よりみちねこのドラマカデミア

よりみち視点でドラマをアカデミアするよ。

カテゴリ: よりみちドラマ評

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「僕らは奇跡でできている」
フジテレビ(カンテレ)火曜夜9時
脚本/橋部敦子
出演/高橋一生 榮倉奈々 要潤 児嶋一哉 戸田恵子 小林薫


都市文化大学の動物生態学研究室の講師として、恩師である生命科学部学部長・鮫島(小林)に呼ばれた相河一輝(高橋)。

そもそも学者は、変わりものの集まりだが、相河は、なかでもとびきりの変人に見える。
彼の正直すぎるところ、率直さが、ときに迷惑に見えるかもしれないが、実は人間の本質をついてくる鋭い感性だったりする。
おそらく相河は、教授になろうとかいう権威的欲望からはほど遠い人物なのだろう。研究し、探究し、疑問を追及していくことに常に集中して生きている。

彼のキャラクターも、ヒーロー的要素を持っていると言える。
具体的で物理的な問題を解決してくれるわけではないし、困っている人を助けてくれるウルトラマンでもない。が、「グッド・ドクター」「義母と娘のブルース」の主人公ヒーローキャラとの共通点は、嘘をつけないところ。
何でも正直に言えばいいというものでもないのが人生ではあるが、私たちは、どうも不正直に我慢することが美徳のように生きてきてしまったのではないか。ゆえに、このようなキャラクターが続々登場しているのかもしれない。
もうひとつの共通点は、正確な情報をくれるところ。それはときに特殊な分野かもしれない。「スタートレック」のセブン・オブ・ナインやホログラムドクター、データのように、百科事典万能さはないが、例えば相河は、第2話のフィールドワーク中に、シカの鳴き声を聞いて○○メートル先にいると、詳細な情報を学生たちに発信する。学生たちにはそれが本当かどうかは確かめようもないのではあるが。
ある意味のスーパーマンだ。

本質をついてくる人間、自分の知らないことを言ってくる人間を、人はニガテに思って遠ざけたり、酷い時には自分を守るために攻撃したりもするが、ちょっと変わった「正直善人キャラ」は、私たちに大切なことを気づかせてくれる存在だったりする。その場合、善人であることははずせないだろう。なぜなら、悪人であればその言動には悪意が伴うのであろうし、もし善なる表現をしているのなら、それは詐欺師なのではないか、と思うので。

歯科医師・水本育実(榮倉)との関係とやりとりが「古い」という評価もあるようだが、男女の不思議な出会いとしてはドラマ上よくあるパターンだし、だからといってとくに古くさいとも思わない。むしろ、二人の感覚が新しいようにすら感じる、平成最後の秋に。
もしかしたら最近の傾向かもしれないが、自分の心を見つめる傾向がある。
水本と相河は、互いにニガテ意識を抱いているが、水本は相河の言動に何かを気づきはじめている。
互いに何か学びを得ていくことになるのか……

第1話の「うさぎとかめ」の解釈も哲学的でよかった。
なぜかめは、寝ているうさぎに声をかけなかったのか問題。

授業中、退屈そうにしている学生たち。
第2話ではフィールドワークの授業もあったが、学生たちの思いがどう変化していくのか、ということろも興味深い。

劇伴と作品のまったりとした雰囲気から、このドラマにも「かもめ食堂」「めがね」「すいか」といった一連の小林聡美主演の映画とドラマが思い浮かんでくる。それは、いつかどこかで観たという批評ではなく、刺激的展開や大声、受け狙いの決り文句のみで迫ってくるドラマが多い昨今、静かな空気のなかで進んでいきながら、それぞれの心にそれぞれ何かを伝えてくれる物語、という意味です。

毎日新聞2018年10月21日「10月新ドラマ 担当記者座談会(上)」での評価は、良いと良くないに別れている。まあまあという回答が一人いるので、良いがちょっと優勢、かな。

良いという評価のSさん
うまく社会になじめない大学講師が高橋にぴったり。
特に何も起こらない日常の物語だが、橋部敦子の脚本がよく、その世界に引きつけられた。

良くないというIさん
私には、この平凡な日常もストーリーがちょっとまだるっこしくて退屈。
でも、せかせかと生きる私たち現代人には、不思議な感覚になれるね。

そういうことなのですね。こういったドラマを評価しない人たちは
「何も起こらない日常の平凡な物語が退屈」なのですね。
私は、非常に面白いです。
中だるみしないことを期待します。

追伸
同じ研究室の樫野木准教授役の要潤。最近、こういう役が多いように思う。つまり、現実的で保身的で、主人公を敵視しているかと思いきや、実は助けている存在。いいポジションにはまったかもしれない。現在朝ドラ「まんぷく」にも出演中。こちらも良さげな役です。金銭欲のない画家。
講師の沼袋(児嶋)は、研究室でアリばかり見ているが、実は研究室の人間関係を鋭く観察している?



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「コールドケース2」
WOWOW土曜夜10時
原作/アメリカ CBS ワーナーブラザーズ
脚本/大勢いるのでサイトで確認してください
出演/吉田羊 永山絢 滝藤賢一 光石研 三浦友和

アメリカで2003年~2010年シーズン7まで放送された。

これは、面白い。よくできた刑事ドラマだ。
過去の未解決事件を取り扱う刑事ドラマは近頃多い。そのなかでも断トツ1位、というのが私の個人的感想。

アメリカ版をほとんどそのまま倣っている。
エピソードは厳選しているのだろう。日本には馴染まない内容もある。例えば人種問題が絡んでいるものとか、退役軍人、帰還兵もの。「クリミナル・マインド」もそうだが、アメリカでは、ベトナム戦争を経験した捜査官もまだいるし、湾岸戦争の帰還兵もあちらこちらにいて、犯罪に絡んでくる。

