よりみちねこのドラマカデミア

よりみち視点でドラマをアカデミアするよ。

カテゴリ: ドラマよりみち論考

よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

2018年冬期ドラマも終わった。
春期のドラマを楽しみに待つ時期に入った。

ところでこの冬は、あらためて
ドラマの質は視聴率とは比例しない、
ということに思いを致すシーズンとなった。

という感想もまた、ひとつの偏見かもしれないが。
ドラマとか映画とか小説などというものには、どうしても趣味趣向、好き嫌いという偏向感覚が伴うものなので、多数の感覚を惹きつけられたのかどうなのか、という観点は無視できないところではあるのだろう。

「相棒」とNHKをのぞいて、さらに私が視聴した今シーズンドラマのオリコンによる全話平均視聴率
「海月姫」       6.1%(最低5.0%)
「FINAL CUT」       6.9%
「きみが心に棲みついた」7.7%
「anone」        6.1%(最低4.4%)
「BG」          15.1%(最高17.3%最終回)
「隣の家族は青く見える」6.2%(最低4.6)
「アンナチュラル」          11.1%
「もみ消して冬」              9.8%
「99.9」                            17.4%(最高21%最終回)
「99.9」の最終話21%は、NHK朝ドラ「わろてんか」に迫った。

さらに私が注目して視聴し続け、こちらでよりみち評を数話に渡って書いた
「海月姫」「FINAL CUT」「anone」「隣の家族は青く見える」「アンナチュラル」。
「アンナチュラル」以外は10%を越えない、どころかとても低い視聴率だった。
はたして私は少数派、なのか。

さらに、
「海月姫」「FINAL CUT」「anone」「隣の家族は青く見える」
の4作品を、私は高く評価した。

「アンナチュラル」は最後までとりあえず見たが、素晴らしい!まではいかず。
詳しくはこのサイトの記事に書きました。
その他、
「きみが心に棲みついた」は、1話のみ視聴。あまりに気分が悪くなり2話目は見れず。
「BG」も、3話目くらいでまったく意識から消えてしまった。
「もみ消して冬」 は、波瑠が出演しているのでなんとか見ようと努力したが、3話目でギブアップ。
「99.9」も、最終回までチャンネルを合わせてはいたが、中盤あたりから、主人公をはじめ登場人物たちの「ギャグ」がどうも浮いていて鼻につくようになってしまった。「トリック」の失敗版みたいな。
主人公の表情もあまり好きではない。
「アンナチュラル」も「99.9」も、謎解きは面白い。
「貴族探偵(2017年春フジテレビ)」も、トリックが大変面白かったのだが、主人公の演技がどうもしっくりこず、残念だった。
デーブ・スペクターも言っていたが、キャスティングは大事だ。

とはいえ、私はどうやら少数派。

が、決して、「海月姫」「FINAL CUT」「anone」「隣の家族は青く見える」が、質の悪いドラマだったとは思えない。
むしろ良質で深い内容だったとさえ言えるように思うが、そこも好みなので、読者に押し付ける気は毛頭ない。

あらゆるテレビ番組について昨今言えることだが、
視聴率と質はまったく関係ない、ということだ。
視聴率とスポンサーの顔色だけを気にしてドラマでもドキュメンタリーでも、つくってほしくない。
スポンサーも、その辺りは審美眼を持っていただきたい。

視聴率の超低かったドラマの制作スタッフと俳優たちは、ぜひとも悲観しないでほしい。
他の高視聴率冬ドラマよりもずっと質の高い、中身のあるドラマでした。
スポンサーは嬉しくないだろうけれど、でも、出版社のことを考えてみてください。
出版社だって、いわゆる良質の本(古典を含む)を商業的に儲けられないのに、コツコツと印刷し、出版し続けている。
それを使命だと思っているからだろう。
そしてそれは、後世にとって大切な宝となる。






よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

さて、視聴率というものを見てみますと、
よりみちねこが好んで視聴し、高評価をつけているドラマが、
のきなみ低視聴率。
すでに視聴をやめてしまった作品がほぼみな10%を越えています。

