よりみちねこのドラマカデミア

よりみち視点でドラマをアカデミアするよ。

カテゴリ: よりみち映画評

こんにちは。よりみちねこです。
 
みんな元気?
 
「レ・ミゼラブル」を観た。
映画。
ヒュー・ジャックマン主演の。
びっくりぽん。
ミュージカルだった。ってか、
セリフが全部歌だった。
そうだったのか。
 
役者たち、歌うまい。
演技もうまい。
すごいにゃ
 
ヴィクトル・ユゴーの長編小説。岩波文庫で4冊もある。
きっと細かい人生の流れが描かれているんだろうにゃ。
これから読む?たぶん読まない。
子どものころに、子供用に書かれた「少女コゼット」を読んだ。
フランス語講座でもちょこっと読んだ。
 
これは、実は何を訴えかけようとしているのかな?
といささか首を傾げた。
 
権力と闘った民衆の勝利、というわけでもなさそうだ。
最後は、立ち上がった若者たちもたくさん死んだ。
小さな少年の勇気も。
いや、生き残れば勝利というわけでもないが、
もっと歓喜で終わるかと誤解していた。
民衆の歌で。
 
すぐに思い出したのは、
チャールズ・ディケンズの「オリバー・ツィスト」。
この時代のイングランドとかフランスの、
金持ちと貧乏人の格差は、並々ならないというのがよく分かる。
必ず出てくるよね。
汚らしい今にも病気になりそうな湿った庶民の町の様子と
その暮らしぶり。
 
数年前、
アベさんと奥さんが映画鑑賞に行った、というニュースがあった。
「レ・ミゼラブル」ともうひとつは、
サッチャーかなんかの映画だったと記憶している。
奥さんは、「レ・ミゼラブル」に涙を流した。
一方アベさんは、ほとんど感動しなかったようだ。
アベさんが感動したのは、もうひとつの映画、
権力者が権力をつかんでその意志を反映していくその苦難困難、だったようだ。
 
なるほど、と今さら思った。
学生や民衆が蜂起したら困る、いや、怖い、とすら思ったのかもしれない。
どちらも命がけ。そんなバカバカしいことはしたくない。
昨年のシールズの活動を見たとき、
「レ・ミゼラブル」のなかで学生が立ち上がって権力に立ち向かう場面が、目の前をちらついたかもしれない。
いや、そこまで映画を堪能していないか?

日本でも安保闘争なるものがかつてあった。
学生が声をあげるのは、苦しい生活から、将来を憂えて、だけでもないだろう。
様々勉強して、人間の幸福とは?理想の社会とは?
という思いがみなぎり、現実社会を見るとあまりにも違い過ぎることへの
落胆と憤懣、そして正義、なのかもしれない。

日本の今の学生たちは、実はそこまでの意識がないという。
シールズのような人たちがいる反面。
それは、
発展途上的貧しさはないし(世界中に貧しさはいっぱいあるが)、
当面の戦争問題もない(世界には戦争やその種が溢れているが)。
なんだかんだと言っても、まだまだ豊かな国であることは事実だ。
原発問題や改憲問題には関心がない。
それを「幸せ」で片付けてしまっていいのかにゃ。
学生というのは、高度な学問をしている人たちだ。
就活している人たちではない、本来は。
大学校で学ぶのは、あらゆる分野の哲学であるはずなのだが。

さて、この物語のテーマはどこにあるんだろう。
貧しさのためたったひとつのパンを盗んだ罪で一生その罪を背負うことになるジャン・バルジャン。助けてくれた司教をも裏切って逃げ、名を捨て、身を立て、市長にまでなった男。
そのひとりの男が、少女コゼットと出会うことで改心して、最後、民衆蜂起のリーダーだった青年とコゼットの結婚を見守って死んで行く、そのストーリーを、フランス社会の混乱と合わせて物語ってくれたのかにゃ。
小説はね、もっともっと深いはずなので、この映画に限っての感想。

罪は許された?
でもそもそも、最初の罪、負わされている罪は、
たった一つのパンだ。
そんな社会にしているのは権力者たち。
いや、どんな状況でも、盗みは罪。
罪を犯すくらいなら、死んだ方がいいのか?

どちらかというと社会の不条理を感じるよりみちねこだ。
が、
改心に焦点を当てることもできないこともない。

司教を裏切るということは、
そもそも悪心をもった人間だったのかにゃ? 
 
