よりみちねこのドラマカデミア

よりみち視点でドラマをアカデミアするよ。

2018年05月

よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

「アメトーーク ウルトラ芸人」(テレビ朝日)
メトロン星人のなんとも「手厳しい教訓」があることを知って、
笑ってしまいました。

メトロン星人というのは、
ウルトラセブン第8話「狙われた街」に登場する異星人。
ぼろアパートの一室でちゃぶ台をはさんでダン隊員(セブン)とメトロン星人が対話するシーンは有名だ。

メトロン星人が地球侵略のために企んだ方法は、相手が敵に見えるようになる薬をタバコのなかに仕込んで人間同士を争わせること。そして地球人を滅ぼして地球を征服するという計画だった。

メトロン星人はダンに言う。
「我々は人類が互いにルールを守り、信頼し合って生きていることに目を付けた。地球を壊滅させるのに暴力を振う必要はない。人間同士の信頼感を無くすればいい」

そしてエンディングのナレーション。
「メトロン星人の地球侵略計画はこうして終わったのです。人間同士の信頼感を利用するとは、恐るべき宇宙人です。でも、ご安心ください。このお話は遠い遠い未来の物語なのです。え、なぜですって?我々人類は今、宇宙人に狙われるほど、お互いを信頼してはいませんから」

この38年後「ウルトラマンマックス」に登場したメトロン星人。
38年前にウルトラセブンのアイスラッガーでまっぷたつにされたメトロン星人。
縫い合わせた姿で登場。
結局この38年後のエピソード「狙われない街」でもメトロン星人は帰っていく。なぜか?
「人間は、携帯などを使って頭が猿みたいな感じに退化するから、放っておいても人類は自滅する」
からだそうだ。
これ、知らなかったので、驚きました。

メトロン星人というのは、地球人よりも次元が高いのか低いのかよく分かりませんが、
まず、
信頼関係を崩せば、家庭でも社会でも国でもそして、地球は滅びる、というのは確かで、サイコ犯罪でもよく使われる方法だ。互いに不信感を抱かせて、操っていく。
そしてなんと、現代社会はすでにこうなりつつある。
というか、ウルトラセブンのナレーションによると放送当時から、人類は宇宙人に狙われるほど互いを信頼していなかったようだ。日本人同士はけっこう信頼し合っていように思うが、世界は冷戦時代。

さらに、
スマホとかで頭脳が退化している、だから勝手に滅びるだろうというのも、そんなことはないと言いたところだがそう言い切れない21世紀。
滅びるというよりも簡単にコントロールされやすい心脳にできあがりつつある。

不信と退化、どちらが先に人類を滅ぼすことになるのだろう。

作者は「遠い遠い未来のお話」と言っていたが、
このときには、未来には人類がみな信頼し合える社会がやってくる、と思っていたのかな。
「もっとひどくなってしまいました」感は拭えません。

「ウルトラセブン」は子ども番組のわりに、けっこうシビアな警告を発しているエピソードが、他のウルトラシリーズに較べて圧倒的に多い。
そこが、私が「ウルトラセブン」を愛する所以だ。





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今、「よりみちカフェ」https://ameblo.jp/ai7to7hikari
で「生きがい」について書いている。
神谷美恵子の著書「生きがいについて」「100分で名著」(NHK)が取り上げており、
それを見て再読した。
初めて読んだのが12~3年前。そのころと受け止め方が多少変化している自分がいる。
さらに、神谷がこの著書を書いた時代や、本人の人生の背景というものにも、人の書くものというのは大いに影響を受けるものなのだな、ということもあらためて感じている。
それが良いとか悪いとかではない。
なぜなら、人間の魂の基本は不変だと思うので。根本的な人間の苦悩は、それこそプラトンや釈迦の時代から変わっていないと思う。紀元前から問いかけ続けられてきた「オープンエンドな質問」というものは存在している。