質と視聴率は比例していない、と言われていますし、
よりみちねこもそう思いますが、
ことごとく惨敗となりますと、いささかへこみます。

それでも、よりみちねこと同じような好みで、
そのドラマのファンだ、興味深く観ている、という視聴者が全国にいると思います。

その皆さまへ向けまして、
2月11日(日)「日テレアップDate!」で放送した「放送番組審議会」の模様、
「合評 水曜ドラマ/anone」からお伝えします。

番組評議会委員
牧村さとる、三宅弘、増田明美、井上秀一、半田正夫、らは
ぼろくそ批評でした。
みんなただただおもしろいものをもとめているのだぁ、と分かりました。
ところが、
その場にいなかった二人の委員
高橋源一郎と岡田惠和のコメントは全く違って、賞賛でした。
高橋源一郎
3回目までを観て感じるのは、やはり坂元さんらしさですね。
どこかでみた物語、既視感のあるストーリーではなく、ちょっとみたことのない違和感さえある断片、というのが坂元さんのオリジナル脚本の特徴だとしたら、この「anone」も典型だと思います。
エンターテイメントとして観る作品というより、考えさせる作品ではないでしょうか。
このような冒険心にあふれた作品をつくろうという考え方はすばらしいと思います。

岡田惠和
脚本の坂元氏に関しては、同士だと思っておりますし、リスペクトしかありません。ファンです。
時々メールで励ましあっています。
作風も捉え方も描き方も全然違うのですが、二人に共通しているのは、いつでも書いているのが地味な人間ドラマだなということ。
今回のドラマも1話2話と観させていただきましたが、見事だなと思いました。さらに名作が生まれたんだなと思います。
ですので、何も言うことなどありません。ただただじっくりと最後まで堪能させていただきます。


番組制作サイドからは、反省の弁もありましたが、
そこまで迎合して、今後は分かりやすく云々的な申し訳は必要なのだろうか、とふと思いました。

上記、高橋と岡田のコメントは、さすがだなと拍手。
よりみちねこが上手く表現できなかった賛辞を的確に表現してくれていて、「それそれ」と思わず頷かせてくれるコメントでした。
とくに、
ちょっとみたことのない違和感さえある断片
これが言いたかったのです、よりみちねこも。
この文言が読まれたとき、それだ!と思いました。
そして、

地味な人間ドラマ
これにつきるかもしれません。
人間たちのドラマは地味な断片のつながりですよね。つながらないこともりますが。
それらが折り重なっていく。幾重にも。
アラビアンナイトの箱物語みたいに。

こういった作品を「重たい」「分かりにくい」と感じる人が大半なのだな、ということが、高橋、岡田以外の委員たちのコメントであらためてよく分かりました。

しかしはたして本当に「重たい」「分かりにくい」のだろうか。
「面倒」なのではないだろうか。何が?「考える」ことが。そして「分かりたくない」のかも。
一生懸命説明したり語ろうとする人に向かって、そんなことどうでもいいじゃん、とか言う人よくいますよね。そこまでくると、「重たい」「分かりにくい」「分かりたくない」を通り越して「理解できない」ではないか、とさえ感じます。

ドラマの内容は、そのまま世間や自分自身、人生についての思考にからんでくる。逆にそうでなければ、ドラマではないと思います。古代ギリシャの時代から。
それらを放棄してしまったとき、放棄させられてしまったとき、
人間は隷従を好んでいくのだろうと「自発的隷従論」(ボエシ著)などを読んでいると、そう感じます。



ファンタジーって何だろう?

「よりみちねこのドラマdeファンタジー」ってタイトルにしてるので、 
とりあえず、よりみちねこの思うファンタジーを語らないのは、
よりみちねこに興味を持ったり、よりみちねこのお喋りを読んでくれる人たちに、失礼だよね。

「ファンタジー」は「広辞苑」って辞典によると、
①空想。幻想。白日夢。
②幻想的な小説・童話。
③幻想曲
とある。
fantasy 英語辞典でも、ほぼ同じ。

「ドラマって?」でも喋ったけど、
どのみち、ドラマってのは「空想」「作り物」なわけだ。
ってことは?
「ドラマ」ってのは「ファンタジー」ってこと。
はい、おしまい。