カメラワークとか、エピソードの始まりから事件発生、解決への流れはアメリカ版も日本版もほぼ同じ。アメリカ版と日本版を交互に観ていると、錯覚を起こすほど。

気になる点がひとつあるとすれば、過去と現在の人物が入れ替わる映像だろうか。つまり、事件関係者たちの若い頃と現在。私も初めて観たときは、え?と思ったがすぐに慣れたし、それがこのドラマの真骨頂でもあるので、これが「ダメ」という人には魅力のないドラマとなってしまうかもしれない。

私としては、アメリカ版よりも日本版のほうが落ちついてよくできていると感じている。もちろん、アメリカ版も好きです。
このような静かに淡々と進む刑事ドラマは、地上波民放ではまずないだろう。

それと、カメラワークというのか演出というか、人物の周りをぐるぐる回る映像があるのだが、これは、アメリカ版では目が回りそうになることがあるほど過剰なときがあるので、そういう意味からも日本版のほうが見やすいかもしれません。

なにしろ、吉田羊がいい。 永山絢斗もとてもいい。

「コールドケース」や「クリミナル・マインド」は、事件の解決をみたときに、ぞっとする内容以外にも、複雑な人間模様や、人生の背景などで、ひどい殺人事件ながら涙が出てしまうエピソードがあるところが、名作たるゆえんなのではないか、と独善的に思っている。
日本版もそれを踏襲している。

ちなみに、「コールドケース」を観るためにWOWOWに加入してしまいました。
それほど、私ははまってしまっています。
「クリミナル・マインド」にはまって以来のアメリカ発ドラマ。



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「SUITSスーツ」
フジテレビ月曜夜9時
原作/USAネットワーク
脚本/池上純哉
出演/織田裕二 中島裕翔 鈴木保奈美 他


本家本元のアメリカでは現在シーズン8が放送中。
シーズン7を観た限りでは、正直面白くない。
シーズン1を観たことがないので、その作りが、日本版とどの程度近いのかを較べることができないが、ネットから得た情報によると、設定と物語の始まりはほぼほぼそのまま引き継いでいるようだ。

私の家族の感想では、アメリカ版がものすごく面白いので、日本版に期待が持てない、ということだったが、私は純粋に日本版から入っているからなのか、1話2話を観た感想は日本版のほうが「面白い」。アメリカ版のシーズン1を観たら感想は変わるかもしれない、ということは付け加えておく。
とはいえ、面白いドラマは、どこから観ても面白いものだが。

都会のビルを映し出す映像演出は、アメリカ版を倣っているのだろうと思うと同時に、アメリカン、否、ニューヨークな雰囲気を醸している。

しかし、そもそも、経歴詐称、身分詐称は、はっきり言って詐欺、犯罪だ。そんなこといいんだ、と現実世界に生きている人間としては極めて真面目に思ってしまう。だって、これがばれたら、敏腕弁護士甲斐正午(織田)だって、弁護士資格をはく奪されるよね、と。

その甲斐が認めて、自分のアソシエイトにした男が、鈴木大輔(中島)。本当の名前は鈴木大貴。天才で高校2年生のときに司法予備試験に合格したが、センター試験の替え玉受験を請け負ったことがばれて、司法試験受験資格を失ってしまった。それからフリーター。

これも、言ってみれば、天才ヒーロー的存在なんだろうと思った。つまり、大輔は、本は一度読めば覚えてしまう頭脳の持ち主。今年の夏ドラマと比較すると、「グッド・ドクター(フジテレビ)」の医師・新堂湊(山崎賢人)はサヴァンで、やはり特別な記憶力を持っている。「義母と娘のブルース(TBS)」の義母・亜希子(綾瀬はるか)も、とびきりビジネスの能力の高いキャリア・ウーマンで、難局を解決してくれる存在。
私たちは、こうしたウルトラマン的存在をどこかで求めているのだろう、と思う。

アメリカ版では法廷でのやり取りも見ごたえあるようだが、日本版でもこれから登場してくるのだろうか。

中島裕翔は、どちらかというと役に恵まれる方ではないか。役者本人の能力が呼び寄せるのかもしれないが。
フジテレビで言えば、「デート~恋とはどんなものかしら~」も良かったが、「HOPE~期待ゼロの新入社員~」は非常に良かった。
ジャニーズでなくとも十分にやっていけると思う。



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「結婚相手は抽選で」
フジテレビ(東海テレビ)土曜夜11時40分
原作/垣田美雨
脚本/関えり香 川嶋澄乃
出演/野村周平 高梨臨 大谷亮平 佐津川愛美 大西礼芳 平山祐介 若村麻由美


「結婚」。タイムリーなテーマなのかもしれない。

内閣府特命担当大臣に任命された、オリンピックメダリスト小野寺友紀子衆議院議員(若村)。少子化対策として「抽選見合い結婚法」を可決させることを託される。
総理大臣の収賄への注目をそらすための奇策でもあった。

アニメオタクで潔癖症の宮坂龍彦(野村)は、女性とつきあったことがない。なので、むしろこの強制的な法をどちらかと言えば歓迎していた。

法律の内容には、
25歳~39歳の独身男女
相手が気に入らない場合は2回まで断ることができる
3回断ると、「テロ対策活動後方支援隊」に2年間従事
などがある。

様々な男女の、様々な思いが、この法律の施行によって浮き出てくる。
本当に結婚したい男から振られてしまった女。
結婚したくない人もいれば、結婚はしたいけど複雑な理由で避けている人もいる。

ひとつだけ相手の希望条件を書くことができ、それにそぐわない場合は破談とできる。
希望条件は、具体的である必要がある。街頭インタビューでは年収一千万以上!と軽いノリの女性もいれば、親の介護をしてくれる人じゃないとだめだという男性も。
結婚したくなければ、希望条件にほとんどありえない希望を書けばいいように思う。が、父親の飲酒DVに悩まされた女性は、飲酒をしない人、と書くなど、切実だが表面にはでにくい本質についても考えさせられるシーンもある。

