よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

え~~~、律はまだ離婚しとらんのかっ。
鈴愛の独り合点にだまされてもうた。

でもぁ、あんな妻さんだと、律も病気の和子さんもかわいそう。
律は女運が悪いですねぇ。
学生時代の恋人も、意地悪っぽい自己本位な人だった。

それよりも、19週の始まり。
健人なるアメリカ育ちの日本人青年が出てきて、
恐れていた通り「まれ」化したかぁ、と感じたもので、
ついにつまらなくなった、と思いながら観ていた。
もう観るのやめようかな、とすら思った。
(注・「まれ」とは土屋太鳳主演の2015年上半期朝ドラ)
これもきっとあとで生きてくる何かの伏線なのだろうが。

わぁ、感情移入できないし、いったい何を語ろうとしているのかわからん。
次第に腹が立ってきた。
涼次は映画監督デビューしたし、どっかでバチあたれ!と私は思ってる。
どこかで謝罪的にからんでくるのだろうか。

そして、ボクテと裕子登場。
なんかほっとする。この二人。
このドラマに感情移入する(できる)とすれば、ここ。やっぱり鈴愛の居場所はこの二人と同じ場所のような感じがする。いちばん、心のなかにある源泉が通じ合っている場所なのではないか、と。

ボクテは律のプロポーズに「無理」と言ったあのときの鈴愛の状況を、よっぱらって説明してくれた。
「無理」の意味を。

そう、みんな思ってる。律と鈴愛のこと。

今から看護師をめざしている裕子。お嬢様育ちゆえに気が利かなくて傷つくことがある。
鈴愛は、つくし食堂2号店、五平餅を出すカフェを始めたいと言い出し、あんたの人生はずっと思いつきだと母に言われる。
どちらもあるあるかもしれない。

「夢」って何だろう。
お嬢様育ちでも、裕子はとってもがんばっている。
「思いつき」は、実は大事なんだ。

「夢」「アイデア」のない人生ほどおそろしいものはない。
人間たちからそれらがなくなって「ネバーエンディングストーリー」の「ファンタージエン」は消滅しかかったのだから。
「想像力」は「愛」だ。
想像は創造だ。
イマジネーションは永遠に続いてこそ。

このドラマ、
「夢」と「夢」の間が、ふっと落ち込むしかけになっているのは、脚本家の才能なのか、演出家の腕前なのか。
でも立ち直りが早いところがvery good!
だが、それを「思いつき」と言われてしまうと…、しかも「ひらめき」ではなく「ただの」がつくようなネガティブな意味を込めて、……。
なんだかよく分かる。私もよく親に言われたので(告白)。

裕子と鈴愛、つくし食堂、二人の夜の対話シーン。
「今はなんにもやっとらん」
「やるよ。鈴愛はなんかやるよ」
「そうなの?」
「うん。鈴愛のパワーは、生きる力はすごい。その辺のヤツとくらべものにならない」
「ありがとう。なんか裕子にそう言われると、がんばれる気がする」

裕子という存在は、鈴愛にとって「そういう」存在なんだね。
パワーを与えてくれる。エンジンを復活させてくれる。
老婆心ながら、
こういう友人なら持って正解。
逆にパワーをそがれたり、吸い取っていく似非友人もいるので、注意しよう。

そして裕子の名言。
「何回だって生まれられるって思う。
 人生のなかで新しい自分が生まれていく」


人生のシナリオはいくつもあって、都度そのページを捲るのは自分。
そのシナリオは枝分かれしている。選択の道。
扉は突然閉ざされるかもしれないし、自らの手で閉ざすこともある。
どちらにしても、新しい扉は必ずどこかにある。
目の前に。
ひとつの扉が閉じたということは、別の扉が開くサインだ。
byよりみちねこ


追伸
裕子は仙台で看護師って、
ここから3年後に震災だけど。