う~ん、だけどね、
よりみちねこは、空想だの、幻想だの、というだけではない、
深い真相めいたものがドラマのなかに漂っているのを感じる。

ということで、よりみちねこのファンタジーへの思いを、
有名どころに代弁してもらうことにした。
よりみちねこがくだくだくっちゃべるより、そのほうが早い。

「はてしない物語(ネバーエンディングストーリー)」の作者
故・ミヒャエル・エンデに代弁してもらおう。

「ドラマ」のなかのシンクロニシティをご都合主義、嘘っぽいとシラけて観たり、
ドラマで描かれる人生や出来事の流れを、ポジティブにせよネガティブにせよ、
そんなの普通にドラマの手法だよ、と切って捨てる御仁への、
よりみちねこからのささやかな反論の後ろ盾となると思ってる。


ファンタジーというものは、現実から逃げるための手段ではなく、
現実に到達するためのほとんど唯一の手段です。


「はてしない物語」の至る所で暗示されていることですが、
ファンタージエンの世界は、私ひとりが創ったのではなく、いわば人類全体が創ったのです。


ユートピアを欠いているということは、
未来に投影すべきヴィジョン、懸隔を飛び越えるときの指標となるヴィジョンをもたない、
ということです。
ユートピアなしでは、人は本来、生きていけないのです。


創り出せるということ、これを私は、ファンタジーと呼んでいるのです。
あらゆる状況から新たなものを創造する能力、
まだどこにも存在しておらず、リスクに満ちたものを創り出せる能力です。


注目すべきは、世の中の独裁者がファンタジー文学や想像力を敵視したいという事実です。
彼らはファンタジーのなかに、何かアナーキーなものが隠れていると感じたんです。
こうしたことからも、ファンタジーは、人間が持っている創造的な力ということができると思います。


ファンタジーは、従来の思考秩序を解消し、
しかし同時に、
新しい観念を生み出したり、すでにある概念を新しい関連に置く。


世界の文化はどれをとっても、
人間の内的世界に従って外的環境を創りあげようとする試みから成り立っています。


私たちはみな、ゲーテが「精確なファンタジー」と呼んだ能力を発達させなければならない。
私たちはまったく新しい概念や観念を学ばなければならないし、
従来のそれを全く新しい、今までとは異なる関連付けをすることを学ばなければならない。


私にとってファンタジーとは、
新しい観念を形成する、
または、
既存の観念を新しい関連形態に置く人間の能力なのです。
その意味では、私たち現代人にとって、
具体的なファンタジーを発達させることほど必要なものはないのです。

文/訳は、ミヒャエルエンデボットさんのツィートより転載させていただいております。
@Michael_Ende_jp


「ネバーエンディングストーリー」は映画にもなっているので、
いささか古いが、
観たことのある人もいることだろう。
エンデは、映画について不満があったようだが、
よりみちねこは、それなりによくできた作品だと思ってる。
もちろん、全ては描かれていないが。

少年が入り込んでしまった物語の世界「ファンタージエン」は、
「虚無」によって失われつつあった。
「虚無」って何だ、と言えば、それは、
積極的に世界を滅ぼそうとする魔的な存在と、
もうひとつ、
夢を失った人間たちの心。
まあ、いろいろな感想もあろうが、
よりみちねこはそう感じた。

結局世界は破壊されるけど、
少年とひとつの小さな光が残る。
少年バスチアンが勇者アトレーユと一緒に旅をし、
その旅は、冒険譚を読む人々を感動させ、
「ここまで連れて来た」と、
ファンタージエンの姫君「おさなごころの君」は語る。
それから、破壊されてしまった世界の片隅で、
バスチアンにやりたいことを思い描くようにと言う姫君。
「思う」ところから世界は始まるのだから、と。

まさにファンタジーの世界、ドラマの世界、
と同時に、このキミたちの世界、
よりみちねこはそう思ってる。


夢っていうと、手垢のついた言葉になりつつあるみたいだけど、
夢や希望のなくなった世界に待っているのは「無」なんだと思う。

ともすると、数量的に、物理的にのみ形作られているかのように思ってしまう、
自分のたちの生息している世界。
しかしそこは、実は、心、感情、思いがなくなると、無くなってしまう世界なのだね。