「半分、青い」NHK朝の連続テレビ小説
永野芽郁/佐藤健/豊川悦司/井川遥


自分は漫画を描くことが好きなんだ、ということに気づいた鈴愛(すずめ・永野芽郁)
第6週から、東京へ出て、漫画家・秋風羽織(豊川悦司)に弟子入りする。

第8週「助けたい」では、すずめの幼馴染で東京の大学に入った律(佐藤健)も、そして秋風先生も含めて、自分の人生で「やりたいこと」「やるべきこと」について問うてくる、考える週でもあったように思う。

秋風の弟子三人のための画力向上クロッキー教室がはじまる。律と律の学友である雅人(中村倫也)がバイトでモデルに。
その夜、律は秋風と話す。

「人の心の温度が上がっていく瞬間を見ました。と同時に、少し不安にもなりました。
すずめにとっては今は漫画家になるための時間で、でもだとすると僕の今は何のための時間なんだろうって。自分が何になるのか、答えられないっす」

秋風
「いや、そういう時間もいいんじゃないんですか。
私はここに来るまで回り道をしました。漫画家デビューは遅いです。美大に入り、絵を描き、回りのうまさにおののき、ドロップアウトして中退し、セールスマンになりました。大阪で百科事典のセールスをしてました。でもある日、炎天下の昼、百科事典を売って回りながら僕は決心をしました。30前で覚悟を決めたんです。漫画家を目指そう、と。
仕事をやめバイトをしながら投稿を始めました。退路を断ったわけです。
一見、余計なことする時間も、回り道もあっていいと思います。いろんなことがあって、全てが今につながっていく。
あなたのように感じたり考えたりして生きていくのなら、それは実りのある時間だと、私なんかは思います」

これは、夢を実現しようとしている人にも、まだ何も見えていない人にも、良きアドバイスだ。
「人生には回り道があっていい。感じたり考えたりする時間は実りある時間だ」
そして、これだ!こうしよう!と思ったときは
「退路を断つ」勇気が必要なのだろう。
こっちの道も残しながらあわよくば自分の思う通りに、という人は多い。いや、それも分かる。収入がなくなっては生きていけない。秋風先生もバイトはしてしたようだ。でもきっとバイトしながら投稿したということは、作品をつくる時間の取れる仕事を選んだのだろうし、もしくはちょっと古いが、そして真偽のほどは定かではないが、森村誠一のようにホテルマンとして働きながら夜の暇なフロントで小説を書いていた、そんな方法もあるのかもしれないが。
「退路を断つ」には「覚悟」が必要なのだと思う。


秋風がガン再発ではないかと悲観しているとき、病院に行くことをすすめる秘書の菱本(井川遥)が言う。
「先生の命は先生だけのものではありません。先生の漫画を楽しみに思うみんなのものです。これまでファンに支えられて生きてきたのではないのですか?
先生は漫画の神さまに愛された数少ない人です。そういう才能がある人には使命があると、私は考えます。漫画を描いて、多くの人を幸せにするという使命が。
そしてあの子たちです。あの子たちはまだ二十歳にもなっていません。将来をかけてここに来ています。ここに集めた責任というものがあるのではないでしょうか。お願いします。病院に行ってください」

神谷美恵子は「生きがいについて」のなかで「生きがい感」は「使命感」でもあると言っている。
つまり「生き生きとした喜びが腹のそこから湧きがってくる」ことだと書いている。
それは、シュバイツァーやナインチンゲールのような際立った例ではなくとも、ごく平凡な私たちにもある。私は、「どうしてもしなければならないという衝動」という風に捉えた。
秋風先生は、シュバイツァーの部類だと思うが、秘書の菱本さんはここで良いことを言っている。
「感謝」である。神から愛された特別な存在かもしれないが、しかし、ファンという存在があってこその秋風羽織ではないか、と言っている。
さらに、弟子たちへの「責任」。しっかり伝授し、育てること、それもまた残された使命なのだろう。
○○の神に愛された天才はこの世にそれなりにいるが、自身の仕事への賞賛は残せても、自身を越えたところへの愛を示すところまではなかなか行きつかないものだ。
伝授というのは「ペイフォワード」だな。


