女の姿が、サイコパスあるいはDV男とそれに騙されて、つまりひどいことをされたあとに優しくされて依存していく女、それを肯定しているドラマだ、と気味悪く感じてしまったからです。

ところがある日、録画を家族が観ていた。これ、面白くないよ、などと主張しながら、しかたなく目に入ってきた。
真面目に観ている私がバカだったということが、2話目を視聴して分かりました。
私は、爆笑していたのです。

あ、そうか、このドラマ、コメディなんだ、コントなんだ。
くそまじめに社会派視点で鑑賞するようなドラマとは違うんだ。

こんなに大声で笑ったドラマは、久々、いや、はじめてかもしれません。
アンジャッシュとかサンドウィッチマンのお笑いだ。

ヒモ男役の窪田正孝と、その彼女(川口春奈)が看護師として働いている病院の医師役の勝地涼の絡み合いがひどく愉快でたまらなかった。
窪田もよかったが、それ以上に勝地の奇抜コメディ顔演技が光っていた。
もうこれだけで十分、コントを楽しめる。

後輩看護師役の岡田結実。さすがお笑い芸人の娘、と言っていいのかどうか分からないが、光っていた。こうした役どころに欠かせない存在になるかもしれない。これからに期待。

あえて難を言うと、川口春名。
いまひとつだったかもしれない。他にぴったりの女優がいるかもしれないと思いをめぐらせて、波瑠はどうかな、と思ったが、目立ちすぎてしまうか…。松岡茉優とか?蓮佛美沙子?佐々木希?松本穂香?
空想はつきない。

ヒモ男のヒモ男セリフが、意外にポジティブに聞こえてくる。
つまり、型破りな思考が、誰がつくったのか分からない常識なるものをぶち抜いてくれる。
誰かを傷つけるわけではないので(世間体としては困ることも多いが)、みんながこんな呑気な生き方をしたら、実は平和と幸福は簡単にやってくるのかもしれない。

ヒモ男は、最大級、社会に世間に抵抗、抗議している存在なのかもしれないな。
「働かないという、働き方改革。」だそうだ。




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「捜査会議はリビングで!」NHKBSプレミアム

NHK夜10時のこの枠は、面白いものもあればそれほどでもないものもある。が、たいていは面白い。
民放では今の時代、こんなドラマはつくらない、つくれないだろうなぁ、というものが多いように思う。そういうもののときは、非常に面白い。
「捜査会議はリビングで!」は、まさにそのタイプだった。

千葉県警刑事部特殊班所属の刑事である妻(観月ありさ)と、小説家だか小説では売れていない作家で主夫もつとめる夫(田辺誠一)。
両者とも、ご近所には職業を秘密にしている。とくに妻は特殊捜査班ゆえ刑事であることを世間に知られてはならない。
家族に秘密があり、それに敏感に気づいて探る近所の主婦がいて、息子と友人たち、学校、先生、交番のおまわりさん、そのなかで様々起きる事件、出来事。青少年ドラマ、あるいは平和なホームドラマの定番だ。
事件の起き方とその解決方法、張られた伏線とその回収が「よくできた」ドラマだった。
かつてNHKで放送していた、「双子探偵」とか「ズッコケ三人組」の雰囲気を思い出す。

民放の刺激の多いドラマや過剰の感動を望む視聴者は、物足りなさを感じるかもしれない。
起承転結の基本とでも言うのでしょうか、正統派のお手本のようなドラマ。平和ドラマ好きの私でもわさわさどきどきするドラマに慣れていますが、そんなまっとうな感想を抱いていました。

こういうドラマも必要だと思います。
社会がどんどん不健全になっている21世紀。
このようなドラマがなくなったとき、世の中はいわゆるディストピアになっているのかもしれません。
アメリカでは、「スタートレック」が放送されているうちはまだ大丈夫、と言っている人たちもいると聞きます。

観月ありさもはまり役だったのではないか、と思う。
田辺誠一は、最近NHKでよく見かけるな。今春シーズンの土曜ドラマ「やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる」では、「11人もいる」で親子役だった神木隆之介と共演して、なかなか存在感があった。
ただし今期、テレビ朝日「刑事7人」にも7人の刑事のひとりとして出演しており、個人的は同時期の別ドラマ出演はやめてほしい、と思っている私としては嬉しくなかった。
この夏ドラマにはそれがとても多いので、気になり度が非常に高かった。全てのドラマを視聴しているわけではないのに、である。
ちなみに、この夫婦の秘密に気づいて探りを入れる近所の主婦を鷲尾真知子が演じていたが、昨日の「刑事7人」最終話でも見た。
俳優は、顔もそうですが、声もみなさん特徴があるので、意識のなかでつながってしまう。例えば、あれ?刑事?さっき犯人だったのに…みたいな混乱も起こる。

俳優はたくさんいるだろうに、どうして同じ俳優ばかり使うのか。

秘密がばれないかどうか単純にわくわくしながら、ユーモアに笑いながら安心して観ることのできる、昔ながらの健全ドラマでした。



よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!


