こんにちは。
よりみちねこです。 

「偽装の夫婦」(日本テレビ 水曜夜10時)が、
12月9日、いよいよ最終回を迎えた。

先週の第9話では、
離婚したヒロ(天海祐希)と超治(沢村一樹)は、約束通り一年後に再会。
恋人の存在とそこに至った経緯を、遊川和彦という天才の筆が見事に描き出してくれた。

ヒロはしおりとゆうちゃん、超治は保と、
一緒に暮らしていた。

しかし、再会した二人は、
互いの存在を欲している自分に気づいていく。

そうかぁ、そういう結末に持っていきましたかぁ、という最終話だったよ。
 
ヒロはしおり(内田有紀)の願いを聞き入れて、ゆうちゃんと3人で、家族結婚式をすることに決めた。
が、
フリースクールをつくりたいという超治の話を聞いて、
ヒロはその仕事を手伝いたいと心の底から思ってしまう。
超治も、何でもできるヒロがいてくれれば・・・と思う。
 
やっぱりヒロは超治と離れたくない。
その心の声を、泣きながら、図書館で話すシーンがクライマックス。
登場人物たちがみな、図書館に集まっている。
さながら舞台のようだ。

ヒロは言う。
「しおりさん、このままだと、私、また心の声を隠して生きていってしまいそうだから、あなたと結婚できません」
「うそだよね、ヒロちゃん」
そう、一番傷ついてしまったのは、しおりの娘ゆうちゃん。
次のセリフ、ヒロとゆうの遣り取りは強烈だ。
「たくさんの人を幸せにしたいって、(超治と)二人で力を合わせて、そうやって生きていきたいの」
「ゆうは、・・・ゆうはしあわせじゃない」

「結局私たちの言ってることなんて、きれいごとなのかな。偽善なのかな、意味なんかないのかな。私はホントにみんなに幸せになってほしいのに」
ヒロは打ちひしがれる。

重いよね。
たくさんの人を幸せにしたいと思っているのに、
たったひとり、目の前のゆうちゃんを不幸にしている。
何かをしようとするときに、人がよく陥るジレンマだ。
そこをすかさず衝いて、偽善とか言って批判してきて、人の足をひっぱるやからがここにもそこにもいる。
人が何かをやろうとするときに受けるネガティブ。 
マザー・テレサが無視しなさいとアドバスしている、そういう状況が生まれる素地のひとつ。
でも、ここでゆうちゃんが気の毒な存在であることは本当だ。
 
そこへ、
「ばかだねぇ~」
と、ヒロのおば(キムラ緑子)登場。

「自分が幸せじゃないのに、人を幸せにできるわけないだろう。だから、あの子にどんなに恨まれても、まずあんたが先に幸せになるしかないんだよ、ヒロ」

そのとおりだ。
このセリフもすごいな。
「あの子にどんなに恨まれても」、だよ。
自分が幸せを感じていないのに人を幸せにできるわけがない、というのは真実だろう。
ジレンマを一刀両断だにゃん。

「ゆうちゃん、泣きたいだけ泣きな。ゆうちゃんにはゆうちゃんの生き方があるように、ヒロにはヒロの生き方があるんだから」
ヒロのおばは、ゆうちゃんに強さを与えているんだろう。

みんながゆうちゃんを励ます。
それはすなわち、ヒロと超治への応援になっているわけだ。 

超治にフラれることになる保は、
「この二人のおかげで、世界を平和をしたいと大きなことを言いながらも、街で困っている人を助けるみたいな小さなことを続けてもいいんだっていう勇気を持てたからさ」 
とゆうちゃんに話しかける。
 
大きな平和と小さな平和。
保は、大きな幸せじゃなくても、小さな幸せを広げ続けること、それが勇気だと分かった。
きっと保の悩みは、こんな小さなことばかりしていても、世界を平和にできないじゃないか、ってことだったんだろう。
これもジレンマのひとつかな。