さらに秋風が、快復したあとみんなに経緯を説明し、そしてこう言う。
「またこれからもガンは再発する可能性が十分あるということだ。私は正直怖い。しかし、生きる。そしてみなさんに漫画の描き方を教えたいと思う。漫画はすばらしいものだということを。
私は病、死の恐怖を忘れ去ることはできない。しかし、それを思い出さないでいることはできる。何によってか。それは漫画を描くということによって。創作という魂の饗宴のなかで、私はしばし、病を忘れる。
私は思うんです。人間にとって創作とは、神の恵みではなか、と」
病など、辛い状況にあるとき、人はその苦しみのほうにばかり心がいってしまう。
けれどもそれはくよくよしても始まらない。
いつか再発することもあるだろう。
極端なことを言えば、私たちはいつなんどき、お金も食べるものも住むところもなくなってしまうことがあるかもしれない。
それでも、そんな心配事を思い出さないでいることができる、忘れていることができる、そういう時間がある。それこそが「創造的時間」なのではないか、と思った。
「創作」というと、芸術的なことだけを思い浮かべる人も多いと思うが、いわゆる
「創造的人生」とは芸術家のことだけを指しているわけではないだろう、と思う。
秋風先生は自分の漫画という仕事のことを言っているのではあるが、このセリフには普遍性がある。
つまり「生きがい」を感じることをしているとき、人は「苦(痛)」を忘れることができる、ということなのではないか、と思う。
そこには「時間」という概念すら存在しないのかもしれない。
いわゆる「フロー」の状態にいること、だろうか。

今気づいたのだが、このドラマ、
週ごとのタイトルが「生まれたい!」「夢見たい!」「東京、行きたい!」と、
「~たい!」となっている。
「したいこと」だ。まさに「生きがい感」「やりたいこと」だ。
北川悦史子脚本なので、やっぱり恋愛ドラマなのかな、と思うと、
律と鈴愛の恋愛ドラマの背景にある人生の選択的なことなのかもしれないが。
まあ、どちらに焦点を当てても楽しめるドラマだ。
9月までまだあと1シーズンと半分くらいある。



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ドラマ好きの占い師よりみちねこサリーが、
ちょっと気になったドラマのセリフに反応しました。
「占いは自分が気に入った結果を信じる」でいいのか?
2018年春ドラマ
「デイジー・ラック」NHK金曜夜10時 主演/佐々木希


お手数おかけしますが、こちらでお読みください。
http://nekotombotarot.blog.jp/archives/9304351.html
「デイジー・ラック」~占いは自分が気に入った結果を信じる~】

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2018年春ドラマも中盤となりました。
ので、ドラマよりみち評の中間発表です。

第1位
「シグナル」カンテレ(フジテレビ)
主演の坂口健太郎が好演。
過去と現在(過去からすれば未来)が交錯する物語は様々ある。
そのなかでも「シグナル」は、刑事ドラマとミステリーの要素でぐいぐいひきつけてくれる。逆に言うと、それ以外の面倒な要素がないので健全だ。
さらに、一話完結ばやりのなか一話完結でない分、次週が楽しみでしかたない。
最終話のあと、再視聴する楽しみもありそうだ。