「絶対零度 未然犯罪潜入捜査」フジテレビ

スタート時に、面白いドラマだ、と書いた。

アメリカのテレビドラマ「ブラックリスト」的な危険性を帯びた犯罪ドラマがいよいよ?とわくわくしたが、そこまでではなかった。

資料課を隠れ蓑に、「未犯システム」というAIによって割り出されたこれから誰かを殺そうとしている人物に、潜入によって近づき犯罪を未然に防ぐ有能な刑事たちの物語。
「未犯システム」はまだテスト段階。法制化はこれから。

選ばれた刑事たちは、皆それぞれにトラウマを抱えている。つまり、殺したいほど憎むべき存在がいるということ。ゆえに正義のために刑事という仕事をしている。

ドラマ制作として思ったのは、
上戸彩を出す意味があったのかどうなのか、ということ。
「絶対零度」は前2シーズンが「未解決捜査」「潜入捜査」で、上戸彩演じる刑事が成長していくドラマだったようだ。ようだ、と書いたのは、しっかり観たことがないので。あまり面白くなかったので視聴しなかったと記憶している。
アメリカでも人気タイトルの犯罪ドラマは捜査チームを変えて、スピンオフ番組がつくられることは多い。スピンオフのほうが人気が高くなってそちらが中心になることもあれば、いつも成功するとは限らず打ち切りになるバターンもある。
「絶対零度」のホームページにもそのようなことが書いてあり、アメリカ刑事ドラマを参考にしているのは分かった。
が、初回から最終話まで続いていく「謎」が、上戸彩演じる刑事の「謎」とイコールになっており、その「謎」に、新主人公である沢村一樹演じる刑事の「恨みの原因」が深く絡んでいるという、なぜか上戸彩はほとんど最初と最後にしか出てこないのに、注目され続けるという仕掛けになっていた。
視聴率のことを考えた策だったのだろうか、と邪推してしまう。

例えば、「クリミナル・マインド」でも本家本元の捜査官と「クリミナル・マインド 国際捜査班」の捜査官が友人同士だったり、合同捜査するエピソードもあったりするが、基本それぞれ独立している。
私は、むしろ、上戸と沢村は独立させたほうが良かったように思う。
恐れないでどんどん作ったらいいのでは?そこから大ヒット作が生まれますよ。

内容から感じ取ったことがある。
未然犯罪防止システム。
これは、どう役立つのかな、と。
罪を犯しそうな人を先回りして見つけて、本人も助け、被害者も助ける。そんな夢みたいなシステムがあれば、安全安心なのか。
つまり、こういった場合は良いと思う。善良な人が特定の恨みを抱いて、悩んだ末に人を殺そうと決意した場合、その人を犯罪者にしてはいけない、そのためにはぜひとも活用してほしいと思う。ただし、恨みを抱いている相手が法をの手を逃れている悪人であるなら、そいつを裁くシステムが別に必要だと思う。
理不尽に思ってしまうのは、犯罪を繰り返している人間だ。被害者を助けることはすなわち、犯罪者を助けることになる。そして、そいつは何食わぬ顔でまた同じ犯罪を繰り返していくだろうと推測できる。ジレンマだ。
このドラマの刑事たちも、そこに悩んでいた。
ゆえに、ひとりの刑事が征伐を下していた。つまり、殺していました。
平田満演じる刑事。ドラマ中盤で、それが見つかり、自殺します。
いち視聴者として、犯罪を未然に防がれて意気揚々としている悪人どもが
必殺仕事人のごとく制裁を加えられるシーンは正直すっきりした。
理不尽が解消される。

未犯システムなるものは、こうしたジレンマを引き起こすことになるのではないか、と思うと、罪を犯そうとした方にも何らかの法的措置をしたり、学習をさせるシステムが必要ではないか、と思ったりする。

さて、
平田満演じる刑事がいなくなってしまい大変残念だが(とてもナイスなキャラクターだったので)、
沢村一樹の「絶対零度」、シーズン2を望んでいます。




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