よりみちねこは、子どものころ、
ジャン・バルジャンにかわいそうな人だという印象を持っていた。

いずれにせよ、泣いた。
民衆蜂起にね



こんにちは。よりみちねこです。

今日はよりみち映画評。
昨夜テレビで観た。
(これから観る人で、不思議を楽しみたい人は読まないでね)

「陽だまりの彼女」
2013年 日本
松本潤/上野樹里


「イグアナの娘」だぁ、と思った。
つまり、
「人魚姫」+「鶴の恩返し」ファンタジー。
この映画は、そこにさらに、
「時をかける少女」の要素が入っている。

ファンタジーの古典がベースになっている。

真緒(上野樹里)は猫。
助けてもらった浩介(松本潤)に恋をして、人間にしてもらう。
広告会社に就職して2年の浩介。中学時代の同級生・真緒と再会して恋に落ち、
真緒の両親の反対を押し切って結婚する。
真緒は13歳までの記憶がない全生活史健忘という病気だという。両親はそのことを心配している。
人間になる前までの記憶がないのは、
「イグアナの娘」の娘(菅野美穂)の母(川島なお美)と同じだ。
彼女も、ガラパゴスで助けてくれた夫に恋をして人間にしてもらう。
真緒は、人間でいる年数に制限あるようだ。12年だからもう限界だ、と。
「イグアナの娘」では、自分の正体に気づいたときが死、だった。

新婚生活を送る二人。
真緒は本当に幸せそう。
上野樹里が猫に見えるのは、
猫人間の演技を巧みにしているからなのか、そもそもそう見えるのか、
なんだか不思議な感覚の漂う映像。
やはり上野樹里は天才女優なのか?

マンションから落下する少年を猫の身のこなしで助けたことが、
浩介の前から姿を消すきっかけ、決断となる。

真緒がいなくなると、
真緒の記憶は周囲の全ての人たちから消えてしまう。
両親も、うちには娘も息子もいない、と。浩介のことも記憶にない。
浩介も次第に忘れていく。
この記憶消失の設定は、「時をかける少女」だにゃ。
未来から来た青年が戻っていくとき、周囲の人々の思い出のなかから彼はいなくなる。

なので、ファンタジーとしては、よりみちねこ的には新鮮な驚きはなかった。
あ、あれか、と。
が、それなりに楽しめた。
ストーリーや恋愛ドラマよりも、
このファンタジーをこの映画ではどう描いてくれるのかな、
のほうに注目しての鑑賞だった。
難を言えば、これには「原作」があるわけだが、
映画のタイトルによりみち的不満が残る。
結局は松本潤ファンを狙ったアイドル映画か?という印象がぬぐえない。


「人魚姫」「鶴の恩返し」「時をかける少女」ファンタジーは、
偉大なる古典なのだな、ということがここへきて分かった。

そして、繰り返し表現されるということは、
現実世界でも、実際に起こっているファンタジーなのかもしれないにゃ
と思わないでもない。

ドラマを楽しもう


 

こんにちは。
よりみちねこです。

今日は、先日友人からいただいて、久々に観ることとなった映画、
2作品をご紹介する。
「今こそ観るべき」だと思ったにゃん

だたのSF映画、パニック映画的に捉えると間違ってしまう。
というか、
当時のよりみちねこは、そんな感じだったかもしれない、
と思うと情けない。
でもね、今だからこそ・・・なのかもしれない、とも思う。 


「コンタクト」
1997年 アメリカ
主演 ジョディ・フォスター 

アロウェイ博士(エリー)(ジョディ・フォスター)は、地球外生命とのコンタクトを求めて、天文台で探査を続けている。
あるとき、ヴェガと思われる方向から通信を受け取る。送られて来たデータの解析に成功すると、それは、一人乗り用のポッドと起動するための装置だった。
大統領の了解を得て、何が起こるか分からない巨大な装置を設計図通りに作り、送り出す人物も慎重に選び出すが、反対派の妨害によって爆破される。
しかし、北海道にもう一つ作られており、そこからエリーが乗り込むことになる。
エリーは、ワームホールを通って別の惑星へ辿り着き、そこで異星人と会うが、地球ではほんの一瞬でポッドが海に落ちただけだった。
エリーの体験談を誰も信じてくれない。
だが、エリーの記録(ノイズのみ)は、18時間にも及んでいたのは事実だった。

エリーの亡くなった父親の姿で現れた異星人は、まだまだこれからだ、と言っていた。

古い映画だけれど、あらためて今観ると、けっこう考えさせられてしまった。
 
まず、科学と宗教について語っている。
科学なのか?宗教なのか?
神を信じるか?
科学は神を冒涜しているのか?
 