第2位
「正義のセ」日本テレビ
これも主演の吉高由里子が好演している。
このドラマを「古い」という評価をする評論家もいるが、私はむしろ新しいと感じている。
「古い」の視点は、仕事に夢中で彼氏と別れることになるとか、女性の描き方、というところなのだろうが、私としては、そここそが新しいと感じるている。つまり「仕事か結婚か、仕事を取ると結婚できない」的、いわゆる古い表現には見えない。同じ枠で放送されていた「働きマン」と別れ方が似ているので、そこも「古い」の要素になり得るのかもしれない。
「働きマン」もそうだったが、「正義のセ」でも、性差別的要素よりも、ひとりの人間としてやりたい仕事をしている女性の生気あふれる様子が描かれている。
いくら女性に結婚して子どもを産み育てる使命があったとしても、結婚のために無理にやりたい仕事をやめる選択をしてほしくない。
それは社会制度的に難しい、厳しいとか、男性が女性に仕事をやめてくれという封建的な態度を示してくるとかそういうことではなく、
女は夢中で仕事をしているとやっぱり結婚できないんだ、ということを描いているわけではなく、
純粋に本人のワクワクが仕事にある、という状況や感性が伝わってくる。爽やかだ。
このドラマでは、凜々子(吉高)の彼氏は、凜々子の検事としての才能と意欲を認め、それを生かす道のために身を引いた感が強い。もちろんその裏に彼の女性観はあったにせよ。
さらに、職場(横浜地検港南支部)での女性蔑視がない。ひとり優等生的な男性検事がいるのだが、彼も決して嫌味でもなく、女性を攻撃するでもバカにするでもない。第5話では、「対等の立場だ」と凜々子に言うシーンもあった。
どこが古いのかな。
凜々子が豆腐屋の実家に帰宅後、家族と正義論議をするところなども面白い。

第3位
「未解決の女」
演技賞としては、このドラマの波瑠が、今シーズンNo1かな。
「家政婦のミタゾノ」

前作同様、面白い。
TOKIO。心痛を察する。主演の松岡、主題歌の城島、応援している。

番外でおすすめ
「やけに弁の立つ弁護士」
「記憶」


大したドラマではないが、最後どうなるのか知りたくて見ているだけ。
「モンテ・クリスト伯」
「あなたには帰る家がある」
「デイジーラック」


評価が下がった、否、第一印象が最悪で、途中で評価が上がったが、やっぱりだめだった。
「コンフィデンスマンJP」
私にとって何がだめなのか考えてみた。
コメディーというのは、上手に演じられる役者とそうでない役者がいる。
ドラマの内容にもよるだろうが。
長澤まさみと東出昌大に違和感がある。下手、なのかも。
長澤は、コメディと下品を勘違いしているのかもしれない。
突飛であり得ない設定を楽しむべきなのだろうが、そこに社会風刺的な隠し味が欠けすぎているように思えてしかたがない。

「シグナル」「記憶」は韓国ドラマのリメイクだ。
日本もがんばってほしい。

これは…何だろう…。
「崖っぷちホテル」
全く見る気がおきない。
「Missデビル」


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「正義のセ」日本テレビ水曜夜10時
主演/吉高由里子


第4話

交通死亡事故。
加害者と被害者、両方の立場が良く描けていたと思う。

見習い料理人の勝村弘(白洲迅)は、ある朝急いでバイクで出勤中、横断歩道で老人をはねて死亡させた。
残された妻フネ(茅島成美)は、厳罰に処してくれと言う。
勝村は、朝日がまぶしく信号が見えず、横断歩道の前に老婆が立っているのを見て、信号は青だと判断した。フネは歩行者の信号が青だったと主張。
勝村は全面的に罪を認め、深く反省している様子だが、事故のあとのことはあまり覚えていないと言う。

凜々子(吉隆)は悩む。
レストランで話を聞くと、勝村はとても真面目な青年。上司は、この事故は無理なシフトを任せた自分のせいなので、できるだけ罪を軽くしてほしいと凜々子に頭を下げる。

凜々子の父(生瀬勝久)は、断然被害者の味方で、事故を起こしたやつを徹底的に罰しろと言う。
凜々子の妹(広瀬アリス)は、起こしたくて起こしたわけではないのだし、その人のこれからの人生のためにも許してあげるべきだと言う。
まさに、凜々子もそこを悩んでいる。