第2話では、龍彦の2回目の見合い相手で5歳年上の有名企業主任の女性、不動怜子(富山えり子)の言動が興味深い。
怜子は龍彦に言う。
「無作為抽選で、どうしてオレがこんなデブでブスな31のおばさんと見合いさせられるんだ、理不尽だよ、なんて思ってるわよね」と。
見合いのあと、龍彦のほうから断ろうとすると、事務局から電話があり怜子のほうから断られる。どうして断られたかの原因を知りたくて、再会し、尋ねることにした龍彦。
「どうしてこんなデブでブスな31のおばさんにオレが断わられなきゃいけないんだ、納得いかねぇし、なんて思ったんですよね」
あなたは結婚したいのかしたくないのかと尋ねられて、曖昧にしか答えられない龍彦。
そして怜子の事情を知る。デブスだと子どものころから男子にからかわれ続けてきた。回りの女子たちがお嫁さんになりたいとキラキラしているのを見て、そんな普通の女の子の夢は自分には無理だと悟った。小学校3年生のときに一生結婚しないと誓った。それからは遊ぶのも我慢して毎日必死に勉強した。国立のいい大学に入って、人のうらやむ企業に就職し、今の地位を勝ち取った。最年少で主任。

結婚の夢を捨てたかわりに今の私があるの。
なのに、抽選相手と見合いしろ?適齢期の男女は結婚しろ、なんて法律があっという間にできた。どうかしてるわ。結婚が人間の義務だなんて。笑っちゃう。結婚しなくちゃ、国からは人として認められないってこと?私がどんな気持ちで普通の女の子の夢、封印したと思ってるのよ。
これが、あなたを断った理由。私は、結婚なんかしない。
涙ながらに語る怜子。ハンカチを差し出す龍彦。
帰り道、龍彦が尋ねる。
あの、もしお見合い3回断ったら、
厳しいテロ対策活動後方支援隊に2年間強制従事、ですよね。
除隊後の職場復帰は政府により保障されている、っていうルールよね。だから上司に確認してみたの。そしたら、今のポジションを保障するから心配しないように、って。だから私は、とっとと3回断って、テロ対策でも何でも行ってやるわ。
辛いことには昔からなれっこ。たった2年で結婚なんて制度から解放されるなら、なんてことないわ。
マイストロー、もしかして潔癖?いろいろあるんだね、あなたにも。
お互いがんばろう。
ルール違反なのに会ってくれた怜子。良い人なんだな。

世間が押し付けてくる一定の価値観に加えて、今度は政府から押し付けられる理不尽な義務。いつの間にか決められた法律に国民はみな従わなければならない。
ある日突然、自身が覚悟を決めて選択してきた道を変更するように強制される。
そして龍彦が聞いた、怜子のここまでの歩みと人生観。

その夜、龍彦はブログをアップする。
抽選見合い結婚法について思うこと

結婚が人間の義務だなんて笑っちゃう。
そう言ったその人の目からは、悔し涙がこぼれていました。
そのとき、僕はふと思ったんです。
人を傷つける法律なんて、本当にあっていいのだろうか……

この法律への懐疑的な発信を続けているジャーナリストのひかり(大西)が、龍彦のブログにコメントを残す。
人を傷つける法律なんて、あっていいわけないよね

ただの結婚をめぐるドタバタ系ドラマとか、いわゆる結婚できない男系のコメディなのかな、とあまり期待もせず観たが、案外シリアスで面白いので、続けて視聴してみようと思う。社会派の要素も十分にあり、現政権のパロディ風でもある。 

怜子さん、2年間の「テロ対策活動後方支援隊強制従事」のあと、本当に元の仕事、ポジションに戻れるといいけれど。今の日本社会を考えると、大丈夫かなと心配になる。

さて、途中でこけないように、良質のドラマとして最終話を迎えることを期待します。

 

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「サイレント・ヴォイス 行動心理捜査官 楯岡絵麻」
BSテレ東 土曜夜9時
原作/佐藤青南
脚本/ブラジリィー・アン・山田 大浦光太 本田隆朗
出演/栗山千明 白洲迅 宇梶剛士 野村修一 椎名香奈江

 
BSテレ東って何?今秋ドラマから「あれ?」と思ったのは私だけではないと思います。
まさに、この10月から「BSジャパン」が「BSテレ東」に社名変更したそうです。
いっとき絶好調っぽかった日本テレビのドラマが劣化しているなか、テレビ東京のドラマがこのところがんばっているように思っていましたが、BSテレ東も面白いドラマをこれから提供してくれそうだ、と思わせてくれる土曜夜9時です。

主演の栗山千明は、NHKの「幻解!超常ファイル」のナビゲーターとして、私には馴染の存在だ。ミステリアスな役からシリアス、コメディと幅広い役をこなす若手ベテラン俳優、と言ってもいいくらいのキャリアではないだろうか。なかでも刑事役は多い。

このドラマでは「行動心理捜査官」。ただの刑事ではない。取調室で、メンタリストDaiGoがテレビ番組内でよくやっている相手が選んだものを当たるゲームのようなことをする、と言えば分かりやすいのではないか。

「行動心理捜査」といえば、FBIのBAU「行動分析課」を思い出す。アメリカドラマ「クリミナル・マインド」で日本にも広く知られた存在だ。いわゆるプロファイラー。これまでにも刑事ドラマのなかで、FBIで行動分析を学んで帰ってきた云々というセリフはときどき耳にしていたが、その能力が的確に毎週使われる刑事ドラマは日本ではまだ見当たらなかったように思う。

原作は読んだことがない。が、1話2話を観る限り、面白い。
栗山演じる楯岡刑事は、おっさん刑事の思い込みな取り調べを引き継いで颯爽と取調室にやってくる。
普段の生活が婚活三昧なのが事実なのかどうなのかは別として、1話2話では、男性容疑者相手に親しげに接近する対話を繰り広げる。

それを横で見聞きしている西野刑事(白洲)の独白つっこみが愉快。西野刑事は事件の概要を視聴者に説明する役どころでもある。白洲迅は、このところ「正義のセ」「刑事7人」と、役に恵まれてきたように私は感じている。応援したくなってきた。「正義のセ」はゲストだったが、なかなか演じ甲斐のある良い役だったのでは?

