こんにちは。
よりみちねこです。

今シーズンのドラマも、いよいよ佳境に入ってきたね。
今日は、ちょっと斜めの観点からよりみち視聴評をお届けするよ。

 
「無痛~診える眼~」(フジテレビ水曜よる10時・西島秀俊/伊藤敦)
「偽装の夫婦」(日本テレビ水曜よる10時・天海祐希/沢村一樹)
「視覚探偵 日暮旅人」

先日「視覚探偵 日暮旅人」というスペシャルドラマ日本テレビで視聴した。
聴覚、臭覚、味覚、触覚、を失った松坂桃李演ずる日暮旅人(ひぐらしたびと)。
残された感覚である視覚、それも超視覚とも言うべき能力を使って探偵の仕事をしている。
HPによると、新感覚のヒューマンミステリー。
面白かった。途中、そこまでこの「感情の流れが見える」視覚にこだわる必要があるのか?といささかの中だるみを感じながらも見続けたが、なるほど、なかなかの出来栄えだった。
最後、親子の愛、人間愛、を形にしてみせてくれたところ、制作者がヒューマンミステリーと謳う所以に納得がいった。
この物語の詳しい内容は、HPや他の方々の感想なり批評に譲るとして、
よりみちねこは、最近のドラマに現れる「本来の人の目には見えないもの」を描くドラマについて少々、この時期に触れておきたいと思った。

ミステリーや刑事もので言えば、いわゆる霊能者が活躍するものもある。
霊能者とまでは言わなくとも、何かを感じるとか、
刑事の勘まで含めれば、けっこうな数の作品が存在する。
見えないものが見えてしまうために厳しい人生を送る主人公のドラマもある。
死んだ人との対話のなかで主人公が成長していくドラマもある。つい最近では「流星ワゴン」が良い例かな。
「デート」では、死んだ母親がいちいち現れて助言や文句を言っていた。
冷たく言ってしまえば、霊的存在や能力は、物語のなかで都合よく使えるツールでもある。
もちろんそこには、トラウマなども含めて、深い心理的意味合いが込められていることもあるので、好都合などと言っては失礼なこともあろう。

そもそも幽霊の類いはUFOや宇宙人、迷信や妖怪と同じくくりになっていて、
信じるか信じないかはあなた次第、の世界になっているのが普通で、一般的には、霊的な何かが見えるとか聞こえるとか言うと、奇異な目で見られたり、ときに良好な関係を社会的に築けなくなることすらある。
物語への霊の登場は、最近多いというわけではなく、大昔からある。
「マッチ売りの少女」は、マッチを擦って、死んだおばあさんが現れる。
天使や妖精も珍しくはない。アリエッティのような小人もいる。
そもそも、洋の東西を問わず、童話や昔話の類いは、不思議物語で溢れている。

閑話休題。

「無痛~診える眼~」は、こちらでもすでに紹介しているが、
人を見ただけで病気や犯因症(殺人の兆候)が見える、という医師・為頼が活躍する医療+刑事物語だ。
これなどは、あっさり描いているが、まさに霊能者そのものだ。
バラエティ番組でときどきお目にかかる、病気を言い当てる少女とか、犯人や行方不明者を霊視するというおじさんを彷彿とさせる。
このドラマの根底のテーマは霊能医師にはなく、殺人の意志だとか、苦痛を取り除く方法、といったところにあるようなので、霊能部門で取り沙汰されると不本意かもしれない。
が、霊能捜査官という存在が欧米にはいるようだが、霊能医師と言っても過言ではない。
本来、医者は、それに近い存在であるべきだと、よりみちねこは思う。
経験や医者の勘から、観察眼も含めた霊眼で、患者の抱えている病気が分かる、そこまでいって本物の医師ではないか、とすら思うこともしばしばある。
というのは、本当にこいつ(言葉遣いが悪くて失敬)診察しているのか?という医者も多いからだ。ヤブ医者。
その一方で、わぁ、すごいなこの先生、という一目置くべき医者もいる。
まあ、これだけ医療が科学的に発展した現代社会ですら、検査しても検査しても、痛みや不具合の原因が分からない、ということは往々にしてある。
そんなときふと思うのは、やっぱり医者には「診る眼」が必要なんじゃないか、ってこと。
「スタートレックの医療用トリコーダー」が開発されれば、誰もが医師と霊の能力を持ち得るが。