そんなとき、目撃者が現れた。大学生。
歩行者信号は赤だった、という証言を得ることができた。

その事実をフネに伝えるが、フネは聞き入れない。
凜々子はその後、フネの家を訪れて心の対話を続ける。
そんなときフネは。事故現場に花をささげて手を合わせる勝村の姿を見かける。
フネは、勝村が事故後に丁寧な対応をしてくれたことを思い出す。ずっと謝っていた勝村の姿を思い出す。救急車が到着するまで心臓が痛くなった自分の背中をさすってくれていたことを思い出す。

いよいよ起訴状を提出しなければならない日、フネが凜々子に手紙をよこしてきた。
信号が青だったと自分が嘘をついていたこと、勝村がしっかり対応してくれたこと、勝村の将来を慮っていることが切々とつづられていた。

凜々子は、略式請求罰金刑とした。

実際にはこんなにうまく事は運ばないだろう。
互いに攻め合って。
レストランの上司も、シフトで無理をさせていたことで立場が悪くなるかもしれないと思えば、正直な気持ちを喋らないだろう。あるいは、会社から止められるかもしれない。
勝村だって、こんな事故を起こしてしまったレストランの働き方に問題があったからだと訴えるかもしれない。
みんながみんな自分を守るために責任を押し付ける。
どこかの国みたいだ。

このドラマの場合、もちろん信号を確認しなかった(まぶしいなどで信号が見えないときは停止しなければいけない)という過失はある。そして人をひき殺してしまったという罪は重い。過失でも、相手が悪くても、一生背負っていくことになる。
だが、交通事故の場合、起こしたくて起こしたわけではない、というジレンマが常に伴う。
日本では、車両が少しでも動いていれば100%運転者の責任となるそうだが、
あまりに急に飛び出してきた人間とか、歩行者のほうが信号無視とか、加害者となってしまう運転者の立場からすると、こっちのほうが訴えたいくらいだ、というようなシーンだっておそらく多々ある。
そして人の記憶はあいまいだ。

このドラマの場合も、フネが嘘をついていたことが分かった時点で、ふざけるなババァと意気込む加害者だっているはずだ。俺の方が被害者なんだ、などと息巻いて。

あらゆる車両に車載カメラを取り付けるのを義務化するのがまずは大事かな、と思う。

最近は自転車の事故も多い。
なにしろ歩道を我が物顔で走っているので、驚く。
教育も必要だ。自転車もカメラを付けてもらいたい。

もしかしたら、自分の身を守るために自分にカメラを付けて歩くようになるのかな?
なにしろ、空飛ぶ車がもうすぐ普通になるそうだから。

少し前に、あおり運転で人が死亡した事件があった。
あおり運転者がひいたわけではない。
だが、この場合、直接ひき殺してしまった方の運転者も、このあおり運転者の被害者のように私には思えてならなかった。
そう考えると、一番悪い奴を見つけ出すためには、どんどん訴えていくしかないのかもしれない。
何が一番の原因だったのか、ということを誠実に考える司法であってほしい。

譲った人が負けではなく。
それだと悪人ばかりが勝つことになるので。


「正義のセ」の本質が見えてきた。
そういうことなんですね。


よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!

ドラマ評を書くときに、よりみちねこはクオリアを大事にするほうです。
つまり、内容重視。
それは評論ではなく感想だ、と言う人もいます。
なので、身勝手ではありますが、評論+感想=よりみち評と称せていただいています。
よりみちねこの批評はちょっと別の路地に立ち寄るよりみち視点です。
ぜひ、楽しみながら、つっこみながら読んでいただければと思っています。

ですので、私は、もう無理、これ以上観れないと思ったら無視して観ません。
苦痛なので。
評論家はそれではいけないとは思いますが。

さて、今シーズン、
「崖っぷちホテル」日本テレビ
「Missデビル」日本テレビ
「ブラックペアン」TBS

を観て特に、「評論はこうあるべきだ」と世間で言われているところの評論の書き方に合点がいきました。

今シーズンのドラマも、よりみち的に深く深く内容に迫れるドラマは多くはないですが、面白いか面白くないか、の観点で言えば、この春は先の冬ドラマにくらべて面白いドラマが多いように思います。