そう考えると、
ジョン・レノンの作った歌
Happy Christmas(War is Over)
の最後、
War is over, if you want it
「もしキミが望むなら、戦争は終わる」
が本当だと分かる。
 
ドラマにはそうした思いを思い出させてくれる力がある。
だから、ドラマを観なくなって、あるいは観ても、シラケる人が増えてくると、
世界は殺風景な荒野と化していく。
それが、いかにもインテリであるかのような誤解を与えながら。

みんなの心にファンタジー
 

ドラマって何だろう?

dramaには、
戯曲、脚本、演劇、という意味の他に、
劇的、という意味があるよね。
ドラマチック。

今「ドラマ」と言うと、日本では、「テレビドラマ」を思い浮かべる人が多いと思う。
テレビ放送が始まって以来、それはすっかり定着したのだと思う。
ねこなので、専門的詳細には分からないし、偉そうにも言えない。

「ドラマチック」という表現には、いささかロマンチックな色合いもあろうか。

「ドラマみたい」と叫ぶとき、そこには、いささか奇跡のような出来事が伴っているだろう。
そして、「ドラマチック」にも「ドラマみたい」にも、「現実には有り得ない」が含まれているはずだ。
ゆえに、ドラマのなかでの「共時性」は「ドラマだからね普通にあることだよ」と日々の生活ではシラケていたりする。もしかすると、その感覚が近頃の「ドラマ離れ」とやらにつながっているのかもしれない。

一方で「ドラマはそういうもの」と割り切って見ている人もいるだろう。
そういう人たちは、シラケてはいない。単純にドラマを楽しんでいるだろうし、視聴率とやらに貢献してくれている。


視聴率と言えば、贔屓にしている俳優や歌手、タレントが出演しているという理由だけで、そのドラマを見る人たちもいる。彼ら彼女らも、視聴率を上げてくれる。
ところが最近は、ファンだから、というだけでドラマを見るという訳ではないという人も増えているようだ。その人たちは、ドラマの内容そのものに興味関心があるのだろう。健全だ。
また、ファンだから見ていたが、面白くないので途中で視聴をやめた、という人もいるかもしれない。逆に、この俳優好きじゃないから見たくなかったけど、ちょっと見たら面白くてはまった、ということもある。
筆者のよりみちねこは、上記どれにも当てはまる。

ドラマというのは、たいてい始まりは退屈だ。退屈と言わないまでも、登場人物の紹介やら、環境設定やら、背景を伝えなければならない。
往々にして、後半になって物語の展開に拍車がかかり、面白くなっていくものだ。
だが、初回の描き方が下手くそだと、視聴者は視聴をやめるかもしれない。
ゆえに強いインパクトを与えてグイグイと引き込む手腕が、脚本家や演出家に求められる。
後半に面白くなるかも、と思ってじっと耐えて見てくれる人はそう多くないかな。
お目当ての俳優や女優が出演していれば、忍耐力も続く。
それゆえ、キャスティングが物を言ってくる。
アイドルドラマなどと言われるものがあるのも致し方ない。
が、ドラマの本来性を無視したところで制作されていけば、それはいつしかレベルの低下を招き、視聴者やスポンサーに迎合することが、制作者たちの首を絞めることとなる。


「ドラマみたい」な人生は、波瀾万丈な人生のことが多い。
上がったり下がったりが激しかったり、とても不幸な生い立ちだったり、苦労が絶えなかった、難病だった、ものすごい差別やいじめを受けたとか・・・。
もちろん、それでは終わらない。最後には「成功」する。でないと「ドラマ」にはならない。
もちろん、悲劇もある。答えが出ない物語もある。
基本、「ドラマ」には「成功」「成長」「成果」がなければ「ドラマ」ではない。

その過程で起こる奇跡のような「奇跡の連続」を「ご都合主義」と感じる人もいる。
その「ご都合主義」をドラマを成り立たせるための手法としては当たり前とシラケて捉えるのか、
もしくは、それこそが「ファンタジー」だと認識するのか。

その割合が、世界の創造に影響しているのかもしれない。



 

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