ドラマのほとんどは、取調室シーン。
楯岡刑事が、犯人の反応を引き出すべく様々な質問や問い掛け、お喋り、挑発を繰り広げる。
人は嘘をつくと大脳辺縁系が反射し、ほんの一瞬肉体が反応する。そこを見るための楯岡刑事の奇抜な対応。
こいつが犯人だと確信すると、地図や資料を使って証拠や現場、人物を絞り込んで特定していく。
この絞り込み作業は、「クリミナル・マインド」の元天才ハッカー、ペネロープ・ガルシア捜査官がコンピューターを使って引き当てていく作業をアナログでやっている!と思わず興奮したほど、鮮やかだった。

ドラマ後半に入る前に、古畑任三郎のごとく、楯岡刑事が視聴者に向かって問い掛けるのも良い演出だ。

楯岡刑事の取り調べ方法が大げさに見えなくもない。気になる視聴者もいるかもしれない。「クリミナル・マインド」でも、容疑者らに真実を語らせるために、あの手この手を使う取り調べをするので問題ないと思うが、男性犯人相手に毎回婚活手法だと飽きてくるかもしれない。まさかそんなことはないと思うが。

1話2話は、男性相手に女性特有の色気も使えたが、3話の相手は女性、しかも霊能者らしい。
どんな取り調べになるのか、楽しみだ。



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「ダイアリー」NHKBSプレミアムドラマ全4回
【作】嶋田うれ葉
【音楽】瀬川英史
【出演】蓮佛美沙子 菊池桃子 中村蒼 大塚寧々 濱田マリ 西田尚美 山本陽子 緒形直人 ほか


春海(菊池)はシングルマザー。高校3先生のとき妊娠して家を出た。娘の彩加(蓮佛)を苦労して育ててきた。
彩加は、春海が父親のことを話してくれないことなどから、母にも自分にも不信感を抱いてぎくしゃくしていた。
彩加の結婚相手・悠一(中村)を気に入った春海だったが、ウェデイングドレスの試着の日に、脳出血で倒れ、植物状態になる。
春海が「リビングウィル」(尊厳死宣言)カードを持っていることを告げられる彩加。自分ともう一人誰かに通知が出されているはずだ、と。
そんなとき、春海が高校生のときから友人4人でつけている「交換日記」を発見する。母の尊厳死を認めるかどうか迷っている彩加。もうひとりの受け取り手に尋ねてみたらどうかという医師のアドバイスもあって、母のことを知ろうと、故郷金沢へ向かう。

意外と、と言っては失礼かもしれないが、引きこまれていくドラマだった。
春海の「リビングウィル」を持っているのは誰なのか?彩加の父親は誰なのか?どうしてたったひとりで彩加を産んだのか。
全4回の短い連続ドラマだったが、次週を楽しみに待てるタイプの久々のドラマだった。
民放だともっとドラマチックに描かないとスポンサーがつかないのかもしれないが、この静々と順当に展開していく雰囲気が良かった。

日記に書いてあることと違う母の友人たち3人の生活を垣間見ることになる彩加。
人はどうして、嘘をつくのだろう、繕うのだろう。
いや、素直になれていないだけなのだ。

彩加という刺激が飛び込んできたことで、3人の生活も変化していく。
何より、自分の気持ちに正直になっていく人々。
彩加の父親である、彼女たちの同級性(3人のうちのひとりの夫となっている)も含めて。

自分に引き取らせてくれと言う祖母(晴海の母)。家を追い出してしまった罪滅ぼしだ、と。
しかし、彩加は母の意志を尊重することに、祖母の同意を求める。

「尊厳死」、私も考えています。
リビングウィルは「尊厳死協会」というところで手続きしてくれるようだ。
私はすでに家族たちにその意志は伝えてあるが、文書で残しておいたほうがいいのかな。
そのときになったら家族としては迷うかもしれないし。
とはいえ、お金がなければ生命維持は必然的に困難になるわけですが。
諦めさせられるよりも、「WILL」意志を持って選択するほうが前向きだと、私は考えています。

良質のドラマでした。



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「半分、青い。」NHK朝の連続テレビ小説

よりみち的に受けとめたこのドラマのテーマは「諦めない」。
最後の秋風羽織先生(豊川悦司)の手紙にも象徴されていると思う。
いや、ドラマの週タイトルが「○○たい」なので、
「夢を持ちたい」かな。
いや、裕子(清野菜名)にあやかって「夢を持て」「希望を持って生きろ」。

律役の佐藤健が、納得の終わり方になっているとは思う、というようなことを「あさイチ」で言っていたが、その通りになったと言っていいのだろう。
ずっとヤキモキしていた鈴愛(永野芽郁)と律が、やっと40歳となって結ばれることになった。
この二人は幼馴染ゆえずっとつながってはいたわけで、ずっと親友という位置づけだってよかったわけだけれど、それでも人生というのはいつ何が起こるか分からないもの。
40歳を過ぎる頃から結婚を諦めてしまう人も多いが、私はいつも思う、運命の人に出会うのは50歳かもしれないし、60歳かもしれない、と。

鈴愛の人生は、これだけいろいろなことが起こると波瀾万丈な人生と言えるだろう。しかし、その都度「スタート」を切る。そう、「終わったときは次の始まり」なのだ。諦めたらそこで終わるが、鈴愛の人生に終わりはない、って感じ。

