よりみちねこのドラマカデミア

よりみち視点でドラマをアカデミアするよ。

2017年11月

こんにちは。よりみちねこです。

秋ドラマも終盤を迎えています。
興味深い展開を見せるドラマを3つ。


「民衆の敵」フジテレビ月曜日夜9時
主人公・佐藤智子(篠原涼子)。ド素人が市議会議員に当選したかと思ったら、
市長の汚職事件発覚で市長選に当選。
最大会派の反市長派で議会のドンと言われる犬崎に乗せられて。
市長になればやりたいことがやれる、と思ってのことなのかもしれないが、
犬崎の操り人形になるのは見え見えゆえ、
応援してくれていたジャーナリスト和美(石田ゆり子)も、智子から離れてしまう。
庶民の味方なら、クライマックスでは大逆転というところだろうが、
誰かが言ってた「民衆の敵」は実は智子、という線も捨てがたい。
なにしろ、税金である議員報酬でお肉をたんまり食べるシーンがあったし。


「明日の約束」フジテレビ(カンテレ)火曜夜9時
スクールカウンセラーの主人公・藍沢日向(井上真央)の毒母親へのトラウマは相変わらずだが、
やはり予想どおり、自殺した生徒・圭吾の母・真紀子(仲間由紀恵)もどうやら事件に一役買っていた。
さらに圭吾の幼馴染で圭吾に助けてもらった過去がある香澄(由衣)が、復讐のために関係者を襲っていたことが発覚。
そしてたぶん、圭吾と香澄の担任だった霧島(及川光博)が実は悪人である様子が漂ってきた。
及川は「僕だけがいない街」でも、シリアルキラーの教師を演じていたので、雰囲気が重なる。
そしてそして、日向の婚約者・和彦(工藤阿須加)が本性を現した。DV。
つまり彼も家族内でのトラウマがあり、日向の母親への態度が引き金となって攻撃的気持ちが飛び出してきた(ように今のところ見える)。
毒親の形も様々だ。
それにしても、和彦くらいはほっとする人物であってほしかった。
工藤阿須加は、そういった役どころが多いし。
最終回へ向けて、どう収拾していくのだろう。
救われない人々ばかりだ。


「奥様は、取り扱い注意」日本テレビ水曜夜10時
主人公・菜美(綾瀬はるか)は、元工作員で今は主婦。ご近所の問題を持ち前の勘の鋭さと強さで解決していく痛快ドラマ。視聴率も高いようだ。
やっぱり、と思った展開。夫の勇輝(西島秀俊)が、実はただものではなさそうだ。
そうではないかな、妻を監視してるのでは?と思っていたが、その通りな展開になった。
理由はまだ分からない。
大して深い内容のあるドラマではないが、エンターテインメントとしては楽しめた、のかな?
来週は最終回。どんな結末が待っている?


「先に生まれただけの僕」日本テレビ土曜夜10時
主人公・鳴海涼介(櫻井翔)が、本社から派遣されて高校の校長になり、学校改革に挑んでいる。
そちらはとりあえず上手く進んできた。専務の加賀谷圭介(高嶋政伸)の画策もむなしく。
ゆえに加賀谷は、涼介を陥れるために、婚約者の聡子(多部未華子)をゆさぶり、さらに聡子に想いを寄せている同僚の後藤田(平山浩行)をけしかけている。
一方、聡子も、涼介の学校の教師・ちひろ(蒼井優)の涼介への想いを疑いはじめ、心がゆれている。
学校問題から、痴話問題へと展開してきた。
そちらですか……。


今秋ドラマは、あ、そっち?的な印象が目立つ。



こんにちは。よりみちねこです。

「民衆の敵」フジテレビ月曜夜9時
篠原涼子/田中圭/高橋一生/千葉雄大/前田敦子/石田ゆり子/古田新太


すでに4話まで進んでしまった。
実は毎週よりみち評を書こうと思っていたドラマ。
よりみちねこの感覚を刺激してくれると予想していたからだ。
ところが、
いや、忙しかったという言い訳もあるのだが(本当にただの言い訳だ)、
なんとなく「ながら見」だったこともあり、
書けないままここまで過ごしてしまった。