ミクロの視点とマクロの視点は、どこにでも存在する。

超治の母(富司純子)。
「ゆうちゃん、あたしね、いい年して思うのよ。自分はなんて子どもなんだろうって。本当の大人になるためには、寿命が何年あっても足りないって。だから人生なんて、ヒロさんと超治みたいに、自分がやるべきことを毎日必死になってやり続けるしかないの。失敗したり後悔したりすることばっかりだけど、ミルクがこぼれても、いちいち嘆いている暇はないの。
どうせ、ミルクはこぼれるんだから。でもね、あなたにはこれだけの人がいるってことだけは忘れないでね。ここにいるのは、み~んな、家族、同然の人なんだから」

これもすばらしいセリフ。
超治の母は、息子がゲイだと分かってから、ゲイの人たちについて勉強した。
何歳になっても知らないことはたくさんあるんだ、ということに気づいて、これから大いに学んでいこうとしているように見える。
なにせ、こうしいる今もビデオを回している。感動的だからネットにあげる、と言って。
ユーチューバーになるのかな?

自分がやるべきことを、毎日必死になってやり続けるしかない。
ミルクはこぼれるんだから。
そうだよね。
できることをしていく、それが幸福へつながる。いや、それこそが幸福なのかな?
失敗を恐れてはいけない。失敗はするんだから。
そして、
ゆうの周りには、ゆうのことを思ってくれるたくさんの人たちがいる。
私たちみんなの周りにも。 

ヒロのいとこでマジシャンの天人(佐藤二郎)はマジックを見せる。
ゆうが破いた「かぞく」と書かれた画用紙を、元に戻してみせる。サプラ~イズ、と。
魔法で人を幸せにしたい、という天人の心意気。

登場人物たちは、みなそれぞれ、人の幸せを願っている。
迷いながらも、そこへたどり着いた。
 
セリフのひとつひとつが、ひとりひとりの登場人物が、
重要な役割を担っている。

超治と保、ヒロとしおりの別れの場面も愉快でドキッとしてすばらしい。
しおりは、どんなにヒロのことが好きかという心の声を叫んだあとに言う。
「心のままに生きるのってつらいわよ」
 
ありのままに生きることがすばらしい、そのままでいいんだ、とは、
少し前にも流行ったセリフ。歌。
「ありのまま、心のまま」は、簡単なようで実は難しいのかもしれない。
ただ我儘でいい、というわけではないから。
常に優しくあろうとするしおりには、特にそうなのかもしれない。
これはまた、別の機会に論じるにゃ。
 
超治の家。ヒロとまた暮らし始めている。
「ともだちのわ」などと書いた紙がテーブルにある。
NPO法人のフリースクールの名前を考えている。
ヒロは「ひとりぼっち」がいいのでは?と。
さすがにそれは・・・、と言う超治。
ここに来る子どもたちはみんなひとりぼっち。
ひとりぼっちが集まったらもうひとりぼっちじゃないんだよと教えるんだ、
とヒロ。
超治も納得して、ぼくたちは最強だと喜ぶ。
 
あ、よりみちねこは、この名称、ちょっとまだしっくりこない。
物語の読み込みが足りないか?

最後に、同性カップル2組のインタビューにまじって、ヒロと超治のインタビューも。
超治の母親が撮影したっていう設定かな?ネットにあげる? 

身も心も愛しあいたいと思っていたが、
ヒロと超治は、結局、身を愛することはできなかった。
心のパートナー。
それでいいのだ、という結論に達する二人。 

いろんな人がいる。それが人間。

良くできたドラマだった。
出演者、それぞれのポジションに無駄がない。

役によっては、役者の魅力を奪ってしまうドラマもあるが、
「偽装の夫婦」は、どの俳優も、子役にいたるまで、いい役をもらったね。
どの役者さんも、魅力が増した。よりみちねこのなかで。

それにしても、
ルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス
なんて、よく見つけてきたなぁ。
「古代ローマ時代の政治家で、普段は農業をやっていて、国が危機になったときだけローマにやってきて、平和がおとずれたら田舎に帰っていった」という伝説の人物。
保が今尊敬している人、だって。

全てを書きつくすことはできないにゃ。ぜひ観てほしい。

時間をみつけて、最初から全部、再鑑賞しようと思ってる。
気づきが増えたら、また書くにゃ

ドラマを楽しんでね