このドラマのセリフはいつもポジティブから入る。
裕子の死を知らせるボクテ(志尊淳)の電話の声さえ。
ユーコちゃんみつかったって。だめだった。

鈴愛の娘かんちゃんが助けてもらった友人あかりちゃんに、高価なブローチ(鈴愛の祖母から母、そして鈴愛へと受け継いだもの)をあげよう思っていたとき、父親である涼ちゃん(間宮祥太朗)が言う。
かんちゃん、こんな高いものは、あかりちゃんももらえないと思うよ。
本物の宝石だ。車が買えるくらいだ。
「だめだよこんなものあげちゃ」ではなく、相手の気持ちの戸惑いを伝えてから、ブローチの価値を伝えた涼ちゃん。このセリフはvery good。かんちゃんの思いも大事に受けとめてあげている。ただ否定されれば、子どもの心は委縮していくだけだ。委縮した心は創造性を失っていく。こういった対応が子どもの創造性を開放し、思いやりや他を尊重できる心につながる想像力を育てるのだろう。そして自分を卑下することもない。ナイスフォローだと思う。
余談になるが、このところ短絡的反応の人が多いのは、想像力の欠如が大きな理由だろうと想像できるので、親から子へ伝える「心」というのは大事だ。
鈴愛に別れてくれと言ったとき、こいつはいいかげんなだけではなくサイコパス男だったのか、と怒りの感想をもらした私だが、このセリフはよかった。きっと良い映画をつくっていくだろうな、と思う。

ものすごくミーハー的に感想を述べると、
な~んだ、このドラマ結局、鈴愛をめぐる男たちの物語か、である。
鈴愛は振られてばかりだと自分で言うけれど、涼ちゃんからも、正人(中村倫也)くんからも、「やりなおさないか」のラブコールを受ける。もちろん、最後は律からの。
昔の民放トレンディドラマだったら、そういうことでは?律をめぐっての女同士の戦いもあったことだし。

純文学的に読むと、裕子の存在が際立つ。
実はユーコは、初登場のときから「死」へ向かってひた歩いていた、と私は感じている。
お金持ちのお嬢さまなのだが母親と折り合いが悪く、家を飛び出している。そう、裕子には、裕子自身として生きることができる「居場所」がなかった。裕子は常に自分の居るべきところ、居ることのできるところを探していた。それはすなわち、「自己存在の確認」であり、「生きがい」でもあるのだろう。
それが秋風塾、漫画家だったのだが、スズメ同様、才能の壁にぶち当たる。そのときのユーコの行動は極めて退廃的だ。いわゆる男漁りまでして、生気も失われている。だからなのか、スズメのエネルギーの強さに圧倒されつつも、それを認め、憧れ、応援する。自分にはないものを鈴愛に見い出した。鈴愛が特別な何か、突拍子もないことを成し遂げてくれることに自分の夢も生きる意欲も託した。
金持ちの実業家と結婚して何不自由のない生活だったと思うが、おそらくそこはかとない浮遊感をいつも抱いていたのではないか。
それは、いくつかのシーンから推測できる。
看護師としての悩みを鈴愛に打ち明けたあと、鈴愛は何かをやり遂げる人間だと言って応援する。
鈴愛が焼香に訪れた際に裕子の夫が語った思い出話。
裕子はね、鈴愛さんの話、よくしてました。何かっていうと、鈴愛はね鈴愛はね、って。そのときの裕子のうれしそうな顔ったら、なくって、こっちがヤキモチ焼いてしまうくらいでした。

ゆえに(ゆえにという接続詞が相応しい分からないが)、ユーコは最後、仙台の病院で身動きが取れずに逃げることのできない患者さんと運命をともにし、津波に身をゆだねる。そこが彼女の「居場所」だったのだ。
裕子にとって「特別な存在」の鈴愛。鈴愛はきっと何か特別なことを成し遂げてくれると裕子は信じているし、託している。そして、語弊はあるかもしれないが、この死に方、人生の選択が、裕子には「特別な事」だった。
裕子の観点からの小説があったとして、それが高校の教科書に載っていたら、きっとクラスであれこれ意見が飛び交うことだろう。しかも女子高で。

余談になるが、
「やすらぎの郷」(2017年テレビ朝日)では、裕子役の清野菜名は、「手を離したのは私」という脚本を書いて(実際に書いたのは恋人なのだが)老脚本家・菊村(石坂浩二)を訪ねるアザミを演じている。
これは、震災の津波にのまれながら、祖母の手を握っていた少女(アザミ)が、耐えきれずに自分が祖母の手を離してしまったのだ、と後悔して告白するという脚本。
こういったシンクロニシティというは、ドラマの役に意外と多い。
来年から再スタートするテレビ朝日の昼帯ドラマは「やすらぎの刻(とき) 道」だそうだ。「やすらぎの郷」でもう脚本は書かないと宣言していた菊村が手掛ける脚本、という設定。1年間続く長いドラマになるようだ。
その前半の主演が清野菜名。
昭和初期からはじまり、戦中、戦後、平成を描くこの作品の前半の主演は、清野菜名。戦後の高度成長期を経て現代にいたるまでの後半、いわば主人公の晩年を八千草薫が演じます。
(テレビ朝日サイトより)
2019年4月からの放送が楽しみだ。

感想はつきないが、
何と言ってもやはり、私にとっての最強のキャラクターは秋風羽織先生だ。
登場人物のなかで一番の偏屈者にみえるが、その実、一番のヒューマニストだ。
さらに、夢をつむぐ言葉、勇気を与える言葉、をたくさん知っている人。

もしかすると、秋風塾を描いた数週がこのドラマのピークであり、最大の感動であり、名場面の連続だったのかもしれない、と私はふと、しかし確信をもって思い返す。
夢と挫折と嫉妬。そこから誕生した愛。

ユーコも、秋風がまるごと受けとめてくれて、救われたと思う。苦しかったろうけど。
ユーコの部屋はまだ残っているのだろうか、いつでも帰って来られるようにとそのままにしてくれていた秋風先生。
そう考えると、まことに独善的な感想で申し訳ないが(いや、そもそも感想というのは独善的である)、もうひとりの主人公は浅葱裕子(あさぎゆうこ)だったのかもしれない。
「浅葱」とは
わずかに緑色を帯びた薄い青。また、青みをおびた薄い緑色。みずいろ、うすあお。
(「コトバンク」「広辞苑」より)
だそうだ。
「裕」には「ゆとり」「豊かで満ち足りている」「心がひろい」などの意味がある。
鈴愛が言っていた。
裕子の名前だれがつけたんかな、やっぱりおかあさんかな。
裕子が母親との仲を本当の意味で取り戻したのかどうかは分からない(仲直りしたようなシーンはあった)。
実家との仲が悪い女性は、結婚してくつった家庭が安堵の家、居場所となる。
後で紹介するが、スマホに録音されていたメッセージ。それは、息子と夫、そしてボクテと鈴愛へ宛てられていた。