地球外生命とコンタクトを計ろうとする科学者に罵声を浴びせるカルト教団的な人物。
彼は異星人を信じていないのか?
あるいは、宇宙人と触れ合ってはいけないという教義でもあるのか?
ただひたすら神だけを信じている?
それとも、自分たちこそコンタクトしたいのか?
よりみち的にはいささか不思議な感じがした。
いや、でも実際、そういうこともあるんだろうな。
みんながみんな歓迎するわけではないし、嫉妬もあるかもしれない。

このような新しいことが起こるであろう状況下では、色々な種類の人間の様々な思いが渦巻き、錯綜することは当然だろう。利権も絡んでね。
20世紀の終わりに、けっこうあけすけに表現されていたのだな。

宗教者たちの思惑も賛成反対、様々あるだろう。
市民たちだって、異星人を友好に感じる人もいれば、攻撃されるのではないかと恐れる人もいるだろう。
権力者たちは、その利権を我先に握ろうとする。
名誉、あるいはお金。
純粋に異星人と会いたいと思っていた科学者だって、本当に異星人が現れれば、権力に利用されていくことになるかもしれない。

誰かがどこかで、自分だけ得をしようと思っている人がいる限り、
異星人は本気でコンタクトしないのだろう。

エリーの恋人的存在パーマーは神父。
エリーは実証主義者。
一度は権力と口先だけのスピーチに負けてポッド搭乗者に選ばれなかったエリーだったが、狂信的人物のテロによって結局はエリーにその役目が回ってきたのは、選考委員のメンバーだったパーマーの気持ちによるところも大きいが、ある意味、神の思し召し的要素を示唆しているように見える。
自己本位の欲得のみで動く人物は排除された、という意味でも。 

エリーが、ワームホールを通って別の惑星へ行ったという話。
その証拠は?と問われても証拠など提示することができない。けれども、自分自身が確かに感じている、と主張する。
エリーが問いつめられるこの場面、スタップ細胞を思い出した。

よりみちねこは、目の不自由なエリーの同僚男性が気に入っている。
彼のような穏やかで特別な存在は、人を安心させ、助けてくれる。

人間の身勝手な強欲は、いつになったらなくなるのか・・・。
はやく異星人に会いたいね。
 

こっちはもっと古い。
「チャイナ・シンドローム」
1979年 アメリカ
主演 ジェーン・フォンダ

これ、今は地上派では放送できないかもね。
なにしろ、黒澤明の「夢」だって・・・。

ニュースキャスターのキンバリー(ジェーン・フォンダ)とカメラマンは、原子力発電所を取材中に、地震が起こり、原子炉に不具合が起きたのを目撃する。
ニュース発表は大したことはないとのことだったが、疑いを持ったキンバリーたちは、こっそり撮影していた映像を専門家に見せ、事の重大さを知る。
メルトダウンがおこる寸前だったのだ。
発電所は、再稼働しようとしている。
技師で責任者のゴデル(ジャック・レモン)は、不具合の原因を原子炉の溶接レントゲン写真の流用にあることに気づく。が、誰もとりあってくれない。検査などをすればどれだけの金が失われるか、そしてどれだけの金が入って来なくなるか、と。
ゴデルはキンバリーたちから、原発新設の反対集会での証言を頼まれる。
レントゲン写真を運んでいたキンバリーの仲間は交通事故を装って殺されかける。
最後、ゴデルは原発のコントロール室に立てこもり、原発の危険を訴える。
キンバリーが生中継することになるが、ゴデルは放送開始直後、撃たれて死ぬ。
稼働の圧力をかけた炉はパイプがはずれ、崩れる直前。

映画は、キンバリーが最後に発電所の外でゴデルの同僚にインタビューして終わる。
同僚はゴデルを英雄だと言った。

そして、音のないエンドロール。
不気味だ。

ウィキペディアによると、「この映画が公開されたのは1979年3月16日であるが、それからわずか12日後の3月28日にスリーマイル島原子力発電所事故が発生」したそうだ。

その後、チェルノブイリ、そして、福島と続く。

水位のメモリが下がっていき、燃料棒がむき出しになっていく様子に焦る技術者たち。
東京電力の当時のビデオの様子を思い出す。

レントゲン写真の流用は、今まさに起きているマンションの杭打ちデータのコピペをも彷彿とさせる。

なんということか。
不具合の元をたどると『「お金」に辿り着く』というのは、本当だ。
そのくらい大丈夫、と思える神経は理解しがたいが、
そこも上からの圧力で押し切られるとどうしようもない、ということか。
マスコミも同じだ。
キンバリーたちは、上の指示に逆らって行動したのだから。
それでも、殺されてしまったら、何も訴えられない。 


ぜひ、上記2つの映画、初めての人も、かつて観た人も、
鑑賞する価値はあると思うにゃ
時間がなければ、お正月にでも。

たったの2,30年で何かが大きく変わるとは思わないが、
しかしその間、世界の原発はどれだけ増えたのだろう。
紛争も戦争も、どれだけ増えたのだろう。

地球人は、いつになったら、異星人と交流できるのだろう。

今現在をさらに厳しい視点から見つめることができる映画だ、と思う。
まるで予言と警告。
・・・・・・

このページのトップヘ