衆議院議員選挙があったため、当初の予定よりも1週間遅れてスタートした。
選挙に影響があるのではないかという忖度かお達しか何かあったのでは?という噂も飛び交った。

これは、国会議員ではなく、市議会議員の物語。

第1話では、時給950円のパート主婦が、月給950万円に惹かれて市議会議員に立候補する。
佐藤智子・公平(篠原/田中)夫婦は、正義感が強いのか、理不尽さにがまんならないタイプのようで、仕事が長続きしないようだ。
社会ってそんなもんだよ、とみんな我慢しているのかもしれないが、それが世の中に不幸を蔓延させている要因だろうとよりみちねこも思う。心疾患もそうだ。
智子に賛同してくれた近所の人々の様々なパワーを借りて、当選。

第2話では、晴れて初登庁。
智子は市議会で、居眠りをしている議員に「起きろ」と頭をたたく。
これが動画にあがり、市民たちは拍手を送るが、議員多数派のドン犬崎(古田)からは議会で謝るように言われ、そのうえ自分の派閥に入るよう促される。
智子は謝らず、むしろ、議会で居眠りすることの是非を問う。
派閥は、犬崎派に入る。

第3話では、冤罪事件解決に関わったことから介護や貧困家庭の問題と直面する智子。
第4話では、シャッター商店街問題と子ども食堂。
いずれもすったもんだの末、解決へ向かう。
智子は、目の前の一人の幸福が大きな幸福につながる、そんなモットーで動く。

智子が政治に無知であることから、議会での議員たちの動きと仕事の手順というものの説明にもなっている。
実際はここまで熱心に動いている市議会議員がいるとは思えないが。
最近は県議会議員も含めて地方議員は機能していないということなので。

智子の人柄、環境については賛否両論あるようだ。
高校中退、父親はギャンブル狂い、母親は男にだらしないホステス、自分の息子は卵焼きをステーキだと思って食べている、という智子。
こういう庶民女性だからこそ、市議会に殴り込みができる、と頼もしく思う人もいれば、
わざわざガサツな女をもってこなくてもいいのに、「セシル」で失敗しているではないか、と感想を述べている評論家もいる。
よりみちねこは、両論あるな、と思う。

智子はただガサツなだけではなく、庶民感覚以外にも、生来の正義感を持っている女性。
ゆえにガサツというよりも、無邪気、と言ったほうがいいかもしれない。
その世界を知らない人物が、持ち前の恐れを知らない奔放さで、その世界に新風を巻き起こしたり、改革したりするストーリーは決して珍しくはない。

よりみち的期待で言わせていただけるなら、
議員報酬や議員定数について語ってくれてもいいかな、と思う。
つまり、議員報酬などに「お金がかかり過ぎではないか」問題。
時給950円から月給950万円になったといって、高級肉をばかすか食べるシーンは必要だろうか。
卵焼きをステーキだと思って食べていた息子、という前振りがあるので、ここは欠かせないシーンだろう。それは理解するとしても、無駄遣いや政務活動費の不正支出などが次々発覚している地方議員がたくさんいるなか(おそらく常態化している)、あまり笑えない。やっぱりそこかい!と。
せめて、これは市民の皆さんの税金なんだよね、くらいの発言があってもいいように思う。