鈴愛は裕子ちゃんにとってただの親友じゃない。特別な存在だったんだと思うんだ。
と律も言っていた。
そのあと、律が、自分は鈴愛を守るためにここにいる、と言ったとき、私はふとこう思った。
鈴愛のそばには、家族や律をはじめ友人たちがいて、幼い頃からずっと守ってくれている存在があった。40歳になった今でも、である。裕子が死んで立ち直れないほど落ち込んでいる鈴愛を、この人たちは心配し、見守っている。
裕子はどうだろう。見たところ夫も誠実そうな人できっと幸せな家庭なのだが、生育環境での一抹の寂しさが漂っている。
有形の幸福と無形の幸福、その半分半分を、裕子と鈴愛はわけあっていた、とも言えるのではないか。この二人は対照的でもあるのだ。
分身、とまでは言わないが、互いが持って生まれたものが全く違うという意味での合一、のような。
鈴愛と母親は仲良しで、裕子と母親は仲が悪い、という現象は一番象徴的かもしれない。

さて、このセリフを書きとめておかずして、「半分、青い。」を私のなかで終えることはできない。

秋風先生からの手紙。速達。
スズメ、律くん、元気だろうか?
短い手紙を書きます。
人生は希望と絶望の繰り返しです。
私なんか、そんなひどい人生でも、大した人生でもないのに、そう思います。
でも、人には、想像力があります。
夢見る力があります。
生きる力があります。
明日を、これからを、どんなにひどい今日からだって、夢見ることはできます。
希望を持つのは、その人の自由です。
もうダメだと思うか、
いや、行ける、先はきっと明るい
と、思うかは、
その人次第です。
律くんとスズメには、その強さがあると信じています。
秋風羽織

裕子の録音の声。遺言。
スズメ、スズメ生きろ!
最後に暑苦しいこと言って申し訳ないが、
私の分まで生きてくれ。
そして、何かを成し遂げてくれ。
それが、私の夢だ。
生きろ!スズメ……
あ、呼ばれてる。じゃあね。

鈴愛は裕子にとっての癒しであり、裕子は鈴愛にとっての応援団(ひとりだから者かな?)だった、のかもしれない。

鈴愛ちゃん、裕子ちゃん、バイバイ!



よりみちねこのドラマカデミアへようこそ!


「乱反射」メ~テレ(テレビ朝日)
2018年9月22日夜22時15分放送
原作/貫井 徳郎
脚本/成瀬 活雄・石井 裕也
監督/石井 裕也
妻夫木聡/井上真央/萩原聖人/光石研/三浦貴大/田山 涼成/鶴見 辰吾 他


なんとも重苦しい、いや~な気持ちの残るドラマだった。
最後のシーンが、なおさら拍車をかける。人間の良心とは何だろう。

ある風の強い日、光恵(井上)がベビーカーに乗せた子どもと歩道を家に向かっていた。駅前にタクシーが見当たらなので、歩くことにした。少し行ったところで、強風で大きな街路樹が倒れてきた。子どもが死亡。
新聞記者の光恵の夫(妻夫木)は、息子を殺した人間を突き詰めようと聞き込みをはじめる。なかば乱心の復讐のごとく。

最後は正義が勝つのかなと思いきや、どうらや何事も起きずに終わりそうだぞ、とドラマの進行とともに思い始める私。
普通に考えれば、行政の責任を問えるところだろうが、そもそもこの夫婦も訴訟を起こそうともしない。

乱反射、というタイトルにあるように、ひとりひとりの行動、行為が連鎖を呼んで起きた事故、であることをドラマははっきりと見せる。
ひとりひとりの行動は日常の繰り返し。
日常と言っても、良い行いはひとつもない。
仕事放棄や怠慢、ルール違反の重なり。

犬の散歩をする老齢の男(田山)は、日々、犬の糞を樹木の根本にさせてそのまま放置。
糞苦情の電話を面倒がる役所の担当者。
樹木診断をする造園会社の男(萩原)は極度の潔癖症で犬の糞のためにその樹木の診断ができなかった。
樹木診断を伐採業者と勘違いして詰め寄り、仕事の邪魔をしてしまった街路樹伐採反対を叫んで運動しいてる住民女性たち。
救急車で運ばれた子どもを嫌がって受け入れなかったすぐ近くの病院医師(三浦)。

事故の日、病院へ義父の見舞いに行っていた光恵。自分が光恵さんを引きとめなければと悔やむ義母。自分が入院さえしなければと悲しむ義父。

人生は、さまざまな出来事と選択がつながってできている。
明るいドラマだと、それで恋人ができたり、仕事が見つかったりする。
これは、不幸な人生のシーンが、どのような順番で起きることになったのかを示してくれながら、同時に、それが人間ひとりひとりの倫理観の欠如がつながりにつながって起きた事故だよ、と教えてくれる。

人間の倫理観だったり、職業的義務の放棄や職業意識の低さ、というのは、バレなければきっと何ということはないのだろう。些細な事だと思っていることが、実はとても大きな災いをどこかの誰かが被っていることなど、このドラマのような明確な事故でもないかぎり知らずに過ごすことができる。おそらくこの世のたいていの場所がそうだ。
病院だって、外科医は不在ですなどと嘘をつかれたって分からない。
店だって、そんなもの売ってませんよと言われれば、そうですか、と引き下がるしかない。

気持ちの良い解決をみるドラマではなかった。
けれどもドラマとして、誰かが罰せられていかにも正義が勝ちました的なシーンがあればそれでいいのか?と私は自問自答した。何をもって気持ちが良いとか悪いとか思うのだろう。