「崖っぷちホテル」は、
謎の達人がいきなりやってきて落ちぶれた「場所」を立て直す系の物語。
そのストーリーのなかで様々な人生も語られるヒューマンドラマ。このドラマのように舞台がホテルなら客の人生。
立て直し系も人生系も、よくあるパターン。

「Missデビル」は、
もしかしたら「女王の教室」的なものを狙っているのかもしれない、と初回をちらと見て思ってしまった。
「女王の教室」には、脚本家の社会に対する底知れない批判性(思うところ)が横たわっていた。

とはいえ、
「崖っぷちホテル」は「ながら見」で視聴を続けている。
が、何と言いますか新しさにはどうしても欠ける。いや、新しければいいというものでもないのだが、いつかどこかで観た感にこのドラマが勝てていない、とでも言ったほうがいいでしょうか。
こういう人生ほんわか教訓系のドラマは、基本的によりみちねこの大好物。ごはんのおかずできるほど。というところで、もうちょい味がほしい。
セリフにもなかなかナイス!があるのですけれどね……。

「Missデビル」は録画はしているが、よほどの暇と気力がないと観ないだろう。
今のところできていない。

「ブラックペアン」はたぶん面白い。
このTBSのドラマ枠はなぜかジャニーズ御用達になっているように感じるが、それがいささか気に食わない。
主役の外科医・海渡(二宮和也)ではなく、研修医・世良(竹内涼真)のほうに焦点を当てると見やすいかもしれない。
海堂尊の原作なので面白くないはずがないだろう(「チーム・バチスタ」の原点)。
ひとつ気になるのが、治験コーディネーターの女性。
色っぽさと怪しさを醸しているけど、こういう描き方はもうやめたほうがいい。古い世界観だと思う。
セクハラが問題になっているとき、女性の存在を固定観念で描くのは実社会への誤解を招くし、歪みの要因になる。

ということで冒頭に戻るが、
演出とか台本の腕前とか、撮影技術、カメラワーク、照明、視聴率、脚本家や出演俳優の履歴などを語ることが批評である、ということに今、頷いている。
それしか語る内容がない、ということだったのだな、と皮肉半分に思っているところだ。

春ドラマのシーズンが終わるころ、ひょっとして見解に変化があればこちらに書きます。



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「やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる(やけ弁)」NHK土曜夜8時15分
神木隆之介/田辺誠一/岸井ゆきの/佐藤隆太/小堺一機/南果歩


面白い。
昔、NHKで「マチベン」(町の弁護士)というドラマがあったけど、これは称して「やけ弁」か。
「マチベン」も良質のドラマだった。沢田研二が出てて、ゲストに岸部一徳も出た。
このドラマの宣伝を見たとき、神木と田辺の並んだ顔が、なんだか見慣れた光景だなぁ、と思ったら、この二人「11人もいる(2011年テレビ朝日)」で親子だった。
モンスターペアレントや近所からの苦情などに、新米弁護士・田口章太郎(神木)が法律を武器に立ち向かっていく。学校を守る側の弁護士。
同時に、学校という職場のブラックぶりにも疑問を感じていく。
学校で起こる出来事のあるあると現状を描く社会派ドラマでもあると思う。
30分ドラマなので、もう終わり?と思ってしまうほどなかなか良い出来だ。


「PTAグランパ2」NHKBSプレミアム日曜夜10時
松平健/安達祐実/浅田美代子/戸塚純貴


シーズン1がごく普通に愉快に面白いファミリードラマだったので、シーズン2も楽しみに観ている。
民放ではほとんど見かけなくなったタイプの穏やかなドラマだ。
刺激が少ないので、視聴率重視の民放ではつくれなくなってしまったのかもしれない。
PTA廃止の声が少なからずあがっている昨今だが、
PTAの活動を中心に、小学校のあれこれを描いていく。
仕事をしながらの活動の大変さ、市や市民と学校とのつながりなど、現代の合理社会ではいささか面倒かもしれないあれこれがドラマで堪能できる。