もうひとつお願いがある。
「先生」と呼び合うのをやめてほしい。
「カルテット」(2017年冬/TBS/脚本・坂元裕二)というドラマがあった。このなかで、坂元は、男性配偶者のことを「夫」「夫さん」と表現していた。
このところ「主人」と呼ぶのをやめたほうがいいのではないか、という声があがってきている、
そんななか、こうしてドラマなどで使われると、次第にその言葉が世間に浸透していく、ということもある。
「民衆の敵」のなかで、「先生」はやっぱり違和感あるから「○○さん」にしましょうと智子が提案するとか、「○○議員」と呼ぶとか、反対されても智子だけは「先生」という敬称は使わないとか、
そんなシーンがあってほしいと思っている。

智子くらいに真剣に真摯に働いてくれていれば、950万円も妥当かな、と思わないでもないが、
先進国では、市区町村議員、都道府県議会議員はほぼボランティア、つまり本職を持っていて、生徒会のように集まってくるときなどに手当をもらう、というのが主流のようなので、
生活費のために市議会議員を目指すのでは、今の議員たちの心根と同じだ。
智子の場合は、それがきっかけであっただけで、もともと政治家の才能がある、という設定だということはよりみちねこも認識しているので、あえて、政治批評として述べておきます。

「先生」については、政治家は「先生」と呼ばれても当たり前なくらい大変な仕事だ、と茂木健一郎が先日発信していたが、賛同できない。
これは、はやくやめたほうがいい。
「先生」と呼ばれて簡単に偉くなって、勘違いしていく志のひく~い政治屋がたんまりいるようなので。
ちなみに、立憲民主党の枝野幸夫は「枝野先生」と呼ばれると、「先生と呼ばないでくださいね」と言って、その理由も述べてくれるそうだ。

最後に、
これは「民衆の敵」ではなく「民衆の味方」ではないのか、と評している人もいたが、
確かに、智子は「民衆の味方」だ。
しかし「世の中、おかしくないですか!?」という副題もあるので、このタイトルだけ見て、どんな事を物語ろうとしているのかは一目瞭然だと感じる。

余談になるが、
豊田真由子元衆議院議員の「ちがうだろう~」。
これも、矛先を権力へ向けてくれたら応援できるのに、と思う。
「豊田真由子の“ちがうだろう~!”」なんてラジオ番組、どうでしょう。
選挙活動の様子をテレビで見たが、自分を利することしかお考えでないご様子だったので、
そちら向きはさらさらないようですね。

さて、ニューポート計画の今後も気になるが、
謎のエリート議員・藤堂(高橋)のことも大いに気になる。
シーズン後半、どう展開しますか。
期待します。


よりみちねこです。こんにちは。

今日は、ちょっと横から目線のドラマよりみち評です。

「明日の約束」フジテレビ火曜夜9時

なんだろう、このドラマは。
いわゆる毒親がテーマなのか?
どこに焦点を当てて観たらいいのか分からない。

第1話では、主人公でスクールカウンセラーの藍沢日向(井上真央)が、生徒・増田希美香(山口まゆ)を毒親から救い出すことができた。増田は藍沢のアドバイスによって自分自身で親から離れる道を選んだ。一方で、藍沢は自分の毒親から離れられない。その理由は母親(手塚里美)の左手の麻痺の理由と関係があるのだろうか?
このエピソードでよかったのは、藍沢のアドバイスだ。藍沢は、こうしなさい、と命令するのではなく、幾つかの選択肢を示して、本人に選ばせた点だろう。
そんな感じで次回以降続いていくのかと思いきや、
第1話での伏線にあった生徒・吉岡圭吾(遠藤健慎)の自殺を巡る推理ドラマが始まる。
この事件を通じて、親と子の関係が炙り出されていく、ということか?
それにしても、話が遅々として進まないのが気になる。

もうひとつ気になるのが、男子生徒たちの「顔」。どうしてこんな顔ばかり集めたのか。
つまり、変に似通った美形ばかり。女子生徒のほうは安心してみられる。
例えば2003年のテレビドラマ「ウォーターボーイズ」は、
山田孝之/森山未來/瑛太/石垣佑磨/石井智也など、個性的“面々”。
時代か……。
おっと、今気づいてびっくり。全く余談になるが、
この「ウォーターボーイズ」に星野源も出てたんだ。