「偽装の夫婦」は、何度もこちらで取り上げているが、
主人公ヒロの心の声が、字幕で出てくる(物語が後半に突入して、心の声を実際に口に出すようになったが)。
つまり、人間には「本音と建て前」というのがあって(特に日本には)、大人になると建て前で生きていくことを半ば強制される、というのが本音だろう。
心の声を発信するドラマは他にもあるし、独白などは、まさにその類いだし、小説では当たり前のことかもしれないが、このドラマでは、心の声が「本音」、と言っても「悪態」や「嫉妬」「憎悪」というのとはちょっと違うと、よりみちねこは感じている。つまり、ドンピシャ当たっている感想や事柄だったり、悪意のない本心だったりする。
よく見過ぎか?それでもいい。
人の心のなかが透けて見えれば、人は嘘をつくことができなくなる。
ということは、人を騙したり、傷つけたり、ましてや悪意や嫌悪を抱いたりすることは恥ずかくなるはずだ。それでも平気な人、平気だと開き直る人もいるだろうが。
人は、隠そうとすることがあるから苦しむし、おかしなこともしてしまう。
このドラマでは、そもそもほとんどの登場人物が嘘をついている。
「建て前」と表現すると、いかにも大人の世界、エリートの常識のように仕向けられているが、端的に言えば「嘘」だ。

「視覚探偵 日暮旅人」では、日暮旅人が唯一持つ感覚の「視覚」で、人の感情を見ることができる。目の前に居る人だけでなく、残していった感情も見える。それで、探し物もできるというわけだ。探偵にはもってこいの能力だ。
確かに人は、その場に感情(念)を残す。それを敏感に察知する人もいる。
神社などで人はお願い事をするよね。その人の感情(念)はときに強欲だったり、悪意だったりすることもあるから、その残された念の影響を受けると危険だからあまり近づかないほうがいい、と言う人もいる。 
余談だが、スタートレックでは、こういった人の痕跡をトリコーダーで感知できる。
まあ、言ってみれば、何を隠そう(隠してないかもしれないが)旅人の視覚は霊(超)能力だ。
 
旅人も為頼も、明らかに霊能者、超能力者、ユリ・ゲラー(古いが、超能力者の代名詞として)だ。
二人とも、止まった時計の針を動かすことはできないが、「本当のところ」を見抜くことができる。でも、本音を見抜いたところで、それを正常に健全に戻すことはできない。

まだそこまでだ。
10年後には、健全を取り戻すための能力、魔法ではなく、何らかの相互作用と気づきに伴う気持ちの変化で治療できる、というドラマが流行るかもしれない。

魔法といえば、ヒロのいとこはマジシャンなのだが、彼、自分の魔法でみんなを、とくにヒロを幸せにしたいと思ってきたらしい。いや、今でも。

「視覚探偵」では、クライマックスシーンで、事件を解決したあとに人質になっていた人たちが笑顔になり、みんな喜んでいるように見えた。が、旅人には、薄汚い彼らの感情、ざまぁみろ、の流れが見えていた。
「みんなの笑顔がよく見えない」という旅人。薄汚れた今の地球では生きにくいよね。
できれば、嘘かもしれないけど、笑顔も見せてあげたい。
超視覚のない人間たちはとりあえず、みんなの笑顔が見えて、嘘かもしれないけど、心が嬉しくなる。 
知らぬが仏? 

人間の心がこのような動き、つまり本音と建て前で動いているうちは、
弱肉強食も戦争もなくならないのだろうね。
自分も含めて、情けなく悲しい。

「本音」が見える、ということで言えば、
人の「本性」が見える愛(いとし)くん(風間俊介)がヒロインの相手役だったNHK朝ドラ「純と愛」は、朝ドラとしては衝撃的なストーリーだった。
「偽装夫婦」と同じ脚本家、遊川和彦の作品だ。
これも、表ではいい顔をしている人たちが、心のなかでは舌打ちをしていたりする様子が見える。しかし、主人公の純(夏菜)だけは、そのまま、裏表がない。愛(いとし)は、純にずっとそのままでいてほしい、と頼む。

ということで、
ドラマを通じて、人間どもは、いや失礼、人間たちは、「本当の姿」というものがいかほどのものであり、正直であること、そして悪意とは何か、について知り得ていき、心を成長させていくのではないか、その途上かな、と、よりみちねこは思う。
無意識にしている行為だったり、抱いている思いだったりを、
ドラマという目に見える形で提示してもらうことで、次第に人間は目覚めていくのかもしれないにゃ


よりみち観点で批評してみた。

ドラマを楽しもうね