連鎖の要因のひとつひとつとなった人々は、これからも反省することなく普通に安泰に暮らしていく。

役所の人間たちはちょっとこのままでは困るな。影響が大きすぎる。
医者の倫理観も直してほしいところだ。

極度の潔癖症で仕事に支障をきたしていた彼も、早くに仕事を離れて治療するなり、自分にもできる仕事に切り替えていればよかったのに、とは思うが、このドラマのなかで、一番正直だったのは彼だ。「良心」があるからこそ、悩みながらも告白する。それを見守る社長にもとりあえず良心はあった。

一番の衝撃は、死んでしまったこの子どもの両親。彼らもルールを破っている。
ちょっと遠出するとき、明日の朝ゴミ出しできないからと、出かけた先の公園のゴミ箱に大きなゴミ袋を持ってきて捨てている。習慣になっているようだ。
家庭ごみを捨てないでください、という貼り紙があるのに。
何らかの理由でゴミの日に出すことができないなら、家に保管して、次のゴミの日に出せばいいだけのことなのに。

被害者も事故の原因となった人々も、造園業者以外はみんなでルール違反をしている。
そして、なんとも思っていない。「良心」がない。
なんとも思っていないどころか、自分のことは棚に上げて、他を批判したり自分を守ることには一生懸命だ。

私たち人間というのは、こんなものなんだ。いや、お前たちはこんなんだよ、とドラマが言っている。やってるだろう、あんたたちも、と。
自分だけは違う、という人がもしいたら、一番何も気づいていない、そうすることが当たり前だと思っているか、そうして何が悪いと開き直っている、バリバリの倫理観のない違反者なんだろう。
「良心のある人々」(たいていの人がこのグループなのだが)だって、みんなやってる、自分だけ損したくない的思考回路が働くと、ちょっとだから大丈夫とルール違反を犯す。

松本清張の社会派サスペンスとも少し違う。切ない気づき、人間の悲哀のようなものが松本作品には見られるように思うが、このドラマにはセンチメンタルとか同情といった感情は無縁だ。いわゆるサイコパス要素が漂う。「良心がない」という意味で。
もし死んだ子どもの親が訴訟を起こせば、造園業者が責任を取ることになるだろう。彼らには良心があるので、罪を認めるだろうから。役所の担当責任者も形式的に罪を問われるだろうが。しかし、結局予見不可能、となるだろう。実際は難しい。
現実問題として、犬の糞尿で根本が痛んでいる樹木や電信柱などは多いと聞く。

社会の歪みが先なのか、人間の心の歪みが先なのか。
いや、人間の心の歪みが生み出す社会の歪み、なのだろう。
その片棒を私もあなたも担いでいますよ、というのが、最後のシーン。

不幸の連鎖。
ペイフォワードの不幸版だ。
自分だけ得をしようではなく、
できれば、幸福連鎖の社会、世界にしたいものだ。
恩送り。ぺイフォワードpay it forward。


妻夫木聡、年取ったな。
井上真央、やっぱりうまいと思う。
三浦貴大は、最近こんな役ばかりだな。真逆の演技を観てみたい。




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「透明なゆりかご」NHK

主人公・青田アオイを清原果耶が好演した。
朝ドラ「あさが来た」の奉公人ふゆ役のときから私は注目していたので、よい役をもらってよかったね、しかも主演で、と思う。
朝ドラ当時はまだ14歳だった。といっても、まだ16歳か。ますます将来が楽しみな女優さんだ。

とても丁寧に静かに描かれたある産婦人科医院の物語。
妊娠出産にまつわるあれこれを、じっくりと訴えかけてくる。こうした描き方はNHKならではだと思う。同系テーマの民放ドラマでは「コウノドリ」があったが、もっともっとドラマチックだ。

こちらは、ドラマチックではない、民放のような派手は演出はないが、もしかしたら本当の意味でドラマチックなのかもしれない。

出産に迷ったり、母体が助からなかったり、毎日のようにある堕胎だったりが、高校の准看護科に通っているアルバイト見習い看護師のアオイの目を通して、切実に映し出されていく。

各回、それぞれが深く、印象的なエピソードばかり。

第9話の「透明な子」は、母親の再婚相手の男、つまり新しい父親から日常的に性暴力を受けていた小学生の少女・亜美ちゃんの話。アオイと亜美ちゃんは図書館友だちだった。
気づいてあげられなかったことを悔やむアオイ。デリケートな問題なので、まだ見習いの身のアオイは接触することを禁止される。が、アオイの率直な対応が、亜美ちゃんの心を開く。

最終話「7日間の命」では、心臓などに重い病のあることが妊娠20週で判明した夫婦が、悩んだ末に出産を決意する話。さらに悩んだ結果、出産後の積極的治療を受けないことを決める。短い命を大切に大切にして病室で過ごす親子3人。

重いテーマと誠実に向き合って、誠実に描き出してくれたドラマだった。
好奇な視線で描いたドラマは、好奇な視聴の目に晒される。
誠実な目線は、誠実に事実や状況、問題をもあぶり出し、感じたり考えたりする機会を投げかけてくる。それは、まさにアオイの目と心そのもの。
アオイの誠実な姿が、好奇や批判の思いを視聴者が持つことを許さない。

ただ、こういった妊娠出産にまつわる出来事を知るとき、私がいつも思うことがある。
それは、ドラマだけではなく、実際の事件、ニュースでも。
妊娠したとき、どうして女性ばかりが苦しむことになるのか。父親はどこへ行ったのか。
男尊女卑とかいって男性は威張っているが、卑怯ではないか、と。

一人で生んで一人で育てて、そして育てきれずに殺してしまうという事件だってめずらしくない。
なぜ、女性、母親だけが殺人犯になってしまうのか。
理不尽だと思わざるを得ない。

このドラマのエピソードにもいくつかあった。
産婦人科の医師は、性暴力も含めて日々そのような女性性の辛い側面と向き合っている。

出産は、素晴らしい、喜ばしい、寿ぐことだ。産婦人科の育児室にいる赤ちゃんたちを見て、頬が緩まない人はいないだろう。
その一方で、苦しい思いをしている女性たちも大勢いる。
産院というところは、なんとも言えない明と暗、光と闇の同居する場所でもある。