「デイジー・ラック」NHK金曜夜10時
佐々木希/夏菜/中川翔子/徳永えり


仕事や人生についてあれこれ考える小学校からの同級生4人。29歳。
なかなか面白そうだが、これからの話の展開によっては魅力のないドラマとなってしまうかもしれない匂いもする。
今のところ楽しんでみているが、どこかでこけないでほしいと願うばかりだ。


「半分、青い」NHK朝の連続テレビ小説
永野芽郁/佐藤健/松雪泰子/滝藤賢一/谷原章介/原田知世


正直期待していなかった。
現代もの。「まれ」でけっこうこけていたので。
ところが今のところ、かなり夢中になって観ることができている。
なにより原田知世が出演しているので、私としてはそこが一番の見どころ。
「時をかける少女」のときから大ファン。谷原章介もそうらしいです。
主題歌は星野源。この曲、星野楽曲のなかで最高ではないか、と私は思っている。
「恋ダンス(逃げるは恥だが役に立つ)」の「恋」のほうがいい、という人も多いかもしれないが、
私は、こちらの主題歌「アイデア」が非常に気に入った。
9月末まで、どう展開していくのか、楽しみに視聴しようと思う。



よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!


「コンフィデンスマンJP」フジテレビ月曜夜9時
長沢まさみ/東出昌大/小日向文世


よりみち的には、あまり評価は高くないドラマだと先の記事で書いた。

第3話は、落ち着いてきたのか、なかなか面白かった。

価値とは何ぞやの世界。
あらゆるものが誰かが作った価値、すなわちフェイクなのではないか。
そんな世界に生きている人間たち。
坂元裕二「anone」に通じるものがある。

高名な目利きの美術評論家・城ケ崎(石黒賢)(最近の石黒はこういう役が多いな)。真贋を見極められる自身の能力を使って、本物の絵を安く買い取って高く売るという金儲けをしている。
城ケ崎の審美眼は、勉強の賜物だった。

絵画の価値は、評論家が決める。
有名な誰かが評価を与えれば、その絵には価値がついて値があがる。
ダー子(長沢)たちは言う。

絵画だけではない。あらゆる価値は、誰かが決めている。
流行は、誘導している人がいる。
そうした商業主義のなかに、今世界は陥っていると言っても過言ではないと思う。

価値とは何だろう。
この世で生きている限りは、この世的価値観に従うしかないのかもしれない。
しかし、行き過ぎた商業主義は、必ずどこかが歪んでいくものだ。

フェイクが世界で広がっている昨今。
実は、政治の世界などそもそもフェイクだらけだったのに今更感もないではないが、
それでも、じゃあ、フェイク放置でいいのか?悪徳放置でいいのか?

フェイクと悪徳にフェイクで対抗してやっつけるコンフィデンスマン(詐欺師)3人組。
いや、彼らは、根っからの詐欺師。詐欺で大金を稼ぐことしか考えていない。その相手が悪人なので、ちょっと正義もまじっている。
悪い奴らからしか大金をぶんどらないので義賊に近いものがあるのか。

第4話では、正義が貫かれて、悪人は逮捕された。
頼まれもしないのに、仕事をした。必殺仕事人だって依頼されて仕事するのに。
第1話があまりにガチャガチャしていたので、視聴する気がおきなかったのだが、
やっぱり古沢良太。第1話的な感じがずっと続かなくてよかった。

坂元裕二「anone」ではフェイクを重く静かに描き、
古沢良太のこのドラマでは、フェイクを楽しく明るく描く。

どちらも「今」を語ってくれている。
いや、人類の永遠のテーマかもしれない。

一転二転三転とフェイクにフェイクを重ねていくところがこのドラマの醍醐味。
何がフェイクで何がフェイクでないか、と問われると、確かに堂々巡る。


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