「コウノドリ」TBS金曜夜10時

妊娠・出産・子育てのドラマは、問題を抱えている人が多いと思うので、一定の需要があるし、問題のある出産を乗り越えると、感動的なドラマに仕上がること間違いなしなので、大抵の場合、成功する。
なんて感想は、あまりに冷たい、かな。

毎回満足のいくストーリーだと思う。
同時に妊娠・出産・子育てに関する疑問を提示し、ヒントや解決策を与えてくれている。

例えば第3話では、周囲からの迷信にいちいち反応して心配する若い妊婦を描いて、
迷信や噂に惑わされないようにという助言にもなっていた。

ところで、これは直接ドラマのストーリーとは関係ないし、おそらく誰もこんな感想を抱くことはないとは思うのだが、ちょっと気づいたことを書いておく。

彩加(高橋メアリージュン)と康孝(ナオト・インティライミ)。
この夫婦は第1話から登場。
彩加は子供の誕生を楽しみにしているが、仕事のことが心配。出産後は早く復帰したいと思っている。
康孝も仕事が忙しく、協力するとはいいながらも実は無関心。
第2話では、出産後も同様に、康孝はイクメンとか言いながら、何もしない。
彩加は早く仕事に戻りたい。どんどん鬱になっていく。
第3話ではついに、赤ん坊を病院の受け付けに置いて屋上から飛び降りようとする。
康孝も駆けつけるが……。

この康孝、サイコパスかな、と思った。
言葉だけ、なのだ。言葉ではうまいこと言って、自己満足している。そしてそれをひけらかす。

赤ちゃんの心臓にちょっと問題があるかもしれないと分かったときも、
冷静を装って、いや、装っているのではなく、おそらく何も感じていないのだろう、
「だいじょうふだよ、彩加、おれも手伝うから」と言う。
それを聞いていささかむっとした表情の医師・四宮(星野源)。

出産にも立ち会って喜んでいるけれど、
「心臓に穴があいてるのに家に連れて帰るんですか?」と驚き心配する彩加に、
「だいじょうぶだよ、おれも手伝うから」と簡単に言う康孝。
「なに言ってるんだ。手伝う、じゃないだろ、あんたの子どもだよ」と四宮。

1話の最後で康孝は、「ごめん、いっしょにがんばろう」と言うのだけれど。
明日からこの子と二人きりでやっていけるのか怖い、と四宮に言う彩加。
育児休暇を取らなかった康孝(これは社会問題かな)。
ちらかった部屋で茫然としている彩加。
会社ではイクメンと呼ばれていると彩加の母親に言う康孝。

そして、自殺しようとしたところを四宮に救われた彩加。
駆け付けた康孝は言う。
「夫婦はふたりでひとつってお母さんも言ってたじゃない」
「なんだそれ。人間は二人でひとつになんかなれない。死ぬまで一人だよ。たとえ夫婦でも、別々の人間だからこそお互いを尊重しあう。それではじめて助け合えるんだろう」
と四宮が淡々と言う。

第3話の最後。院内コンサートで産科医・鴻鳥サクラ(綾野 剛)のピアノ演奏を聴きながら、
「おれ、イクメンじゃなくて父親になるから」と彩加に言う康孝。
一見、めでたしめでたしの明るいフィナーレだが、
よりみちねこは思ってしまった。あ、これやっぱりサイコパスだ。
言葉だけ。
「イクメンじゃなくて父親」……って。言葉遊び?
これ、治らないだろうなぁ、大丈夫かなぁ、彩加さん、と思ってしまった。

おそらく、康孝役のナオト・インティライミがミュージシャンだからのこういうセリフ、
という演出もあるのだろう。
でもこれって、分かってなのかそうでないのか、
いずれにせよ、無機質な人の特徴がうまく描かれているように思った。


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