様々な問い掛けのある良質のドラマでした。
再放送の際には、ぜひご視聴をおすすめします。



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「義母と娘のブルース」TBS


はい。酷評してきました。
このデフォルメ下品な感じについていけず、とうとう半分ほどから先を毎週観ることができなくなりました。
録画はしており、最終話のあと一気に観ようと思って、実際そうしました。

さて、原作はさておき、
最終話は良かった。
そして、これは、麦田青年(佐藤健)の立ち直りと彼のパン屋再生の物語のほうが主流なのか?と思ってしまった。
そこまでもっていくための前半。この前半は必要だったのか?
麦田との奇跡の出会いのための前半、ではあるわけだが。前半の謎のシーンが、綾瀬はるか演じる義母・亜希子の契約結婚物語とちぐはぐすぎて、頭の悪い私にはドラマの雰囲気を心のなかで反芻できない。
今となっては、最終話へもっていくための伏線の連続である前半だったと分かる。その伏線の連続が「奇跡」を表現しているらしいのだが、奇跡とか縁とかシンクロニシティというのは、そういうものではあるが、何と言いますかすこ~し違うような気がしないでもありません。

亜希子という存在が、二人の男性、夫と麦田を救ったという視点で考えると、亜希子は彼らにとってスーパーマンだ。ついでに娘にとっても。亜希子は会社でもスーパーマンだったわけで。
ときにコメディポカをやりながらも、必ず解決策を見出していく。こういう人がそばにいてくれればな、と切望する人は世の中にたくさんいることだろう。

最終話で吐露される亜希子の生い立ち。親を早くに亡くした自分。その幼い自分を育てるために娘・みゆき(上白石萌歌)を利用しただけだ、と言う。
インナーチャイルドということか。
自分がしてほしかったことを娘にしてあげようと思った、と言う義母。それを世間では愛と言うんだ、と言うみゆき。
ここは、非常に良かった。率直にいささかビジネス的に子育てに臨んだ亜希子。親の愛を十分に受けないまま大人になると、人はそれが満たされるまで奪う側の人間になってしまうのが常々ではある。そんなことでは決して満たされないのだが。
そうではなく、自分がしてもらえなかったことをしてあげようとする、その方向でインナーチャイルドを癒していくのは、最善の方法ではないかと思う。なんだかんだと処方の数々はあるだろうが、もしかしたらそれしかないのかもしれない。
共依存ではなく、愛を与え合う、互いが互いを尊重し合う自立した関係を築いた義母と娘。

親子関係の妙は、亜希子とみゆきだけではない。麦田とその父親の間でも、描かれている。
麦田は、コミカルな役どころではあるが、父親に逆らいながらいわゆる自分探しをしている青年の設定だ。どんな仕事についても上手くできず、すぐにやめてしまう。そして最後、父親のパン屋を継ぐことになる。そこに自分の宝があったことに気づく。一種の「青い鳥」現象である。その気づきと発展を与えてくれたのが亜希子だ。
そういう意味では、亜希子はみゆきに働く自分の背中を見せるためにベーカリー麦田の再建に着手したので、これも利用した、と言えなくもない。
ビジネスライクと愛情は一致しないのが常だが、このドラマのような「奇跡」もあるようだ。

最後に奇跡が起こる奇跡が起こる、と番宣で綾瀬が言っていたが、何が奇跡といって、亜希子のスーパーマン的仕事が愛である、というところかな、と私は思った。

前半の部分は必要ないのではと冒頭に書いたが、それでも伏線として、もちろん、義母と娘の出会いの部分として必要ないことはない。けれどもその部分が私には苦痛だった。
連続ドラマではなく、スペシャルドラマの時間内で一気に描いたほうがよかったのではないかと、このドラマを酷評してきた私は思います。

役者としては、綾瀬はるかがこんな役をやっていいのか、と乱暴かもしれませんが思います。

それから、最近、他のドラマと俳優が重なることが多いと、こちらでもたびたび書いてきました。
私は、この状況、あまり好きではないのです。役者はいっぱいいるのだから、他の役者さんにもチャンスを与えてあげてください、ということと、あれ?こっちの刑事?犯人?とか戸惑ってしまうことが多いので。ワンシーズン、1ドラマにしてほしいと素人考えで思ってしまう。
このドラマではないが、ゲスト出演で今夏あちこちに出ていた近藤公園。この人けっこうサスペンスにも欠かせない存在になっているみたいで。映画「ウォーターボーイズ」にも出演していた俳優さんですが、今夏だけではなくちょっとこのところ、え、またこっちでも?と思ってしまって、食傷気味になってしまいました。それだけ売れっ子と言われてしまえばしかたないのかもしれませんが。もちろん俳優さんを非難しているわけではありません。

さらに、え?いいの?と思うくらいばっちり「作品をぬっていた」俳優、佐藤健。
「義母と娘のブルース」ではベーカリー麦田の店長であり、朝ドラ「半分、青い。」では主人公の相手役、萩尾律。

9月21日の「朝イチ」にゲスト出演していた佐藤健。
同時期に2つ以上のドラマに出演することを「作品をぬう」と言うのだそうです。
彼曰く、作品をぬうのは初めてのこと。意外とできるんだなと思った、と。
確かに役作り、切り替えも大変でしょうから、それがけっこうできた、と喜んでいるのか、ほっとしているのか。

いくらそういことができて、売れっ子の証明だったり、意外とできたりしても、基本的には、私は作品はぬってほしくないです。放送日が重なっていなければ、同時期の撮影はいいですけど。映画とかも。再放送は別です。
チョイ役でも気になるのに、主役の相手役とか、エピソードゲストとか、魅力が半減します。

一方は北川作品。
もう一方は森下佳子作品。「とんび」「天皇の料理番」だもんね。断れないよね。
とミーハー的に思いました。





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